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面白いブログが書きたいです(๑•̀ㅂ•́)و✧

ブログ

p-shirokuma.hatenadiary.com

何年も前から、「ブログは記事単位で読まれるのであって、人単位で読まれるものじゃない」的なことが言われてきました。まあ、大筋としては事実でしょう。それでも、すべての読者がブログを記事単位で読むわけではありません。過去ログを遡って読んでくれる人もいれば、定期購読のようなかたちで読み続けてくださる人もいます。記事単位で読む人でさえ、「ああ、またこのブログか!」って自然に覚えてくださる人だっているわけですから、ブログは意外と“点”としてではなく“線”として読まれることもあると思うんですよ。そうやって、「このブロガーはこういう奴」という“印象”がかたちづくられていく。
 
そのプロセスに対して、繕ったキャラを魅せたい・演出したいなら、みせたいものをみせるべく、ブログに演技を書くべきでしょう。でも、私はそんなのまっぴらごめんで、私という精神の多面体の、凸凹したところ・偏ったところ・長短併せ持ったところを、そのままブログに投げ出したいし、ご覧いただきたいと願っているのです。
  
うわ、こうやって書いてみると変態みたいだ……。

変態先生に同意したので、以下に雑文を少し。
感じたところを少々。
※とりとめない雑文ですので暇な方どうぞ



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面白いことを


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結局、職業ライターとブロガー*1の大きな差異はやはり「自分が書きたいこと、興味が赴くことを書く」のかそれとも「収益や仕事として興味如何関係なく書くか」という部分にあるように感じる。
職業ライターになりえないのは文章力云々よりもこういう「利益のために興味がないことについて書く」という行為であって、だから職業ライターが何の興味もないような対象について取材を行ったり、あるいは魅力的に見せるための美辞麗句を連ねたりするのを見ているとよーやるよと思うと同時に自分では真似できないとも思い知る。

で、興味が赴くことを書き連ねていくわけだからブログという点と点が繋がり線となって一つの形を作り上げていく。
そりゃあそうですよ。
なにせ柱の傷は一昨年の五月五日の背比べ~♪なんて歌もありますが、年に一度の成長記録としての柱の傷ですら「こんなに成長したんだねー、あの頃はまだ小さかったよねー」などと感慨を覚えるのに、ブログなんて何千何万字を連ね、心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく書き綴ってるわけですから、そりゃあやしうこそものぐるほしけれ。
ある種のパーソナルログ。

ブログって自分を丸出しにしている人もいればある程度距離をとっている人もいる。
この距離感というのがなかなか難しい。

よく、ブログを長続きさせる秘訣は書くことを楽しむことだ、と言われるけれども、そもそも、書くことが楽しくなる秘訣は、自分が面白いと思っていることを書くことであり、自分がつまらないと思っていることを書かないことだと私は思います。書いて面白い、読んで面白いものを書いている限り、モチベーションが切れるってことはまずないし、そこにはてなブックマークが10~20も付けば脳内麻薬がガンギマリですよ。

ガンギマリキメセク先生の言うとおり、自分が面白いと感じることを面白いと書き、それが面白いと伝わることが一番面白い。
自分の温度と読まれた温度が違うとがっかり感がある。
あとネタが被って全然読まれなかったウケなかったとき、さらに言えばもっと上手く書かれているのを見つけたときの「うわー、完全負けたな*2。もっと賢くなりたいなー」というあの感覚。
最近の自己肯定マンセーな人らと違い、自分自身で三流の書き手だという自覚があるのでそれなりに情報を揃え、それなりに書き込まなければとてもじゃないけれど評価されないのは理解してる。
とまれどこぞの人気ブログのコメント欄でたまに見かける「文章力がすごい!」には疑問符が並んだりするんだけども。
文章力っていうか、単に読み下ししやすいだけを文章力と言われても……。

そして自分を丸出しにしていればしているほどブログは自分自身のアバターになっていき、そうなると打たれることがきつくなっていく。
だからこそ長く続けるのであればブログと自分の間にフィルター一枚噛ませるのがとても大事。
剥き出しの自意識は脆いものですが、剥き出しのブロガーって見ていて危うい……まぁ、せいぜい頑張ってください。

いちいち反応を気にしてあーだこーだやってる人もいますけど……。
ブログ向いてないと思うんだけどねぇ。
炎上させ注目を浴び、突っ込みどころを用意し注目を浴び……そのやり方楽しいのかしらねぇ。


この辺の感覚がアフィ系の人らだと結構違って明確に金額やPVとして現れるんだろうし、逆に言えばそれは自身の興味と必ずしも比例しない。いわば努力しなきゃいけないわけじゃないですか。
ブログって努力して書くものじゃないと思っているので、そいうか努力しないからこそ続くわけで。
だから「更新しなきゃ!」だとか「もっとPVを稼がなあかん!!」みたいなぎこちないプレイスタイルは続けるのが大変だろうなーとしか感じないし憧れない。
悠々自適にアクセス関係なく書いてるような人の方が、読んでも面白いですから。

友だち100人できるかな?

ウチは結構ギスギスした感じが多くって、それはいい風に言えば歯に衣着せぬということなんだが、別に100人なら100人に好かれたいわけじゃないしそりゃあ嫌うひとも山ほどいるのでそれはそれでいいと思っている。
どっかで「あざなえる~にはブクマしたくないのでこっちにブクマ」とか書いてる人もいた。
まぁ、コミュニケーションすれば理解しあえるのかもしれないけれど、無理して好きになってもらおうとも思わないので。
嫌うのも自由ですから……(涙)。

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で、嫌われたくない人って書き方もやはりそういう思考が出ていて、だからこそ急に炎上したりするとあたふたしてしまう。
なにせ嫌われたくないしブログを通じて仲良くする人らが増えたのに急に手斧持った見知らぬ連中が好き勝手言い始めるわけですから「非難する奴はクズだ」「否定的コメントをする奴は精神が歪んでる」とかいう極論に飛びつくのもいつもの光景。
年に何度か見ますねクマクマ。
で、仲良しこよしのコメントは炎上しても逆張り。

「またこいつ批判コメントDIS始めてるよー」
「またブックマークしてるよー、こいつら。もういいだろ同じネタなのにさー」
「そりゃあ無理に更新してるからネタもないし、こんな感じになるわなぁ……」
「うわ、また新着に入ってるわ……はてなフィルター搭載はよ」
 
誰にも嫌われたくないならネットに自分をさらさない方がいい。
誰にも彼にも好かれるなんてまずありえないんだから。
意思や思考を言語化すればするほど。
 
 

何を書くのか

ブログに書くことっていうのは現実では話せないことで、現実でこんなことを喋ってたら気持ち悪いとかめんどくさいとか、そういう評価にしかならんでしょう。

逆に言えばブログに書くことがない人っていうのは「何かしら言いたいこと」を現実で言えてるのかもしれない。
現実で満たされてたらそれこそフェイスブックに毎日写真でもあげて「いいね!」でも稼ぎまくりですよ。
でもこうやって独りでゲーム・オブ・スローンズを観ながらVAIOをカタカタ叩いてるのは、何かしら満たされていないからかもしれない。
満たされない、というかこういう言いたいことを言いたくても誰にも言えないってことなんだろう。
そりゃあ主婦が発言小町にハマるわな。

よくブログのネタがない時にどうする?みたいな記事を見かけるけど、そういう意味で言うなら面白いこと感じたこと面白くないことあらゆる己の感情変化を外に出さずに溜め込んで熟成させればそれなりに書くことができるんじゃないのかしら?と思ったり。
あとはそれを言語化すれば一丁上がり。
自意識剥き出しガンギマリ先生の獲物が出来上がる仕掛け。

FUCK'IN NEVER DIE

ブログは連続小説どころかヘタすりゃあ死ぬまで続くネバーエンディングストーリー。
そいつの人生の断片がそこにひたすらつづられていく。
それが良かれ悪しかれ人生の一度しかない時間をそれなりに使い思考を言語化して書き連ねてる。
商売っ気剥き出しの人もそれはそれ。
「お金が欲しい」「注目されたい」「何か言いたい」
どんな動機であれブログってのは根本は変わらないんでしょうよ。

そしてどっかで更新が止まればそれがここでの「死」。
閉店ガラガラ。
あっけないもんです。


もっと面白い記事を書きたいもんですねぇ。
安定して満足したクオリティを保ちたいものです。

ブログ論が最近多かったんでこの辺で打ち止め。
来週は「殊能将之未発表短編集」「ケルベロス 鋼鉄の猟犬」感想など予定しております。
ご清聴ありがとうございました(fadeout……)。

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*1:この呼称はあまり好きではないが区別として

*2:勝ち負けではないが勝手にそう思ってる