「フライデーが発売される2日前、2月17日夜8時過ぎに師匠の携帯に電話したのですが、留守電でした。翌朝8時前に折り返しがあって、師匠は『たいへんなことになってるんや』と慌てていました。これが最後の電話になりました」
こう打ち明けるのは演歌歌手の紫艶(しえん・38)だ。「師匠」とは、上方落語界の重鎮、桂文枝(72)である。本誌は先週号で紫艶が18歳のころから師匠と不倫関係にあることをスクープした。
ところが文枝師匠は報道陣に対し、
「彼女とは2年前に東京の落語会に来ていただいたときにお会いしたのが最後。それ以前も10年から12年ほど会ってない」「娘のような感じで応援していた」
と潔白を主張。スポーツ紙やワイドショーなどは連日、二人の「20年不倫」を取り上げつつ、こう、紫艶を責めた。
とっくに別れていたのに、カネに困って昔の話を売ったのでは? 師匠に捨てられそうになって、精神的に追い詰められて暴露したのでは? 売名?――と。
今回、本誌は再び紫艶に取材を試みた。
昼夜を問わない取材攻勢やいわれなきバッシングに疲れ果てたのだろう、「ノーメイクですいません」と言ったきり、しばし沈黙。しばらくして、意を決したように語り始めた。
「私の実家は兵庫県にあるのですが、小さな町なので、今回の件を受け、変な噂がたちまち広まってしまって……。母は『売名行為だ』とか、いろいろ言われ過ぎて体調を崩し、倒れてしまいました。師匠が家族を大事にされているように、私にも家族があります」
師匠は一度、私の実家にいらっしゃったことがあるから、おわかりになると思います――そう続けた後、紫艶はこう語気を強めた。
「誤解を解くため、真実をお話しいたします。そして私は芸能界を引退します」
「師匠と最後にお会いしたのは2ヵ月前。東京で仕事をするときの定宿、『ホテルニューオータニ』の部屋に呼ばれました。夕食後だったので夜9時を回っていたと思います。いつもの、ツーベッドルームの広い部屋でした。翌朝、往復のタクシー代をいただいて帰りました。師匠は会見で『最後に会ったのは2年前の落語会のとき』とおっしゃっていましたが、事実と違います。去年も新宿の『ルミネtheよしもと』など、いろんな劇場に会いに行っています」
――師匠は「10年ないし12年間、まったく会ってなかった」とも言っています。
「師匠はただでさえ忙しい方。一方で私も舞台に出演したり、母が体調を崩して関西の実家に帰ったりしていたので、会えないときもありました。ただ、せいぜい2~3ヵ月空くくらいのもの。少なくとも2ヵ月に1回、お会いしていました」
――師匠との不倫は20年間に及んでおり、少なくとも2ヵ月前まで、お二人は男女の関係にあったということですね。
「……はい」
そう言って紫艶は記者にLINEのやり取りを見せた(フライデー本誌に掲載)。
二人は2月16日の午前中まで、ラブラブLINEを送りあっていた。芸能リポーターはいったい何を取材しているのか?
しかし、この日の夕方、本誌が紫艶を直撃したことで「20年不倫」は終わりを迎えた。謝罪会見に師匠が千利休ヘアで登場したのは皮肉である。
紫艶によれば’99年、『女性セブン』に「東京妻の逆襲」なる記事が出た際に多数のプライベート写真が掲載されて以降、師匠は写真を撮らなくなったという。
「あくまで私はそう感じた、というだけですけど……。ただ、少ないですが、最近撮った写真もあります」
ちなみにフライデー本誌には不倫が始まった初期、紫艶が19~20歳ごろに撮られたものが掲載されている。その写真は、こんな様子を伝えている。
師匠の弟子、彼女の知人の4人でドライブする道中、後部座席に並んで座った二人は、カメラの前で堂々と唇を重ねるのだった――。
「師匠には立場があります。いろいろな方を守るため、不倫を否定したことは理解できます。でも、私にも守るべき家族がある。だから今回、真実を話させていただきました。そのケジメとして、芸能界を引退します。これで許されるとは思っていませんが、私にできる精いっぱいの責任の取り方です。釈明会見で師匠が『歌を頑張って』と言ってくださったときは心が痛みましたけど……後悔はありません。師匠と出会えたことが、私の人生の宝物だから」
’71年から続く師匠の代名詞的な番組『新婚さんいらっしゃい!』には、視聴者から多数のクレームが寄せられており、「厳しいご意見もいただいております」(朝日放送広報部)。
大御所の20年不倫は紫艶の引退で収束するのだろうか―。
PHOTO 香川貴宏
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