すでに終了した展覧会。最終日(2/14)に行ったときのもの。
「東京アートミーティングⅥ "TOKYO"-見えない都市を見せる」展
以下は公式サイト東京都現代美術館より。
東京オリンピック・パラリンピックを2020年に控え、東京は文化都市としてどのような姿を見せているのでしょうか?デジタル化、商業化された文化の外観は、フラットでとらえどころのない荒野、洗練されているゆえに冷たい氷河のようにも見えます。東京が最初にグローバルに注目されたのは1980年代。ユニークな文化を生み出す東京の創造力がそこで一度花開きました。その後、震災と経済不況を経て、いま次なる文化を模索するプラットフォームがたちあがりつつあります。
本展は、東京を新たに「見いだす」二つの要素によって構成されています。一つは、各界で活躍する東京のクリエイターが各々のトピックでキュレーションする「東京」。もう一つは、国内外の作家が「東京」をテーマにつくる新作。
"TOKYO"展は、80年代の東京の文化の命脈--熱いマグマを引き継ぎながら、氷河を割って現れようとしている現在の東京の創造力を見せる展覧会です。アートだけでなく、音楽、映像、デザインなど幅広いメディアを通して、現在の可能性を「見えるように」していきます。
アーティストによる「キュレーション」と、アーティストによる「新作」という構成になっていた。
キュレーション自体がアートとして捉えられるようになる時代となったことを感じた。
印象に残った展示をいくつか。
はいってすぐには、劇作家・宮沢章夫が読み解く「文化事象としてのYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」
ヘッドホンで音楽を流していたが人気があって機会を逸した。
あのときは「未来」を感じる音楽だと思ったが、今の若い人はどう思うのだろう。
ウィンターライブ'81のセット模型
テクノ・ポップという響きと裏腹に、演奏するほうはアナログ(現場で微調整)のところが多くたいへんだったようだ。
北京在住の林科による「ダウンロードされ続ける東京」の動画。
「東京へ一度も訪れたことのないことを逆手に取り、インターネットを通して得られる東京のイメージを独自の解釈で再編集した新作」
やろうと思えば、いろいろなことを逆手にとることができそう(とは素人考えか)
蜷川実花による「自己演出の舞台装置」
「自分をブランディングして発表することの恍惚さと怖さを作品化」と解説されている。
スーパーフレックス(ラスモス・ニールセン、ヤコブ・フィンガー、ビョルンスチェルネ・クリスチャンセンの3人)による「公共空間のリデザイン」
「東京藝術大学の学生との東京の都市空間に関するリサーチから上野公園に点在している礎石の遺構に着目した、東京の公共空間についての提言的作品」とあった。
現地で探してみると面白そう。
興味深かったのはキュレーターとしてのホンマタカシ(写真家)
本人の作品が何点か。新浦安の花火。
東京の子供シリーズ。
そのキュレーションのテーマは 「何かが起こる前夜としての東京」
トーマス・デマンド による「制御室」 2011年
丹下健三による国立屋内総合競技場の模型 1964年
昔の映画の、背景の都市風景をつなぎ合わせた映像(東京とパリ)
多分街は工事や未舗装で埃っぽかったのだろうけど、空気は透き通っているように感じてしばらく見とれてしまった。
すべての展示の最後に見たのは映画監督・松江哲明によるドキュメンタリー「東京と私をつなぐ、極私的な風景」
触れるような「希望」が感じられて涙がこぼれた。
そのような芽をたくさん見つけて慈しんでいきたい、と思えた。