taggaの日記: 書かせる試験は階層の固定に寄与するだろう 1
B. Bernstein が言語コード論で、 労働者階級の子どもが、主観的に文脈依存的に語る制限コードのみを獲得するのに対して、 中産階級の子どもが、制限コードに加えて、客観的に文脈非依存に語る精密コードも獲得する、そういう傾向があることを示そうとした。 これが正しければ、 学校という精密コードが求められる場で、 制限コードのみをもつ労働者階級の子どもは、 大きなハンディキャップを負わされている。
とはいえW. Labovは、 「黒人英語」の研究を通して、 「制限コード」のようなものを使っていても、 思考能力と豊かな表現力があることを示している。
なのだけど、 また「制限コード」で語られるテキストは「精密コード」を知るものが読めば、 非論理的に見えてしまう。
そして、こういうテキスト/談話の構成のしかたの差違に加えて、 社会方言に対するステレオタイプは、厳然としてある。
ということで、書かせる試験は、結局のところ、 中産階級(以上)の中産階級(以上)による中産階級(以上)のための 試験になりかねない。 ぶっちゃけ、それで階級構造を維持してきたのが、 フランスという試験大国なわけだ。 労働者階級の子どもも、 それに加わっていく移民の子どもも、メインストリームから排除されていく。
とはいっても、突然変異的天才が試験に勝ち残ることがないわけではないし、 それなりの数の秀才の家系が、 親・義務教育 ⇒子・師範学校(小学校教師養成) ⇒孫・大学校(エリート)・大学(それなり) のように数世代かけて上昇することもあったんだけどね。
;; 面接などで、人物をみるのは、こういうのが、 よりひどい形で反映されるからね。 中産階級の文化に触れることがない労働者階級の子どもは、 学校内なら触れられるブチブル家系の子どもに対して不利だし、 プチブル家系の子どもも、 家庭内に文化がある中産階級の子どもたちに対して不利になる。
;; そのうえ金があれば、今や、AO向けの塾で「体験」や「いい話」は いくらでも買える。
ご教示願いたく (スコア:0)
『そのうえ金があれば、今や、AO向けの塾で「体験」や「いい話」は いくらでも買える』というくだりに大変興味を持ちました.
最近の塾では体験談?も教えてくれると...
そのような実例や,面接で嘘の体験を見抜くための対策についてお考えがありましたら,ご教示いただけましたら幸いです.
# これこそお金を払うべき質問であり,恐縮ながら