|
|
信濃町の人びと様、以前の詳しい説明ありがとうございます。少しズレた投稿をしてしまい、御迷惑をおかけしたことを謝罪しておきます。
イケディアンをヤフー検索すると、「創価の小さな家」に入る事ができる。勝手ながらそこから引用してみよう。
「言い出したのは、現インド創価池田女子大学学長のクマナン議長である。議長以下、同大学の関係者、学生全員が自らを「イケディアン」と呼んでいる。「イケディアン」とは「池田大作SGI会長の哲学の共鳴者」という意味らしい。そのイケディアンとしての誇りを胸に大学院に進学したり、大企業で就職を勝ち得たりしているというのだからまったくもって驚きである。」(後は略す)
以上である。2010年8月17日の聖教誌上の写真も掲載されている。クマナン議長は学会員ではない。これはある意味すごいことで、閲覧者諸兄も考えて頂きたい。
同じ宗教を信じる者が、師弟関係に至るのはある意味自然であり、当然の流れともいえる。しかし宗旨の異なる人が、違う宗教を信じる者を師匠とし、哲学の共鳴者
とまで言い切るのは非常に稀ではないかと思う。いかに池田思想が優れているかを証明するものだ。ましてや本人だけでなく関係者・学生も同様となれば驚愕に値する。
考えてみよう。創価学会の会員は「池田先生の弟子」である。であるならば、イケディアンと呼ばれるべきであり、むしろ誇りを持つべきではないだろうか。
特に「直弟子」とまで言われる原田会長はイケディアン中のイケディアンでなくてはならないだろう。
ところがこの板に投稿される方で、口では「私は学会員」と云いながら、何故か「イケディアンでない私」とか「・・・ディアンは止めましょう」と言われる方がいる。
語源を知るならば、大いに賛同しこそすれ、否定される気持ちが小生には理解できない。小生は愚鈍なため「まさか上司に止められてるのか?」などと邪推したくなる。
|
|