『ヒトゲノムを解読した男』。それが誰だかご存知だろうか。
もちろん途方もない作業を数々の研究者が分担することで成し遂げたわけだが、1人あげるとすると写真の男クレイグ・ベンターがその人である。
わたしというヒトゲノムの書物が書かれたのは1946年1月のことで、場所はソルトレイクシティ、ユタ大学の既婚学生のための夫婦寮だった。
《目次》
クレイグ・ベンターの業績
- 2000年6月:ホワイトハウスにてヒトゲノム解読宣言
- 2001年2月:科学雑誌『Science』 でヒトゲノムを掲載
- 2007年9月:世界初のヒト個人の全ゲノム公開(ベンター本人のDNA)
最後がすごい。自分のDNAをすべて公開するとは。
本著では、自分がアルコールに耐性があるか、うつ病になりやすいか、夜型かどうかなど、ゲノム情報から考察したコラムがちりばめられている。何でもゲノムで考える徹底ぶりはさすが大業を成し遂げた科学者。
DNA発見者ジェームズ・ワトソンとの確執
静寂を破ったのはワトソンで、「そのような特許を出願するとは正気の沙汰と思えない!」と叫び、「ベンターの自動解読装置などサルでも動かせるというのに、ぞっとする話だ」と続けた。
ベンターは、国立衛生研究所(NIH)で当時上司だったジェームズ・ワトソンから遺伝子配列の特許出願を猛烈に非難される。ワトソンは何ヶ月も前からこの特許について知っていたのにもかかわらず、公聴会の場まで暖めておいて公衆の面前で大々的に非難したのだ。
本著には、この事件のあとにベンター直下の研究者たちのモチベーションを下げないように、当時の妻クレアがゴリラのぬいぐるみを着てNIHの研究室を訪れたエピソードと、その写真が載っている。まじめな日本人研究者にはないユーモアだ。
それにしても、研究者たちの嫉妬と名誉欲というのは怖い。
ベンター自身もベンチャー・キャピタリストの紹介で金の匂いにつられて職を変えたり企業の立ち上げに関わったりしている。バイオ企業アムジェンから、給料を3倍以上、ストックオプションも与えて、研究所もつくると言われたときは、素直に「いい話だ」と乗っかりそうになっている。
思えばSTAP細胞も、研究者の名誉欲が生んだ騒動だ。
有名な研究者として認知されるには「オレがオレが」という自己顕示欲が必要なのだろう。傲慢でなければ一流になれない。それが研究者の世界だ。ジェームズ・ワトソンも若かりし頃は、いや老いた後もベンターに嫉妬するなど、その自我の強さを隠しきれてない。
破天荒なベンター
それにしてもベンターは破天荒だ。不倫に離婚、再婚。長男を0歳で研究室に連れてきて、オフィスのファイルキャビネットの中で寝かせる。ストレスからアルコール漬けで研究に没頭する。サーフィンで毒ウミヘビを捕まえて、記念に皮を剥いで研究室に飾る。
破天荒に生きて、傲慢に1つの道を追求し続ける。だからこそ伝説的な科学者にまでなったのか。研究とはそういう世界なのか、と思わせる一冊だ。
この本も読んでください
ワトソンの著作。DNA発見をめぐる競争が面白い。上巻と合わせて(なぜか下巻しかリンクがない)。