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現代日本の足跡に学ぶ(8) 東工大講義録から
2013/11/25
今回は日本の戦後の「高度経済成長」をテーマに取り上げます。その真っただ中で、1964年(昭和39年)に開かれた東京五輪は、日本が戦後復興を遂げた輝ける時代の象徴として今も語り継がれています。2020年に再び東京五輪が開かれることになりましたが、日本経済は再び輝きを取り戻しているのでしょうか。
■その年、10月10日は青空だった
日本が戦後復興の貧しい時代を経て、高度経済成長期を迎えたのは1955年から1970年ぐらいでしょうか。その途中の1964年10月10日、東京五輪が開幕しました。抜けるような青空に自衛隊機がシンボルマークの五つの輪を空に描きました。つい「東京は空気がきれいだった」と思い込みがちですが、そんなことはありません。当時、東京の空はスモッグに覆われていました。実は前日の9日に大雨が降りスモッグが洗い流されたのです。
五輪開催に際して、世界中から訪れる大勢の人々を迎えなければいけなくなりました。ところが社会的なインフラが足りません。そこで「道路を造ろう、鉄道網を広げていこう、上下水道を整備しよう」と取り組んだのです。これらの工事が増えて雇用が生まれ、人々の給料が増えて消費が増えます。一方、道路が整備されれば、輸送時間が非常に速くなります。鉄道が整備されれば、人やモノの動きもさらに活発になっていきます。経済発展につながる好循環のきっかけになったのです。
こんなエピソードもあります。首都高速道路ができたとき、当時のマスコミは「なんと無駄なものをつくったのだ。自動車が走っていないじゃないか」と指摘したというのです。こんなことを報じた記者にいかに先見の明がなかったかわかるのではないでしょうか。
1964年10月1日には東海道新幹線が開通しました。私が初めて東海道新幹線に乗ったのは1968年。京都への修学旅行に向かう高校生の時でした。列車のスピードに友人たちと大興奮。「おい、窓が開かないぞ」といって大騒ぎをしたほどです。
一方、町では一大クリーンキャンペーンが行われました。北京五輪の前にも同じ運動があり、その光景を見た日本の人たちは「あんなことをやっている」と笑っていましたが、実は同じことが行われていたのです。私も小・中学生のころ、町内をあげてごみを拾い、掃除をしたことを覚えています。
戦後の日本はどうして高度経済成長期を実現できたのでしょうか。1950年(昭和25年)に起きた朝鮮戦争に伴う特需が復興を後押ししたといわれます。1951年に国際社会に復帰して、輸出で外貨を稼げるようになりました。米軍が日本国内に基地を持ったことで、日本は経済に専念することができたという環境も大きかったでしょう。
■所得倍増を打ち出した池田勇人首相
そして大きなポイントになったのが1960年(昭和35年)。日米安全保障条約の改定に伴って日本中が揺れた「60年安保」の後、岸信介首相が退陣し、大蔵省(現財務省)出身の池田勇人首相が登場したことだと思います。
岸氏が冷たい印象のエリートで、国民の人気がなかったのに対し、池田氏は「挫折を知っている苦労人。非常に明るい」と、世の中の首相に対するイメージはすっかり変わりました。池田氏は当初「月給2倍論」を考え、「社会的なインフラを整備していけば、十分発展する可能性がある。これから皆さんの給料を2倍にします」と言い出しました。
ところが首相のブレーンから待ったがかかりました。「月給をもらうのはサラリーマンでしょう。自営業者や農業の人たちは月給をもらうわけではないから国民の広い支持を得られませんよ」と助言したのです。
「その通りだ」ということになり、有名な「所得倍増計画」という経済政策が改めて打ち出されたのです。その背景には首相ブレーンたちの日本経済の将来に対する綿密な分析と予測がありました。当時、日本人が政府の政策を信じることができる時代でもあったのです。
私は今も覚えています。選挙の時、テレビCMに池田首相が出て「皆さんの所得を10年で倍にいたします。私はウソを申しません」と宣言したのです。純情素朴な池上少年は「首相がウソをつくわけがないだろう」と思って、奇異に感じたのです。
やがて「そうか、政治家はウソをつく。当たり前じゃないから、あんなふうに言ったのか」という現実が分かってきました。でも、池田首相はウソをつきませんでした。「所得倍増計画」を実現し、約束以上の成長をつかむことになったのです。
■日本人の貯蓄の好きの原点
終戦直後、日本の政府は社会インフラの整備や企業の投資に必要なお金をどのように集めたのでしょうか。当然ながら政府にも潤沢にお金はありません。あるいは民間企業が投資をしようにも、銀行が貸すお金も十分にはありませんでした。
そこでまず「一大貯蓄運動」が始まりました。「国民の皆さん、銀行に貯蓄をしましょう」という運動です。そして、とにかく貯蓄が大事ということを国民に刷り込むために、「こども銀行」という制度が始まりました。
例えば、親からお小遣いをもらったり、お年玉をもらったりすると、それを銀行に預金しましょうと勧めたのです。銀行が子供用の特別口座をつくって、学校で預金ができる仕組みをつくりました。「預金が大事」と、私たちの世代は徹底的に刷り込まれました。そして、その預金を使って銀行はさまざまな企業に融資し、さまざまな投資が行われるきっかけになったのです。
今はなくなってしまいましたが、政府の「財政投融資」という仕組みがありました。国民が郵便局を窓口に貯金した「郵便貯金」が財源にあてられました。大蔵省から郵政省(現総務省)には利子が支払われ、貯金した人に届けられました。さらに大蔵省が政府系金融機関を通じて「特殊法人」と呼ばれる組織に資金を貸し、それを通じて大企業などが投資資金として利用できるようになったのです。
民間にも日本長期信用銀行(長銀)、日本債券信用銀行(日債銀)、日本興業銀行(興銀)という3つの長期信用銀行ができました。当時、都市銀行だと定期預金といっても1年間あるいは2年間ぐらいの期間しかありません。そうすると製鉄会社が5〜10年かけて新しい製鉄所を造るような資金として利用するには向いていないのです。
そこで、長期信用銀行という仕組みをつくり、高い利子をつけた5年満期の「債券」を売り出しました。これで得た資金を長期にいろいろな企業に貸すことができるようになりました。こうした環境も、日本人のいわゆる「貯金好き、預金好き」を育んでいきました。ただ、日本人が昔からそうだったわけではありません。いわゆる「江戸っ子は宵越しの金を持たない」という言葉があるくらいでした。
■春闘を通じ賃金が毎年上がった
ただ、経済というのは本当に難しいものです。その時は仕組みが評価されていたとしても、時代環境が変わってくると、かえって非効率になることがあり得るからです。「財政投融資」は、小泉純一郎首相の郵政民営化によって消えてなくなりました。
あるいは経営体力のある都市銀行なども10年単位で企業に資金を貸し出せるようになりました。都市銀行の投資力が高まり、長期信用銀行という業態自体がうまくいかなくなりました。結局、長銀と日債銀はバブル景気がはじけたあとに破綻してしまいました。興銀は生き残りましたが、みずほ銀行のグループに吸収されています。
池田首相の「所得倍増計画」は働く人々に大きな影響を及ぼしました。労働組合が「10年で給料を倍にしてほしい」と会社に主張し、賃上げを求めるようになったのです。今でこそ死語のようになってしまいましたが、春に賃金について労働組合と会社が交渉をする「春闘」が舞台となりました。
春闘では、経済が成長し、物価が上がることをふまえ、前年よりも基本給を上げる議論が繰り返されました。給料の賃金表を書き換えて、賃金水準のベースを上げる「ベースアップ」も交渉の対象でした。
たとえば2万円の初任給を翌年に2万2000円に上げ、さらにその翌年に2万4000円に上げたとしましょう。基準となる初任給が上がれば、それ以外の社員の賃金の水準も上がっていくわけです。さらに係長、課長そして部長になると、役職に応じて少しずつ給料が上がっていく仕組みもありました。
高度経済成長期は、いわゆる右肩上がりの時代でした。結婚して子供を育てたり、住宅ローンを借りてマイホームを建てたりといった人生設計を描けた時代だったのです。会社も「終身雇用」という働き方や、「年功序列」という賃金体系を重視していました。社員は定年まで同じ会社で働き、わずかな差はあるけれども、同期社員はみんなある程度のところまでは一斉に昇進していくことができました。
日本人は自分自身の将来を考え、目標に向かって一生懸命働き続けることができたのですね。映画のワンシーンで見たことがあるかもしれませんが、当時の人々にとって1958年(昭和33年)に完成した「東京タワー」は観光名所としてだけでなく、高度経済成長を象徴するシンボルのような存在でした。
■三種の神器を知っていますか
人々の所得が上がると購買力が高まり、住宅だけでなく、自動車や家電製品などさまざまな製品が売れました。そこから「三種の神器」という言葉も生まれました。もともと天皇が天皇である根拠となる3つの神器を指した言葉ですが、人々の暮らしの場合は何でしょうか。
最初の三種の神器は、「白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫」でした。私が子供のころの冷蔵庫は、一番上が氷置き場になっていて、氷屋さんから買った大きな氷を置くわけです。冷気が下に下がり生鮮食料品を長持ちさせるものでした。氷が解ければおしまい。果物なども井戸水で冷やすことが当たり前の時代でした。
やがて冷凍庫付き電気冷蔵庫が発売され、冷蔵庫でビールを冷やせるようになり、冷凍庫でアイスクリームを保存できるようになりました。すると、「冷たいビールはなんておいしいのだろう」ということになり、ビールが爆発的に売れました。アイスクリームも売れるようになりました。まさに消費が消費を呼ぶ現象が起きて、企業はさらに新しい製品をつくっていこうという開発意欲が高まっていったのです。
今でも覚えています。1962年(昭和37年)、米国のケネディ大統領の弟でもあるロバート・ケネディ司法長官が来日して早稲田大学で講演しました。講演後、学生との質疑応答がありました。
ある学生が「ケネディさん、あなたのエネルギー源はなんですか」と質問しました。そうしたらケネディ長官は「アイスクリームです」と答えたのです。私を含めて、これを聞いた日本人はとてもびっくりしました。
当時、日本でアイスクリームといえる商品は、単に砂糖水のような材料を凍らせただけのものでした。「あんなものを食べて、なんでエネルギー源になるのだろう?」ということになったのです。
ところがマスコミが調べてみたら、なんと「米国では乳脂肪分が8%以上あるものをアイスクリームと呼んでいるらしい。本当に栄養があってエネルギー源になる」ということがわかったのです。
それから日本では、アイスクリームとアイスキャンディーは別の商品であると区別するようになり、商品の基準が変わりました。アイスクリームで栄養を取れるということは、ケネディ長官の一言から始まったのです。
やがて三種の神器の構成品目が変わり、「新・三種の神器」がもてはやされるようになりました。白黒テレビがカラーテレビになり、自動車、クーラーが新たに登場しました。
ところがクーラーはとても高価で、家庭に気軽に置けるものではありませんでした。そこで会社にクーラーが設置されるようになると、家に帰ると暑いから、終電ぎりぎりまでクーラーのある涼しい会社で残業をするようになったともいわれています。
いわゆる所得倍増計画がスタートし、国が長期計画を立て、そして預貯金の増強奨励運動をし、銀行に資金が集まるようになり、銀行がそれをさまざまな企業に貸す。そして企業がその資金によってさまざまな投資をする。いわゆる設備投資が動き出しました。さらに工場を造るためには、そのための建設資材、コンクリートや鉄骨といったものが売れるわけです。
すると鉄鋼メーカーが新しい製鉄所を造ったり、セメントメーカーがセメント工場を造ったりしました。まさに投資が投資を呼ぶわけです。政府が所得倍増計画を推し進めていた当時の経済成長率(実質)は、平均して年7%を超える水準でした。日本はおよそ10年にわたって高成長を持続し、池田首相が唱えた計画は10年たたずに実現したのです。中国の経済成長率は7〜8%ですね。まったく同じ水準です。
■経済成長の陰で農村が衰退した
ところが、日本の経済全体は発展し続けていたのに、農村の人口はどんどん都会に移り農業はみるみる衰退していきました。たとえば農家の子供たちが就職先を求めて都会に出て行きました。いわゆる「集団就職」です。特に1960〜1970年代にかけては、中学校を卒業した若者たちが就職列車に乗って次々と上京しました。そんな上野駅での風景を見たことがあるかもしれません。若者たちは「金の卵」とも呼ばれました。
まさに中国が同じような状態です。中国の農村から労働力がどんどん都会に出て、安価な労働者として利用されてきました。例えば、上海や北京など、沿岸部の工業地帯では安い給料で労働者を雇えるので、労働者が「給料を上げてくれ」と言ったら、会社側は「まだ働きたいやつはいくらでもいるから、嫌なら辞めてくれ」と言えたのです。
ところが、ついに農村から無尽蔵に安い労働力を確保できなくなりつつあります。労働力の供給に限界が見え始め、人件費が上がり始めたのです。
ただし、中国の政府あるいは各省の地方政府が発表している統計数字はあてになりません。首脳の1人がかつて、「中国で発表されている統計データは単なる参考データだ」と発言したことがあります。実際、各省の経済成長率は、国全体よりずっと高いのです。平均すると数字が合いません。また、輸出量も大きくなっているけれども、実際とは異なるようです。電力使用量や鉄鋼使用量も経済成長ほどには伸びていないという指摘もあるくらいです。そもそも経済の実態を把握するデータそのものに問題があることが危惧されます。
海外へ取材に出て感じるのですが、いま日本の高度経済成長の直前ぐらいといえば、トルコでしょうかね。そして、あと20年もするとアフリカも日本の高度経済成長のような時代になっていくのではないかという印象があります。かつて日本で起きた歴史を振り返れば、開発途上国も同じように成長を実現できるのではないかと思います。
学生の皆さんの中には、将来、トルコで仕事をする人がいるかもしれません。アフリカで技術者あるいは研究者として働くことになるかもしれませんね。その国の将来を展望するうえで、日本を振り返ることは大きな意味があるのではないかと思います。
■真価が問われるアベノミクス
一方、日本では安倍晋三首相の「金融緩和」「財政出動」そして「成長戦略」から成る経済政策「アベノミクス」の行方が焦点となります。首相就任後から株価が上がり、高額商品が売れ、マンションの契約率が上がるなど、就任前の景気とは経済環境は大きく変わっています。
報道などによれば、大手企業ではこの冬のボーナスは大きな伸びが期待でき、来春の労使交渉でも賃上げがテーマとなっています。池田元首相が唱えた「所得倍増計画」のようなインパクトはありませんが、働く人々の所得が増えて消費が盛り上がるかどうかが、本格的な成長への道筋を確保できるかどうかの関門になります。
一方で日本は国内総生産(GDP)の2倍の規模に及ぶ1000兆円の借金を抱えています。高齢化社会が急速に進み、社会保障費のさらなる増大は避けられない情勢です。2014年4月からの消費増税が決まり、財政再建への第一歩を踏み出すわけですが、消費税8%で終わりというわけにはいかないのでしょう。
高度経済成長期の自動車、電機、鉄鋼などのように、持続的な成長をけん引する主力産業を育てていく必要があります。しかし、どんな成長戦略を描くのか具体的な中身が不明です。
2020年東京五輪の開催に伴い、数兆円規模の経済効果が期待できるという試算もあります。日本経済は五輪開催も起爆剤に、再び輝ける時代を築くことができるかどうか岐路に立っているといっても過言ではありません。日本の未来に期待を抱ける時代を築けるかどうか、待ったなしの7年間を迎えているのです。
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