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2016年2月25日 (木)

「ガンバリズムの平等主義」@『労基旬報』2016年2月25日号

『労基旬報』2016年2月25日号に「ガンバリズムの平等主義」を寄稿しました。

 近年長時間労働を問題視し、労働時間の上限規制や休息時間規制などの導入を唱道する議論が溢れています。いや、筆者自身がその代表格であり、7年前の『新しい労働社会』(岩波新書)から昨年末の『働く女子の運命』(文春新書)まで、そういう論陣を張ってきました。しかし今回はあえて、長時間労働規制論に対して違和感を感じる労働者の素朴な感覚を腑分けしてみたいと思います。というのは、トップレベルの平場では労働組合サイドが長時間労働への法的規制を唱え、経営者サイドがそれに反対するというわかりやすい構図のように見えますが、企業現場レベルに行けば決してそんなわかりやすい構図ではないからです。

 ちょうど1年前の『労働法律旬報』2015年1月合併号に連合総研前副所長の龍井葉二氏が書かれている「労働時間短縮はなぜ進まないのか?」に、労働側-少なくとも現場レベル-の本音が描かれています。

 もう10年近くも前になるが、連合本部で労働条件局を担当していたときの話である。連合としての時短推進計画を見直すことになり、時間外労働の上限規制が論点になった。われわれ事務局としては、上限規制を強化する方針で臨んだのだが、いくつかの産別から猛反対を食らった。この推進計画はガイドライン的なものであり、もともと縛りの強いものではなかったのに、である。

 われわれは産別本部にまで足を運んで説得に当たったが、頑として聞いてくれない。日本における時間外労働の労使協定時間が異様に長いことは、当時から指摘されていたことであったが、連合がその邪魔をしてくれるな、というのが本音だったと思う。

 ここに現れているのは現場の労働者の本音そのものであり、産別はそれを正直に表示しているだけでしょう。その本音とは、ある部分はもっとたくさん残業して残業代を稼ぎたいという経済的欲求であることは確かですが、それだけにとどまるものとも言えません。実はここには、日本型雇用システムにおける長時間労働の意味が露呈しかかっているのではないでしょうか。

 これを説明するためには、戦後日本社会が戦前日本社会と異なり、また戦後欧米社会とも異なり、エリートとノンエリートを原則として入口で区別せず、頑張った者を引き上げるという意味での平等社会を作り上げてき(てしまっ)たということを頭に入れておく必要があります。この点について、今から4年前に『HRmics』12号でのインタビューでこう述べました。

・・・エリートの問題についても大きな違いがあります。アメリカではエグゼンプト(exempt)、フランスではカードル(cadres)といいますが、残業代も出ない代わりに、難易度の高い仕事を任され、その分もらえる賃金も高い、ごく少数のエリート層が欧米企業には存在します。彼らは入社後に選別されてそうなるのではなく、多くは入社した時からその身分なのです。

一方、「ふつうの人」は賃金が若い頃は上がりますが、10年程度で打ち止めとなり、そこからは仕事の中身に応じた賃金になります。出世の階段はもちろんありますが、日本より先が見えています。その代わりに、残業もほどほどで、休日は家族と一緒に過ごしたり、趣味に打ち込んだりといったワークライフバランスを重視した働き方が実現しています。

日本は違います。男性大卒=将来の幹部候補として採用し育成します。10数年は給料の差もわずかしかつきませんし、管理職になるまで、すべての人に残業代が支払われます。誰もが部長や役員まで出世できるわけでもないのに、多く人が将来への希望を抱いて、「課長 島耕作」の主人公のように八面六臂に働き、働かされています。欧米ではごく少数の「エリート」と大多数の「ふつうの人」がいるのに対して、日本は「ふつうのエリート」しかいません。この実体は、ふつうの人に欧米のエリート並みの働きを要請されている、という感じでしょうか。

 欧米ではノンエリートとして猛烈な働き方なんかする気にならない(なれない)多くの労働者が、日本では疑似エリートとして猛烈に働いている、というこの構造は、なかなか切り口の難しい代物です。ある種の左翼論者は、それは資本家に騙されて虚構の出世を餌に搾取されているだけだと言いたがりますが、もちろんそういうブラック企業も少なくないでしょうが、日本型雇用を代表する多くの大企業では必ずしもそうではなく、確かに猛烈に働く係員島耕作たちの中から課長島耕作や部長島耕作が、そしてきわめて稀にですが社長島耕作が生み出されてきたことも確かです。とはいえ、ではこの構造は人間の平等と企業経営の効率を両立させた素晴らしい仕組みだと褒め称えて済ませられるかというと、そうではないからこそ長時間労働が問題になっているわけです。

 このシステムにおける「平等」とは、いわばガンバリズムの前の平等です。凄く頭のよいスマート社員がてきぱきと仕事を片付けて、夕方には完璧な成果を出してさっさと帰宅している一方で、そんなに頭の回転は速くないけれども真面目にものごとに取り組むノンスマート社員が、夕方にはまだできていないけれども、「明日の朝まで待って下さい。ちゃんと立派な成果を出して見せます」と課長に頼んで、徹夜して頑張ってなんとかそれなりの成果を出してきた、というケースを考えましょう。長時間労働は良くないから禁止!ということは、ノンスマート社員に徹夜して頑張ってみせる機会を奪うことを意味します。さっさと仕事を片付けられるスマート社員だけがすいすいと出世する会社になるということを意味します。そんなのは「平等」じゃない!と、日本の多くの労働者は考えてきたのです。

 とはいえその「平等」は、そうやって頑張ることのできる者だけの「平等」にすぎません。かつての係員島耕作たちの隣にいたのは、結婚退職が前提で補助的業務に従事する一般職女性だったかも知れませんが、その後輩たちの隣にいるのは、会社の基幹的な業務に責任を持って取り組んでいる総合職女性たちなのです。彼女らはもちろん結婚しても出産しても働き続けます。しかし、子どもを抱えた既婚女性には、かつての係員島耕作とは違い、明日の朝まで徹夜して頑張ってみせることも不可能です。島耕作たちの「平等」は、彼女らにとってはなんら「平等」ではないのです。むしろ、銃後を専業主婦やせいぜいパート主婦に任せて自分は前線での闘いに専念できるという「特権」でしかありません。その「特権」を行使できない総合職女性たちがいわゆる「マミートラック」に追いやられていくという姿は、「平等」という概念の複雑怪奇さを物語っています。

 ノンエリート男性たちのガンバリズムの平等主義が戦後日本の経済発展の原動力の一つとなったことは間違いありません。しかし、その成功の原因が、今や女性たち、さらには男性でもさまざまな制約のために長時間労働できない人々の活躍を困難にし、結果的に日本経済の発展の阻害要因になりつつあるとすれば、私たちはそのガンバる平等という戦後日本の理念そのものに疑いの目を向けて行かざるを得ないでしょう。

 長時間労働問題はなかなか一筋縄でいく代物ではない、からこそ、その根源に遡った議論が必要なのです。

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コメント

さて、はまちゃん先生ご指摘に、なにも言うことが出来ない「ごもっとも」に何を言えばいいのか?。一人ひとりは解っていながら、言えない場合「何」を出来うるのか?その場合恐怖はないのか?はまちゃん先生のストック解説にフローの解答はないです。今、皆が共鳴しない限りは。
社会保障制度に関する租税負担等々の国際比較や消費税増税含めた増税等々のもっともらしい
経済学者のセオリーも、その被害の枠外に「今」いらっしゃる方々からすれば、失礼ながら労使貴族とギルド組織にアカデミズムの力のなさ(わたしも含めですよ)を精査する時期に来ているようにも感じます。ブログ・ツールの存在そのものが定常所得に根ざした時間を利用した大したことはないけれども持つもの(払える)だけが享受できる先物経済システムの産物とも言えましょうから、「今」しか考えられない方々には説得力はないのではとも。とはいえ続けるしかないのでしょう。
おそらくですが、上記とは違う方々にすれば、「そりゃわかってたけどこっちにきたらから。で、君たちもさあ、きてみたらどう?」とニヒルに感じられるのではと思われます。これが一番怖いのですが、社会はきています。それも場末ではないですよ、公にも。公と個を分けて考えては間違えると思うのです。公とは個の集合体の「今」の体現物でしかありませんから。
はまちゃん先生、難しいですよね。ごめんなさい、いつも。

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