読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「常に初陣」

スポーツ・ニュースネタ(主に馬鹿ニュース中心w)や動画などの備忘録ブログです。2015/10/05タイトル変更しました。

「はてなブログは1つの教室」…か。

Small Talk(四方山話)

はてなブログは1つの教室 - たい焼き親子は空飛ぶ夢をみる

ちょくちょく拝読しているブログさんの記事より。

あー、そうかもなーなんて思いつつ、私は昨日こんなツイートをしたんすけどね(苦笑)

と(苦笑)。

実はクラス行事は大嫌いでした(爆)。

私の場合、中学の時のクラスが仲が良くて居心地が良すぎたんで、高校の時は学校を離れてプライベートで遊ぶような同級生は「作らなかった」んですね。基本、学校の外での付き合いは、中学の時の友達が中心でした。

ま、高校生の時点で、ラジオの深夜放送のリスナー仲間のおしゃべりサークルを作ってそれに入り浸っちゃって(それが3年目から暇つぶしでクイズやゲームをするのがメインになり、10年目でクイズサークルに看板が替わり、今年で24周年を迎えることになってしまったわけですが…)、それこそ他校とか、社会人の人たちや、上は30代のおじさん、更に同じ趣味の他のサークル人たちなど、職業も住んでるとこも年齢も全然違う人たちと月一で会ってわいわいやるようになっちゃったんで、「狭い空間に拘るのがバカバカしい」と思っちゃったのがもう致命的でしたね…。

特に一番ひどかったのが高2の時ですかねー。クラスの担任も大嫌いだったし、クラスメートも話題も相性も合わなくて、教室では科目になって「気配を消して、いかにして個人主義に走って、そういう行事はサボるか」しか考えてませんでしたから(私はかなり日ごろは饒舌ではあるんですが「気が向かないと全く喋らない」「全く喋らなくても平気」という性格でもあるんですね)。

当時、うちの高校の修学旅行は高2の3学期に東北にスキーに行ってたんですが(最近は沖縄に行くようになったらしいですね。隔世の感だ…)、最初からそんなもん行くつもりはなく、親には「積立金、戻ってきたらどこか貧乏旅行でも行ってくるから」なんて宣言してまして、親も「勝手にしろ」的な感じでしたし。なんか班決めみたいな時も、堂々とサボって早退してましたしね。「俺、行かないから勝手に決めといていいよ」と。そしたら本当に修学旅行前夜に発熱してしまう自分の便利な体と来たら(爆)。

※で、その積立金は後日、九州方面に貧乏旅行しに行った際の資金となったのでした(苦笑)

文化祭なんかはまず先にバックレを(以下略)

うちの高校は毎年9月に文化祭がありまして、今でこそ「収益は慈善団体に寄付をする」という名目で食べ物屋さんとかが解禁になったんですが、私が現役の頃は校則だったか何かでそういうのは一切禁止で、何しろ学校指定のスクールバックを廃止する云々で、全校にアンケートや投票をするという発案をしただけで生徒会と職員会議が大揉めになった、というぐらい管理教育が厳しい時代だったんで、学校側の理解がない、まったく面白みがない文化祭だったんですね。と、同時に部活も入ってなかったし、高校でそれほど仲の良い友達も作らなかったんで、まあ文化祭だと居場所がない、みたいな感じでした。

でどうなったか、というと、文化祭は毎年2日間行われてたんですが、高1の初日に「あ、居場所がないから辛いわ」と、以後3年間、ほぼサボってました。とりあえず遅刻しないように登校して、教室のSHRだけ出て、各自が自由行動で散った後にしばし図書室で本でも読んだ後に、事務室に早退届出してさっさと帰る、と(失笑)。

高3の時に、クラスで教室にてボウリング場みたいなお店をやったような記憶があるんですが、その時が結構教室ではお客さんも来て大盛り上がり…だったにも関わらず、私は前述の趣味のサークルの定例会をぶつけてしまい学校をさっさと早退して制服姿で市内の公民館での定例会に行く始末。後で担任の先生(おばちゃん体育教師の先生でした。この人はいい先生でしたね)に「なんで帰っちゃったの?高校最後の思い出としてみんないい感じで参加してたのに」と、ぼやかれる始末でした。ま、適当に「すんません。予備校の模試がありまして」とかごまかしたような記憶が…。

大学の文化祭ではもっとひどかった(爆)

その後、大学でも文化祭で当時入ってたサークルではいろいろと出し物をやったんですが、クイズ研究会に入ってた時に、前日が趣味のサークルの定例会で「東京の地下鉄を使ったおにごっこ+オリエンテーリング」みたいな企画をやっておにで逃げまくってた、ということをやって、かなり疲労困憊な中翌朝を迎えて、大学に行くと、教室を借りて、一般客向けにクイズ大会をやる…という事だったらしいんですね。

私は大学でも「なんか内輪内輪したモノが大嫌い」だったんで、後輩ができたら後輩に丸投げしてしまい、ほとんどノータッチになってました。が、早押し機だけは、当時6端子の「ピンポンブー」という市販されていたおもちゃのそれがあったんですが、私は別のサークルで自作した8端子のを持ってたので、それを貸し出してたんですけども、なんか後輩のひとりが「早くしろよ。もっと協力しろよ」的な態度で接してきたんですね。いつも顔を出さないくせにこういう時は顔を出してきて…って思われたんでしょうね。

で、どうしたか。「黙ってその早押し機を持って帰っちゃった」んですね。親しい後輩には「あとはお前らで勝手にやれ。俺は知らねえよ」と。大学は山の中腹にあったんですけど、原付で山をダーッと降りて帰る時の清々しさと来たら。で、アパートに帰って、とっとと寝ましたけどね。携帯電話の電源を切って(←ヲニw) 

そしたら、後で聞いたら、ピンポンブーが絶不調でかなりクイズ大会に支障をきたしたらしく、「先輩が持ってる早押し機は?」「持って帰っちゃった」「なんで先輩は帰っちゃったんだ」「××が怒らせたらしいよ」「ひえー」みたいな事になったらしいです。後で親しい後輩からぼやかれましたけどね。「そういう談志師匠みたいなとこがあるから先輩は怖い」と(;゚д゚)

その後、そこのサークル、私が入学した時には5人ぐらいしかいなかったのに、一学年下の後輩が30人ぐらいいたんですね。でもこの文化祭のしくじりで「クイズは辞めて、もっと楽しいイベントサークルにしよう」ってんで、クイズサークルの活動を一切やめちゃったんですね。で、本当は順番的にはその時大学2年だった私が次の会長に、という目論見だったらしいんですが、文化祭後の総会で「いや、俺、バイトとかでかなり忙しいから」と、1年の世話好きの子に会長をおしつけて、以後、一度もそこのサークルの定例会には行かなくなっちゃった、という次第でした。ま、私の上の先輩と、その後輩たちは今でもつながりがあるみたいで時折飲んでるらしいんすけどね(と、先輩のmixiの日記等で知ってるんすけども)。 

しょせん「はてなブログ」は腰掛け、ですから(笑)

基本的に、「はてな」さんには何も不満はないですし、いわゆる「はてな村」みたいにコミュニティのお歴々の皆さんにも何も意見もないんですが、私はそういう性格なんで「しょせん腰掛け」だと思ってここのブログにいろいろと書いている次第です。

まあ「はてなブログ大好き、はてな村大好き」な人たちからすれば「なんて非協力的な奴なんだ」って思われるんでしょうけどね。もし隣組制度やクラスメートだったとしたら、例えば日々、ブログで「はてなブログ愛」を滔々と語ってそうな(←偏見?)、ポジ熊さんあたりからは「非国民」とののしられてるでしょう(意味不明)。

でも精神的なバランスを考えると「こんなもんいつでも辞められるし、もっと便利なとこがあったらいつでも移転してやる」って思ってるのも事実です。何かひとつに依存して固執するってのがどうも…。ゆえに私は別に地元で町内会にも参加してないし、息子がもうちょっと大きくなるまではそういうのには参加しないつもりなんですけどね。

ただ、例えば1クラス40人として、1人か2人ぐらいは「いるかいないかわかんないサボリ魔みたいな奴」がいてもいいと思うし、むしろ

「そういう変人なのがいないと空気がおかしくなる」

になるとも思うんすよね。ゆえにこの例えはおもしろいなーと思って次第でした。

 

…しかしこういう与太話で3000文字以上書ける自分の適当さに驚くやら呆れるやら(をい)。なお意見には個人差があります(byさだまさし)

クラスメート、上村ユウカはこう言った。 1巻 (デジタル版ガンガンコミックスONLINE)

クラスメート、上村ユウカはこう言った。 1巻 (デジタル版ガンガンコミックスONLINE)

 
3年B組金八先生 DVD?BOX 第2シリーズ [DVD]

3年B組金八先生 DVD?BOX 第2シリーズ [DVD]

 

▼クリック頂けると励みになります!
にほんブログ村 その他日記ブログ 日々の気になることへにほんブログ村 その他日記ブログ 備忘録・メモへにほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ