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Yukibou's Hideout on Hatena

自分用備忘録的な何か。

Jリーグが無かった頃のこと、知ってますか?

サッカー Jリーグ
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2016 Jリーグ開幕。

1993年に日本初のプロサッカーリーグであるJリーグが開幕して、今年で23年目である。人間だったら大学を卒業し、社会人として働いている年月だ。時の過ぎるのは早い。

創設当初、Jリーグは珍しい物見たさもあって非常に盛り上がった。野球以外では初めてのプロリーグ、そして「クラブチーム」という概念を新たに日本にもたらしたという話題性もあったし、日本代表も初のW杯出場目指して盛り上がっているところだった。単純な話、ブームだったのである。

Jリーグの開幕戦はヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)と横浜マリノス(現横浜F・マリノス)の試合だった。この試合だけ特別なセレモニーとともに、他の試合よりも1日早く開催された。

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TUBEの前田亘輝が君が代を歌い、Jリーグのテーマソングが流れ、綺羅びやかなイベントのごとくライトアップされるスタンド。ゴールデンタイムにNHKで放送された開幕戦は、見るものすべてに「今までとはなにか違う新しいもの」を感じさせるのに十分だった。

国立競技場のオーロラビジョンでカウントダウンがなされ、会場全体で「3・2・1・0!!」という声が響いた。

日本のプロサッカーが産声を上げた瞬間だった。

 

 

秋開幕だったJSL。

Jリーグ以前は、「日本サッカーリーグ(以下JSL)」が開催されていた。

今ではもう春に開幕するのが当たり前と思われている日本サッカーだが、実はJSLの頃は秋開幕だった。春にはJSLカップという大会が開催されていた。新入団選手や新編成のチームの力を見る前哨戦的な扱いだった。殆ど名古屋でやっていた。

当然テレビ放送は無かった。いや、あったのかもしれないけど、見たことはなかった。そもそも、地方に住んでいると見られるサッカーの試合なんて、インターハイとか高校選手権とか天皇杯とかトヨタカップくらいのもので、代表の試合すらBSなんかでやっていたのだ。

ホーム・アンド・アウェーという概念もなかった。例えば関東にあったチームのホームスタジアムは、多くが国立、西が丘、駒場だったりした。

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※当時の貴重な映像。

芝生は当然茶色である。緑色の芝生が実現するのは、1991年の世界陸上の為に秋口に冬芝を蒔くウインター・オーバーシーディングを始めてからだ。1989年のことだった。

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※1988年のトヨタカップ。芝が茶色い。

 

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※1989年のトヨタカップ。芝がついに緑になる。

プゥワァーと鳴っているのは「チアホーン」という鳴り物だった。なぜか昔はサッカーといえばチアホーンだった。海外の試合では殆ど聞いたことがないので、流行っていたのは日本だけなんだろうか。チアホーンはかなりの音が鳴るので、Jリーグが始まってしばらくして、うるさいという理由から使用が禁止になり、やがてチャントによる応援へと変わっていった。

実業団が運営しているチームであるため、名前も例えば浦和レッズは「三菱自動車工業サッカー部」だった。観客は2000人とか3000人とかの発表があったが、実は全く数えておらず、「見た感じでこんなもんの人数」だった。実際は500人くらいの試合がザラだった。

チームはプロではなかったが、選手にはプロがいた。「スペシャル・ライセンス・プレイヤー」という制度があったのだ。いわば、事実上のプロ選手である。第1号は木村和司と奥寺康彦だった。

スペシャル・ライセンス・プレイヤーは、実質プロ選手ではあるが、JSLに所属するチームにしか登録できない。今からずれば意味の分からない囲い込みのような制度だが、当時はそういうものだったのだ。

そしてこの制度はライセンス・プレイヤーと名前を変え、Jリーグが始まるまでアマとノンアマの区別をするシステムとして続いていった。

 

 

おらが町のクラブ。

Jリーグが始まるまでは、おらが町のクラブなどというものは無かった。唯一「クラブチーム」を名乗っていたのは「読売クラブ」だったが、結局は読売のチームだった。いかに強いチームであっても、親会社のさじ加減ひとつでチームが無くなってしまうなんてこともあった。

例えば、NKKというチームがあった。日本鋼管サッカー部である。80年代後半にはJSLの強豪だったが、Jリーグには参加せず、1993年に廃部してしまった。田辺製薬やコスモ石油は今でも残っているが、地域リーグや同好会レベルでやっている。無くなってしまうよりは、存続しているだけマシではあるが。

Jリーグのチームは現在38都道府県に53クラブある。100年構想クラブまで含めれば60だ。いずれ47都道府県全てにチームが出来る日もやってくるだろう。

たとえカテゴリーが下であっても、地元にチームがあるというのは幸せなことだ。自分の生活の中に地元のチームを応援する歓びがあるというのは、Jリーグ以前には考えられなかった。企業がスポーツから撤退しても、市民が立ち上がりクラブチームとして存続するなんて誰も思いつかない夢物語だった。

だが、今やその流れはサッカーのみならず他のスポーツにも波及するようになった。例えば釜石シーウェイブスなどは、Jリーグがなければ絶対に産まれなかったチームである。

今年もまた、そんなおらが町のチームの戦いが始まる。

見に行ける幸せがまたやってくる。