どうも!コバヤシです。
先日アップした「長男が生まれたときの話」という記事ですが、ダメですね。
これ、間違えてる。恥ずかしい。
反響
読んでブコメを下さった方々、ありがとうございます。嬉しいです。
子供への愛情に感動してくださったり、自分のときのことを懐かしんでくださったり、反応はさまざまです。
で、その中に2つばかり、ちょっと違うコメントがある。
沙悟浄まろ(id:xx_mar0_xx)さん「面白い!感動系だと思ってたから落差も相まって。あ、もちろん感動もしました、はい。」
Toma_G(id:tomag)さん「感動巨編のはずなのに、看護婦のボケが秀逸すぎてww」
実はこの記事は、こういうコメントをいただく想定で書き始めたのです。
いや、他のコメントをいただいた方たちが読み間違えてるということではないんです。ぼくが書き方を間違えた。
つまり…。
当初の予定
この記事は、単純に「立ち会うって言ったのに立ち会えなかった話」にしたかったのです。
「生まれましたよ!」
「生まれましたやあるかーい!」
というところで終わらなければならない。
実はこの話、ぼくが仕事でも使う鉄板トークでして、例えば初めて会うお客様が赤ちゃん連れた若いご夫婦だった場合、「お子さん可愛いですねぇ。ご主人さん出産のときは立ち会われたんですか?」とかなんとか言っちゃって、答えなんてどっちでも良くて「そうですか。私なんかねぇ…」と話せばドッカンとなって心の壁が解けていくという(もちろん効果ナッシングな人もいますよ)。
そういう面白話を書きたかったんです。
間違えとるぞ、間違えとる
そういうことであれば、この記事の場合、最後の「ありがとう」とかいう段は蛇足です。蛇足どころか、邪魔でしかない。
何が「ありがとう」だバカヤロー!
「ぼくは、それをカミさんに言ったのか、息子に言ったのか覚えていません。」とか言ってんじゃないぞコノヤロー!
これはもしかしていいお父さんぶれるチャンスってか。ああ、これは恥ずかしい。
始めっから「ぼくは長男が生まれたときは本当に感動したんだ。それをみなさんにお伝えしたい」とか思って書いたなら、立ち会えず事件は記事のスパイスとなり、それで丸く収まるのでしょう。
しかし、違う。ぼくはみんなを笑わせたかった。
よって、この記事は間違えとるのです。
まるでそれを誤魔化すかの如くの最後の文もひどい。
以上が長男が生まれたときの話です。立ち会うって言ったのに立ち会えなかったことを面白く書こうと思ったのに、全然違うカンジになってしまったことをお詫びいたします。
言い訳しとるんちゃうぞダボが!
最後に
これ、書いてるときは全然気付かなかったというか、見直したときも気にもしてなかったんです。
でも公開されて見た時に「おわ!こ、これは…」となったのです。狙いと違う文章になってるのを改めて見ると結構恥ずかしいんですね。
と同時に「あ、これ記事にしよう」とか考えるブログバカ。転んでもただでは起きんよ。
というわけで、なんか感動してくれた人にはなんか、申し訳ない感じの記事ですがスミマセン。いただいたコメントは本当にありがたく読ませていただいてます。
「コバヤシの野郎、ハメやがった!」とか言わずにこれからも宜しくお願いしたいです、ハイ。
ではまた。