ゲーム機バキバキの時点では、修理できるとをご存知なかった、ということですが、あとから、そのように「整理」なさる方なのだと思います。

おそらく、ゲーム機バキバキの時点では、感情の勢いで、ということもあったと思うのですが、そのあと、論理的に、「修理できることはわかっていた」と、ご自身の理解を整理なさったのではないでしょうか?

それが、大人の、あるいは母親のふるまいとしてどうなのか、ということですが、一般に、人格(personality)に「正解」はありません。

高嶋ちさ子さんは、そのようなお方だ、ということで、高嶋さんのお子さんは、そのようなお母さんのパーソナリティの下で、育っていかれるということに尽きると思います。

批判されている方は、「正解」のパーソナリティーがあると思われているのかもしれませんが、高嶋ちさ子さんはそのようなお人柄、ということ以上でも、それ以下でもなく、つまりは、人は、トータルで見なければならない、ということなのだと思います。

みなさんは、どのようにお考えになりますか?