Photo by Patrick Denker
忌み嫌われた「縞模様」の歴史
囚人といえば、なぜか上下縞模様の服を思い浮かべます。
最近だと、漫画「プリズンスクール」の男子生徒たちもそうだし、アニメ「ウサビッチ」のキャラもそうだし、ゲーム「ストリートファイター」シリーズに出てくるコーディーもそう。
なんで囚人は縞模様の服がステレオタイプになっているんでしょうか。
単純に、脱獄された時にそれと分かりやすいという実利的な面もあるでしょうが、歴史を紐解いてみれば、そもそも西洋で「縞模様」が忌み嫌われ、ある種「不吉」や「排斥」のシンボルだったのが根本にあるようなのです。
1. 聖書の記述と「愚か者」たち
「 レビ記」第19章19節にこうあります。
二種の糸の交ぜ織りの衣服を身につけてはならない
曖昧な書き方で、素材が同じなら色が違ってもいいのか、二種の「色の」糸の交ぜ織りなのかよく分かりません。この記述のせいで、ユダヤの慣習では2種の色が混ざった服は忌み嫌われたようです。
このように紀元前の頃から「縞模様」を避ける習慣がありましたが、 広く定着したのは中世ヨーロッパにおいてです。
着る衣服や、飾るための布の模様には、縞模様は避けられていました。
逆に望ましくないイメージとして、聖書に登場する「愚か者」を写本に描く時、その衣装に「縞模様」を描きました。
▼兄弟のカインを殺したアベル
▼イエスを裏切ったイスカリオテのユダ
その他、洗礼者ヨハネの首を求めた異常者サロメ、神の命に従わなかったイスラエル初代国王サウル、サムスンをペリシテ人に渡したデリラなど、「聖書の悪役」たちは縞の衣装を着させられ描かれました。
時代が進むにつれこの「縞模様リスト」は増えていき、文学作品に登場する悪役、例えば「ロランの歌」の裏切り者ガヌロンなど、あらゆる悪役たちが「縞模様」を着せられて描かれるようになっていきました。
2. カルメル修道会外套事件
中世最大の「縞模様恐慌」は、カルメル修道会の修道士たちが着る外套が原因で起こった。
1254年夏、フランス国王ルイ9世が、壊滅的敗北と捕虜生活という散々な結果に終わった第7回十字軍からパリに帰還しました。王は、パレスチナのカルメル山で隠遁生活を送っていたカルメル修道会の修道士数名を引き連れて帰ってきました。
彼らの格好を見てパリ市民は仰天し、次いで口汚く彼らを罵るようになった。なぜなら修道士達は「グレーの縞模様の外套」を着ていたからです。
この外套はカルメル修道会の伝統的意匠で、会の創始者の預言者エリヤの伝説に基づくとか、4つの線は「勇気、正義、賢明、節約」を表すとか色々言われていますが、とにかく他の修道士はおろか、当時の一般常識では考えられない衣装だったわけです。
カルメル修道会の修道士たちは、パリのみならず、イングランド、イタリア、プロヴァンス、ライン河沿岸など、ヨーロッパ各地の民衆から罵声を受け、時には暴力を振るわれることもありました。
見かねたローマ教皇アレクサンデル4世は、縞の外套を放棄して無地の外套を着るように修道会に要求しました。しかし答えはNO。
「外套事件」はヨーロッパ中で一大論争を巻き起こし、一時は修道会自体の存続すら危うくなる始末でしたが、1274年に就任した総会長ピエール・ド・ミヨーは教皇の意向を受け入れた。内部調整を13年した結果、とうとう1287年に「純白のケープ」を採用し、大騒ぎを巻き起こした「外套事件」は幕を閉じたのでした。
3. なぜ「縞模様」は嫌われたのか
なぜ昔の人は縞模様を嫌ったのでしょうか。
ここらへんはもう本能的なもので、例えば黒板を指で引っ掻く音が嫌なように、説明はできないけど何か嫌だ、不快だ、みたいな感覚的な領域なのではないかと思います。
ミシェル・パストゥローはこのように述べています。
地と図柄を明確に区別しないために見る者の目を混乱させるような表面構造に対して、中世人は嫌悪感を頂いていたようである。
要するに、昔は「背景があって、物や人がその前面にある」というデザインが普通であり、「柄全体をデザインとして捉える」という習慣がなかった。
縞模様には背景も前面もなく、昔の人はそういうデザインを見ると「何をどう見ればいいのか」と混乱し恐怖を感じてしまったのではないか、というのです。
いまでも縞模様を見るとぞっとする、恐怖を感じる、という「縞模様恐怖症」の人は存在するらしいし、
1945年のヒッチコック映画「白い恐怖(Spelboud)」も、白地に縞の模様を見ると発作を起こすエドワード博士が主人公です。
中世で「悪魔の意匠」とされた縞模様は、「聖なる領域」に対比する存在の者たちと結び付けられ考えられるようになっていきます。
犯罪者、障害者、低級な仕事に従事する者(下人や売春婦、死刑執行人など)、そして異教徒あるいは異教に転向した者を現すようになっていきます。
これらの者は「視覚を乱す」のと同じく「社会を乱す者」であり、秩序に反する者でありました。
4. 「劣った者」が着る縞模様
近世になると、縞模様は単に「排斥」の対象ではなく、「従属する者」を現す記号の意味を持ち始めます。
排斥されるべき者 → 自分たちより劣った者 → 劣っているため従属させられるべき存在
というように意味が拡大していったのでしょうか。特に軽蔑や悪魔的な意味を持つものではなく、単に劣った立場の者を現しました。
例えば、宮廷の下僕、給士係、軍人、狩猟係、低級役人など君主に使える身分が下の職業の者が、縞模様の服を着させられました。
▼De arte venandi cum avibusに描かれた鷹匠
▼18世紀のフランスの辞書に描かれた道化師
▼16世紀のバイエルンの伝令官(ヘラルド)
このような「縞模様=従属的」という価値観は長い間生き続け、つい19世紀までホテルのボーイや給士係の衣装デザインといえば、黒と黄色の縞のチョッキでした。
「タンタンの冒険」で出てくる執事ネストルもこのチョッキを着ています。
5. 「野蛮」の象徴
1500年代に入ると、ヨーロッパの宮廷や邸宅では黒人の下僕や奴隷を持つことが流行し、好んで縞模様の衣装を着せました。劣った異教徒であり、かつ隷属される存在である、というヨーロッパ人が考える縞模様とドンピシャの存在であります。
▼Lancret, Woman with a Servant
▼Catherine-Marie Legendre And A Young Black Servant
「黒人=縞模様」という認識は広くできあがっていき、絵画にも大きく影響を与えました。例えば、聖書をモチーフにした絵画で、「東方三博士」の1人バルタザールは昔から黒人の姿で描かれることがありましたが、この頃にはバルタザールに縞模様の衣装を着せて描かれました。
▼エル・グレコ Adoration of the Magi
バルタザールはむしろ聖人なんですが、黒人を描く場合は縞模様の衣装を着せる、という暗黙の了解のようなものがあったようです。
当時のヨーロッパ人にとって、縞模様とはそれをつけるだけで「野蛮」「文明から離れた存在」とみなすことができると同時に、ある種「異国情緒」「オリエンタリズム」を感じるデザインにもなっていくのでした。
6. オリエンタルでオシャレな縞模様
縞模様をファッションや室内装飾に用いるのは、16世紀の時代から徐々に流行り始め、18世紀後半のロマン主義の時代に爆発的に流行しました。
はじめドイツで起こり、イタリア、フランス、イングランドに広がっていき、特に上流階級で縦縞模様の服を着るのが流行しました。
特に有名なのが、フランス王フランソワ1世の肖像。
黒&紫、緑&金、黄&茶などを並べたデザインは特に貴族の間で流行りましたが、
三十年戦争で悪名高いドイツ傭兵ランツクネヒトが縞模様の服装を着て暴れまわったため、一気に地位が低下し縞模様は捨て去られてしまいました。
7. 革命のトリコロール
18世紀末にヨーロッパに吹き荒れた革命の嵐の中で、人々が掲げたのが「三色のトリコロール」です。
トリコロールは自由や民主、抑圧からの解放の象徴であり、現在でも多くの国が国旗として用いているデザインです。
トリコロールは1789年の7月のバスティーユ襲撃あたりから取り入れられたデザインらしく、「革命のフィロソフィーを象徴するアイコン」として急速に国民軍の間に広まっていきました。縞模様を身につけることは、革命に賛同し市民の団結させることであると同時に、古い価値観を上書きすることを意味しました。
これにより、縞模様はよりアイコニックな「記章」としての意味を持つようになったのでした。
8. ポジとネガが混在する縞模様
Photo by Claude TRUONG-NGOC
このように、縞模様は単純に「嫌悪」や「劣等」というマイナスな意味だけでなく、
「革新」や「斬新」といったプラスな価値をも併せ含みながら存在し続けてきました。
ぼくの肌感的にも、
青と白の太い横縞のシャツとか、縞模様のシャツと帽子とかははために滑稽に見えて、着るのは太ったオッサンか子ども、あるいはペット。
ただし服装の中に一部だけ縞があり、それが細い縦縞のスーツとか、グレーの縦縞のパンツとかだったら、オシャレじゃんと思う。
おそらく我々自身も無意識のうちに、これらの「ポジティブな意味を持つ縞模様」と「ネガティブな意味を持つ縞模様」を認識仕分けていると思うのです。
そのネガティブな意味の代表格が、冒頭にあげた「囚人服」です。
アウシュビッツ収容所に入れられた人たちは、皆この縞模様の囚人服を着させられました。
先に述べたとおり、全身縞模様だと逃亡した時に「囚人」だと見分けやすいから、視覚的にも目立つし、町の人も「こいつは逃亡囚人だ」すぐ分かるから協力しやすい。
そういった実利的な面もありますが、その裏には中世の時代から息づく「社会的追放」「特殊人物の刻印」という意味が秘められているのではないかと思うのです。
呪われた模様を一様に着させることで社会から締め出し、関係を絶ち、個と尊厳を奪う。そして刑務所という、社会から隔離された場所に「閉じ込める」わけです。
また、監獄の格子も「隔離」を象徴するアイコンとして機能しているような気もします。考えすぎでしょうかね。
まとめ
普段あまり意識しませんが、よく考えたら「縞模様」は「オシャレ」であり「アイコン的」でもあります。
以前職場に、青のボーダーのシャツを着て行ったら、会社の先輩に
「お前は佐川のお兄さんか!」
とからかわれたことがあります。
オシャレだと思っていたのに、そう言われると一気にそのシャツは「佐川のシャツ」にしか見えなくなって、着なくなってしまいました。
ボーダーシャツというシンプルなデザインにも、視覚的要素と社会的意味の複雑なからみ合いが見て取れるのです。
参考文献 縞模様の歴史 悪魔の布 ミシェル・パストゥロー 松村剛・松村恵理訳 白水ブックス
- 作者: ミシェルパストゥロー,Michel Pastoureau,松村剛,松村恵理
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2004/08
- メディア: 新書
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