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2016年2月26日

2016年2月26日 (金)

E235がどつぼにハマっとる理由、さらに実物を見て考察して、だいぶ理屈わかってきた気がする。

そもそもリアルタイム制御が不可能なIP制御にしたのが悪い、と私主張しとるやろ。
さらにその上に、IP制御でそれぞれのモータの負荷を中央システムに教えて応分の制御にして・・・というやりかたを取っとる。
もうそれだけで頻繁にやりとりがある。
そこに人間の制御が加わっても、フィードバックするのに、リアルタイムの正確性が保てんねやろ。
(インバータのノイズも全部取り切れとるとは思わん)
その上で、今日、コレも原因に加わっとると確信したこと。
システムに制御させる前提で考えると、システムが判断する点って1点やん。
TASCでいうと位置補正の地上子1点になる。
だから、位置補正の地上子1点を正として、システムがそこから停止点までに制御する解法は、コンピュータにはひとつしか算出されんから、停止点までそのとおりに制御がされる。
そしてそのシステム誤差として、オーバーランが発生してまう。
E231系がどうしてオーバーランせずに、停止位置±35cmの間に入っとるかといえば、システム的にTIMSがトークンバス方式でリアルタイム通信していることにも拠るやろけど、別の面から見ると、人間が目視で制御し、「もう少しで停止点だから、5km/hくらいでソロリと近づこう」と思って、目視制御で、停止位置に合わせて止まっとるからや。
E235系INTEROSは、そんな人間が目視でやる時々刻々の制御なんてしてない。
「ココで止まる」と決めたら止まるまでや。
位置補正の地上子1点を踏んだ後に起こる、さまざまな誤差や伝送遅延が、停止点まで持ち越されてまう。
それを考慮すると、E235系の場合も、停止点直前1mくらいにもう一個追加して地上子を置き、そこを車両が5km/hくらいでソロソロと通過するように設定しておけば、それでも誤差は生ずるけれども、だいぶ精度良くなるやろ。
しかしそれも根本的な解ではなく、見せかけの解なんやけど。
そんな解を提示しておきながら、やっぱ、
”デジタルATCに従って、先行列車に当たらない”
というテストは必要やと思うなあ。
デジタルATCってどんくらいの周期で制御信号を拾い、それをINTEROSの制御にどう生かしとるのか、現状私が得られる情報からでは全くワカランもん。
いくら山手線は、列車の間隔が縮まった場合、運転間隔調整でしのいどるとはいえ、人間のミスでついうっかり調整されとるハズの間隔を犯したときに事故は起きるんやし。
単線の列車衝突事故なんてのも全部そう。

さっきのちょっと訂正("さっきの"って、全然毛色が違う2つの投稿のどっちやねん!?)と思われるかもやけどw

さややの舞台のほうな。

最初からアツいオトコ、というよりも、

"最初は頼りなかったけれども、それでも私のことが好きで、私の幼い頃の様子をさらけ出しても、それも(多少葛藤しながらも。私(この女の子)だって別の男の子に恋しちゃったしね)全部受け止めてくれました"

というストーリーがいちばん感動的なんちゃうかなあ。

改めて考え直した。

"花嫁は雨の旋律"について、どうすればもっとストーリーに説得力があるか、改めて考えてみた

いや観ているときから考えているけれども。

たとえば現実的には、成人女性なのだから、記憶だけ幼児になったところで、
「自分の下半身から血が出てくる!」
とかいうところから問題になると思う。

けれどもそこから説明していったら、このストーリーで本来訴えたいことが削がれる可能性がある。
だから2時間程度の映画や舞台として、その現実からは敢えて目を逸らしたまま、そういう世界なのだとしてハナシを進めればいいと思う。

やっぱ、現実をどうやってデフォルメするか、という問題はどうしても出てくるし、そこを如何に上手に、しかもリアリティをもって表現できるかが問題と思う。


その上で、私は最後のさやや(雨)のセリフがどうしても引っかかった。

「私はあなたの記憶の私になれるかわからないけれども、それでもいい?」

こんなカンジのセリフだったと思う。

確かにオトコは、あのストーリーでは、目の前の雨ではなく、過去の雨と対話していた。

このストーリーをそのまま踏襲して、オトコが過去の雨を望む描写があるのであれば、観客の女性はやきもきするだろう、と思った。

そこで、改めて思った。


世の中の女性の多くは、年上の男性に恋をする。

そうすると当然のように、相手の男性のココロの中にいる、具体的か抽象的かはわからないけれども、そのあるべき"女性像"に自分はなれていないのではないか?と、どうしても不安に思ってしまうのではないかと思う。
具体的にいうと、相手のかつての恋人なり好きだった女性と同じレベルに達しているのか?と思う者が多いだろう。


そうすると、"花嫁は雨の旋律"が、一般女性のココロをさらにわしづかみするためには、過去の雨と対話する弱い面があるオトコよりも、最初から幼稚園児に戻ってしまった雨に全力で向き合うオトコ像ではないか?


いや、2つ作る案もあるやろけど、私はいまの雨に全力で向き合う、私が考えた案のほうがええと思うなあ。


そういや"俺物語!!"の剛田猛男は同級生という設定だけれども、たとえば女子高生がいきなり青年実業家から熱烈アタックされるようなストーリーがあれば、(そこらのオトコは、そんなヤツいねーよ!と言うだろうけど)女子には共感してもらえると思う。

E235でさっき秋葉原で撮った。やっぱ停止精度に劣る。

E235でさっき秋葉原で撮った。やっぱ停止精度に劣る。
E235でさっき秋葉原で撮った。やっぱ停止精度に劣る。
E235でさっき秋葉原で撮った。やっぱ停止精度に劣る。
E235でさっき秋葉原で撮った。やっぱ停止精度に劣る。
E235でさっき秋葉原で撮った。やっぱ停止精度に劣る。
E231を見ていたら、最後の5km/hくらいで、運転士は一旦ブレーキを抜いて、目視で停止位置に合わせとる。

TASCのパターン範囲内やから、システムが強制的に制御することなく、文字通り運転士の手腕にかかっとるように見える。

それが、E235になると、゛最後の5km/hくらいで、運転士は一旦ブレーキを抜いて゛の部分がない。

運転士が目視で制御していればこんなストレートな制御になるはずがなく、以前から書いている通り、運転士はハンドル操作を禁止されとるように見える。

政策は保守、技術は革新をナントナク望む、日本人の捻じれた感性は、歪んだ教育や報道により形成されてきたのではないか?

政治的に安定して欲しいから、自分の生活が安定して欲しいからと、日本人は保守的に、自民党に票を入れてきた。
ココでガチで革新して欲しくば、自民党だけはない、というのはアタリマエなんだけれども。

ところが、自民党政権がやってきたことは、大企業に利権が回る、原子力発電に代表される"技術革新"であり、いまや原子力発電は危険と世界の人々が認識しているにもかかわらず、日本のみが推し進めていると言って過言ではない状態である。

TPPだってそう。
というかTPPは政策自体革新、というか密室の独裁であるし。

そんな実態を見て、その技術革新はウソで、労働者の生活を守ろう!と、革新派が言ったら、
「あの人々の思想は過激だ」
「世界環境保護のためには、同じことをやっていてもダメ」
などという。


時間がないので結論だけ述べると、我々の生活を本当に安定させ、安心して子供も産める社会を取り戻すには、革新という名の、現実的には最も保守的な人々の意見を聞いてはいかがだろうか。

左翼、右翼という名のレッテルだけで見るのではなく、現実的に日本の社会にどんな影響を与えてきたかというと、一般の人々に対して自民党は極端な革新を強いてきた。

のうのうと保守的でいられたのはごく一部。


やはり人々はそのパラドックスを解明し、保守と革新の認識をコペルニクス的に転回させたほうがいいのではないだろうか。

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