はじめに
昨日こんな記事を見つけた。
【調査】Facebookは時代遅れ?アメリカの10代が考える「イケてる・イケてない」サービス | Fashionsnap.com
概要を簡単に説明すると、ジェネレーションZ(13-18歳)のアメリカ人60人に対して行なわれたアンケート調査の結果をもとにアメリカ人10代の間で使われなくなった4つのサービスと、愛されている6つのサービスを一挙に紹介する*1。というものだ。
簡潔に結果をまとめると、「FaceBook」は匿名性がないこと、「Google+」はサービス自体のオリジナリティのなさから人気がないらしい。逆に、「Snapchat」「Spotify」「Instagram」「twitter」「Netflix」はジェネレーションZで人気のアプリらしい。
Google+に関してはサービス自体の「使い道」が不明瞭なだけだから、アプリケーション独自の色を出せればすぐ流行ると思っている。なんせ天下のGoogle様のSNSだ。やらないよりはやっておく方が肝要だと思う。
話はそれたが先ほどの記事を読んで、「オッサンの演歌」について考えた。どういうことか?
オッサンはPDFの書き出しもできない
いまぼくは27歳だ。だいたい小学生の頃に初めてのパソコンが家にやってきた。ぼくのパソコンの知識は同世代の中では普通か、ちょっとできるくらいの知識。めっちゃ頑張ったら自分でホームページを作れるくらいのもんだ。ごく普通に育って、ごく普通にYouTubeで動画を見る。そんな感じ。
だけど、いわゆる普通のオッサンと比べたらぼくは遥かにパソコンが使える。
学生時代のバイトや研究でぼくはたくさんの「オッサン」の仕事環境を見てきた。はっきり言えるが、多くのおっさんは理解しがたいレベルでパソコンが使えない。Wordで打った文章をPDFにすることさえできないオッサンはマジで多い。
例えばぼくのパソコン能力をLV.30のピカチュウだとすると、多くのオッサンはLv.4のポッポみたいなもんだ。
若い奴の情報リテラシーは異常
これは今27歳のぼくから見たオッサンだが、ジェネレーションZ、もしくはもっと若い層から見たぼくらの世代も同じようなものだ。
ぼくらはLv.30のピカチュウだが、奴らはLv.90のミュウツーみたいなもん。
生まれてからずっとパソコンやタブレットが周りに溢れている奴らにぼくらが勝てるはずがない。セロリと一緒。育ってきた環境がち〜がうか〜ら〜
オッサンはそんなに悪くない
ぼくは別にオッサンを悪く言いたいわけではない。今、パソコンが使えないのはしょうがないのだ。ただ、ITはどんどん僕達の生活を侵食していくし、これからもそうなっていく。loTがまさに流行りだし、一昔前はユビキタスコンピューティングという言葉が流行った(←おっさん大丈夫?ついてこれてる?)。
オッサンは悪くはないけれど、最低限の情報発信方法を知ることは大切だ。いま、ネットを使えないというのは「自分の声」を持っていないのと同じ。例えばただのオッサンが今、仕事をクビになったらそれこそ THE END。自分で簡単に価値を生み出すための「声」がないのだからしょうがない。
オッサンに伝えたいメッセージ
じゃあどうすればいいのか?ぼくの考えを書いてみる。
オッサンの世代だからこそ伝えられることをネットを使って情報発信することだ。 1番分かりやすい例をいうと「演歌の良さ」。
ぼくは「演歌の良さ」がいまのところ全くわからない。古臭いしカッコよくないからだ。でも演歌は長い間残っているし、何よりオッサンやオバハンの演歌好き度は普通じゃない。よっぽどぼくらが知らない魅力が演歌にはあるのだと思う。
こういうことを僕らみたいな世代、もしくはもっと下の世代に伝えていく義務がオッサンにはある。「演歌の良さ」をぼくたちは今のところ知る由もない。なぜならオッサンが黙ってるからだ。
オッサンがやればいいこと
例えば、オッサンがやればいいことを分かりやすくまとめてみた。パソコンがそんなに使えなくてもできることだ。
- まずYouTubeで演歌を聴いてみろ
- どうせ懐かしい動画があるから「ええやろ〜コレ」と家族に語ってみろ
- 家族にウザがられろ
- それでも語ってみろ
- 無視されろ
- しょうがないからTwitterでも始めて「ええやろ〜コレ」やってみろ。Twitterの使い方が分からないなら娘にでも聞け
- ほとんど無視されるだろうけど一部の人に反響があるからそれを楽しめ
- そっからはオッサン次第。オッサンの「声」の価値に自分自身が気付くはずだし、オッサンの「声」に共感する人の多さにビックリすればいい
以上、オッサンに対するメッセージを書き殴ってみた。
まとめ
大事なことだからここでもう1度言うが、これはなにもおっさんに限ったことでは全くない。どの世代に対してもいえることだ。ぼくたちの世代が下の世代にIT知識や情報リテラシーで勝つことは基本的に不可能だ。それはどうしようもない。
だからこそぼくたちしか伝えられない「声」にしか価値はないのだ。
例えば、ぼくらの世代なら「ゆとり世代の鬱憤」とかだ。馬鹿な大人が勝手に「ゆとり」と名付けて勝手に「ゆとり世代はアホ」とほざいてる。
とにかく「口」ではなく「手」を動かして「声」を出すことが大事。最初の記事を読んでそう思った。