「思い切り生き抜いてみたい。」
死に向かって着実に毎日歩みを進めている。
今、こうしてパソコンに向かってブログを書いているこの時間も着実に死に近づいている。
平均寿命が80年だからと言って、本当に自分は80年も生きれるのか?
明日不慮の事故で・・・なんて可能性もある。
そうなった時、自分は今までの人生を後悔することになる。
努力していない訳じゃないけど、死ぬ気でやっているかと尋ねられれば、死ぬ気でやっていることなんて一つもありはしないから。
深夜テンションでこんなことを書いている訳ですが、たまには(というか最近こんなのばっかり)良いかな。
何の為に生まれてきた?
お母さんのおなかの中から出てくる時、1.5トンもの圧力を受けて出てくるそうです。
記憶には無いけれど、当時の私はとても苦しかったでしょう。
それと同等にお母さんも苦しかったと思います。
今でこそ私も母も元気に過ごしていますが、当時は相当に苦しい思いをしてまで生まれて、そして生んでくれた。
そんな苦しい思いをして、しかも今もその当時ほどの苦しみはないにしろ、色々と大変な思いをしている。
そんなことまでして、自分は何の為に生まれてきたのか?
答えはいくつもあるかもしれないし、本当は一つしかないのかもしれない。
その答えを25歳の自分が出したとして、あと1年も経てば変わっている可能性は非常に高い。
それどころか、明日の時点で変わる可能性もある。
「何の為に生まれてきた?」なんて難しい事を考えるよりも、今を死ぬ気で生きる方が大切なんだと思う。
思い切り人生を生き抜いてみたい!
「本気で生きてる?」
こんなことを聞かれれば、決して「はい」とは言えないぬるい人生を送ってきた、送っていると思います。
「たばこをやめる」と決めてやめたくせに2週間でまた吸い始めた。
「ゲームは1日1時間」と決めたのに自分に言い訳してずっとやっている。
彼女に「ありがとう」と言うと決めたのに恥ずかしくて言えない。
最近の事を思い出すだけで、自分が中途半端にしてきたことが山ほど思い浮かぶ。
何もかも中途半端でやり切っていない。
自分の中で悔やんでいる2年前の職場での出来事だって、自分が気持ちを切り替えてしっかりと主張していれば酷い状態にはならなかった。
今、こうして思い出しながら書いてみても「後悔」しか思い当たりません。
この先も「あそこで〇〇しておけば良かった」って思う人生だとしたら?
耐えられませんね。
もう後悔するのは飽き飽きです。
「俺は思い切り生き抜いてる」という感覚を持ちながら生きていきたい。生き抜きたい。
本気でそう思います。
人の中に紛れると「思い切り生きたい」意識が薄れる
自分一人で考えている時は雑念も少ない状態なので「やってやる」という気持ちは持てます。
人と関わるとその気持ちが薄れる。
考えることがいっぱい出てくるからというのは分かっているが、そんな自分がどうにも好きになれない。
「やる」と決めたくせにすぐに忘れる。
追い込み過ぎなのかもしれないけど、少しくらいは日常生活にも刺激を持っていないと「死ぬ気」なんて到底意識できやしない。
明日人生が終わるとしたら何がしたい?
もし、明日人生が終わってしまうとしたら?
暴れたいかな、破壊衝動の方じゃじゃなくてね。
なんか、なんでもできる気がしてくるからとりあえず思い切り叫んだりするかも。迷惑のかからなそうな海辺とかで。海近くにあるし。
他には、今深く関わっている人たちに「今までありがとう」って言う。
明日人生が終わるとしたら、感謝の気持ちは伝えないと死にきれないし。
今まで色々なテレビや本で「死ぬ前は感謝の気持ちを伝えたくなる」とか言っていたのを「何で?」って思ってきたけど、実際に考えてみるとやっぱり感謝したいな。
親には「生んでくれてありがとう」って。育ててくれたことも感謝したい。
彼女にはわがままばっかり言った事を謝罪しつつ、感謝する。
嫌いな上司には「貴重な経験をサンキュー」と生意気言ってみる。
普段言い合いばかりしている同僚には「いつも相手にしてくれてありがとう」
こんなことを書いていると、本当に悲しくなってくるから、こんなところにしておきます。
まとめ
後悔する人生はもう嫌です。
後悔しない為には「コツ」とか無しに、常に思い切り生き抜くという強い気持ちが必要。
なんだかんだ考えることも大切だけど、考えたあとは死ぬ気でやるようにする。