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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

なぜ日本が年間自殺者3万人を超える生きにくい国なのか

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日本には、年齢差別と「年齢相応」という名の同調圧力があるように思う。

実際、海外にいて、日本人以外の人から年齢を聞かれた経験はほとんど無い。
海外にいて年齢を聞かれるのは、友達同士でたまたま年齢が関係する話題になった時ぐらいだ。

うってかわって日本では、これでもかというくらい年齢を尋ねられるケースが多い。初対面なのに、名前より年齢を聞かれるケースも少なくない。容姿を見れば、幼児・小学生・ティーン・若者・中年・老人のどの層に当てはまるかは、おおよその見当が付くはずだ。にもかかわらず1の位までの正確な年齢を求める理由はなんなのだろう。

日本人は、多くの事柄を年齢を基準にしている傾向がある。そして、その基準に合致しない人を異端者扱いする。
例えば、ある事件の容疑者が逮捕され、「大学生の男(25)を逮捕した」と報道があると、それに対する反応として、「25歳なのに大学生かよ」といったものなどがそれにあたる。
「大学生は18歳〜22歳であること」が当然の感覚として染みついている。

他にも、転職は35歳までにすること、結婚は30歳までにすることといったように「○○歳の人は、○○でなければならない」といったことが日本にはごまんとある。「年齢相応」という名の同調圧力とも言える。それが日本社会での生きにくさにも繋がっているのではないだろうか。

労働における30歳と35歳の違いって何だろう。シビアな能力が要求されるスポーツの世界などであれば5年の年齢差は大きいかもしれないが、仕事における5年の年齢差の能力の違いなんて決して埋まらないようなたいしたものではない。就職時の年齢差別は理不尽の極みだと思う。
事実、欧米では、年齢を尋ねることは法律で禁止されている。そもそも履歴書に年齢を記入する欄がないのだ。だが日本では当たり前のように年齢によって採否を決定する年齢差別が根強く残っている。いわゆる既得権と呼ばれる人たち、そうすることで得しているオトナがたくさんいるからだろう。

40歳になって自分が学びたいことが見つかれば、大学に行ったり、60歳で新しいことに挑戦したり、30歳で会社を辞めて、ワーホリしたり、世界中を旅したりする。本来、人にはそんな選択だってあるはずなのに、年齢差別による再就職の困難があるばかりに、一部の人を除いて、そうした選択肢は存在しないも同然となっている。

国民性と言えばそれまでだが、日本人による年齢差別が和らぐ日が来れば、もう少し生きやすい社会になるのではないかと思う。