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無職転生 - 蛇足編 - 作者:理不尽な孫の手

剣の聖地に住まう神

21/22

21 「当座の間にて」

 現在、俺は剣の聖地の道場にいる。
 なんでも『当座の間』というらしい。

 右手には、アレク。
 彼はにこやかな表情で、もちろん殺気など微塵も感じられない。
 腰にあるのは、俺の土魔術で作った黒石を、鉱神が自ら鍛えた、両手剣だ。
 一切特殊な力は無いらしいが、さすが神と名のつく者が作っただけあって、良いものらしい。
 アレクは、長さにして2メートル近いこの剣が気に入ったらしく、愛用するようになった。

 オルステッドは、俺の左手だ。
 黒いヘルメットを被ったまま、一言も喋っていない。
 微動だにせず、静止画のように止まっている。
 ハエが止まりそうなほどだが、威圧感は凄まじく、蚊も寄り付かない。

 だが、その場にいる、俺たち以外の人物の注意は、俺やアレク、オルステッドの方を向いてはいなかった。
 誰もが俺の正面に立つ人物を注視していた。

 エリスだ。
 彼女は木刀を握り、立っていた。
 表情は引き締まっていて、特に殺気を放っているわけじゃない。
 だが、その手に握りしめられた木刀には、しっかりと力が入っているのがわかる。

 エリスは、当座の間の中央で、木刀を手に立っているのだ。
 そして彼女の前には、手首をへし折られた一人の剣聖が転がっていた。

「……参った」

 剣聖は悔しそうにそう言うと、立ち上がり、礼をした。
 エリスの返礼を待たず、道場の脇へと戻っていく。

 道場の脇。
 そこにはズラリと剣神流剣士が並んでいた。
 見たところ、20人近くいるだろうか。
 この一人ひとりが剣聖だというのだから、世界は狭い。狭い所に密集している。

 そして、エリスを挟んださらに先。
 そこには、一人の若い男女が座っていた。
 年齢については知らないが、多分、俺と同じぐらいだろう。
 そう考えると、若いと称していいのかイマイチわかりにくいが、剣聖たちには30代、40代の者も多くいるから、やはり若い部類に入るだろう。

 彼は、隣に女を座らせ、その肩を抱いている。
 他の剣聖たちに比べれば、リラックスしているように見える。
 オルステッドを目の前に。
 いくらヘルメットで呪いが軽減しているとはいえ、あのオルステッドを前に、リラックスだ。

 ジノ・ブリッツ。
 さすがは、剣神というところか。
 女を侍らせたあの堂々たる姿、同じぐらいの歳とは思えない。
 少なくとも俺は、オルステッドを前に妻を隣に座らせ、肩を抱いたり腰を撫でたりは出来ない。
 やったら殴られる。主にエリスに。
 ただ、時折胸元に手を伸ばそうとして、ピシャリと叩かれている姿は好感が持てる。

 女性の方の名前はニナ。
 エリスの友人で、階位としては剣帝という話だ。
 しかし、剣帝っぽさは微塵も感じられない。
 幸せそうにジノに体を預け、時に胸元へと伸びてくる旦那の手をピシャリと叩いている。
 俺たちのことなど眼中に無いとばかりだ。
 バカップル、と人は呼ぶのかもしれない。

「……」

 さて、なんでこんなピリピリとした状況になっているかというのを、少し説明しておこう。


---


 前回までのあらすじ!

 やあ良い子の皆、こんにちは!
 僕の名前はルーデウス・グレイラット、よろしくね!
 今日は北方大地の中で最もホットでクールな観光スポット、『剣の聖地』にお邪魔しているんだ。
 今後のことも考えて、剣神流と話を付けておかないといけないし、エリスと剣神との因縁もあるしね。
 これも一つのケジメとして、ご挨拶に行くことにしたんだ。

 メンバーはもちろん俺とエリスの二人!
 俺の知る限り、剣神流ってのは口を開くより先に、剣を振り下ろすタイプの人が多いみたいだからね。出来る限り魔術師系の人は連れて行かないことにしたんだ。
 もちろん、彼らにだって人としてのモラルはあるだろうけど、ビヘイリル王国の戦いでは、現在の剣神の義父を殺してしまっている。
 その上で「俺たちに力を貸してほしい」なんて言って、問題が起きないで済むと思う?
 いやまあ、空気次第では言い出さずに帰るつもりだけど。
 なんにせよ、何が起こるかわからないってんで、剣の聖地をよく知るエリスと俺の二人旅。

 ――の、予定だったんだけど、一つサプライズがおきたんだ。
 剣の聖地に向かうことを話すと、珍しくオルステッドが、自分も行くと言いだしたんだ。何か含みのある言葉でね。
 多分、含みってのは、俺が何かいらない事を言って、剣神を怒らすことを危惧したんだと思う。
 つまり、護衛目的で付いてきてくれるってわけだ。
 なんにせよ、断る理由もないから了承したんだ。オルステッドが頼もしいのは確かだしね。
 で、オルステッドが行くとなると、アレクが「じゃあ僕も」なんて言い出したんだ。
 アレク。そう、英雄願望がちょっと強めの彼だ。
 昔のクリフと同じぐらい空気が読めないことに定評もあるね!
 俺としても「いや、問題起こしそうな人はちょっとNGで」と言いたかった。
 彼にはジークの面倒をよく見てもらっているけど、それとこれとは別だしね。
 でも、オルステッド様は言ったんだ「……好きにしろ」って。
 というわけで、俺と、エリスと、オルステッドと、アレクの、四人で剣の聖地に行くことになったんだ。

 到着したのは剣の聖地。
 雪の中の田舎村、って感じの長閑な風景が広がっていた。
 「中々いい景色だな」「田舎の割に刀剣の品揃えがいいんだな」「おっ、第一村人発見」なんて、一人で寒い会話をしつつ到着したのは剣神流の本道場。
 にこやかな剣聖たちに案内されたのは、当座の間。
 みんなにこにことしていて、和やかな雰囲気。
 でもなんだけど、どうにも背筋がピリピリする。

 きっと気のせいね!
 そんなことより挨拶挨拶!
 ってところで、剣聖の一人が言ったんだ。

「まずは、先代を倒したという狂剣王エリス殿の剣を見てみたいのですが」

 まずはそれなの!? と俺が振り返るより前に、剣神が肩をすくめながら「好きにすれば」と言い放ったんだ。
 そこからが修羅場の始まりだ。

 にこやかな剣聖たちは、にこやかな顔のまま、殺気を全身からたぎらせつつ、エリスに挑みかかっていった。
 笑っているし、使うのも木刀だが、殺す気なのは見て取れた。
 稽古にかこつけて、木刀で殴り殺そうとしているのだ。寸止めをする気がないのは、一目で分かった。

 とはいえ、エリスも一応、剣王だ。
 そこらの剣聖にそうそう遅れはとらない。
 あっさりと、剣聖たちを返り討ちにした。
 エリスが一人、また一人と叩きのめす度、剣聖たちの顔からは笑みが消え、憎々しげな表情が張り付くようになった。今では殺気も隠さない。

 だが、そんな中で、一人だけどこ吹く風な顔をしているのが一人。
 ジノだ。
 ニナですら、剣聖たちの殺気に少し困った顔をしているのに、ジノはそんなもの、どうでもいいと言わんばかりだ。

 そして、今のようなピリピリした空間の出来上がり、ってわけさ!


---


 と、無理に元気を出して説明してみたけど……。
 はぁ。
 胃が痛い。

 なんでこんなことになったんだ……。
 いきなり失敗した気がする。もう無理だろこの雰囲気。話し合いとか出来そうにもないよ。
 でも言い訳をさせてほしい。
 止める間も無かったんだ。
 もうね、ほんと、早かったんだ。
 ジノが「好きにしたら」と言い終わる前には、エリスが当然のように木刀を手に前に出て、剣聖の方も道場の中央で待っていた。
 俺が今の位置に腰を下ろす瞬間には、すでにエリスは一人、打ち倒していたんだ。
 で、止める間も無く「次は俺が」「次は某が!」と剣聖が次々と出てくる。

 ただ、そろそろ止めるべき時が近づいてきている気がする。
 剣聖の数は20人余り、エリスももう20人近く倒している。
 今戦っているのが、最後の剣聖だ。

 となれば、出てくるだろう。
 剣神ジノが。
 今は飄々としているとはいえ、下の者が全員やられたとなれば、出ざるを得ないだろう。
 そして剣聖たちも、その瞬間を待っているのだろう。
 剣神が出てきて、赤毛の女剣士を叩き殺す、その瞬間を。
 先代剣神を殺した者達への復讐を。
 そのために提案をした。前座も買って出た。とでも言わんばかりだ。

 俺は後悔している。
 来るべきではなかったかもしれない。
 エリスとて、剣神と戦えば無事では済むまい。
 俺も、この距離で剣神と戦えるとは思えない。

 そして感謝している。
 俺が反応できなくても、オルステッドとアレクなら、剣神の剣を止めてくれるだろう。
 エリスも無傷というわけにはいかないかもしれないが……何、死ななければ安いものだ。
 エリスとて、その覚悟ぐらいはあるだろう。
 なんにせよ、付いてきてくれた二人に、感謝だ。

 しかしながら、剣神とエリスの戦いに水を差したとなれば、きっと交渉どころではないだろう。
 具体的にどうなるかという予想はつかないが……。
 まあ、胃の痛い展開になるのは間違いない。

 ともあれ、止めよう。
 なんとか話をする形に持って行こう。
 それが俺の仕事だ。
 いいねルーデウス。血気盛んな人たちだけど、きっと一生懸命話せば聞いてくれるはずだ。
 頑張るんだよ?
 レッツファイトだ!

「くっ……参った」

 そして今、剣聖の最後の一人が倒された。
 彼は前の剣聖と同様、手首を押さえている。
 ていうか、基本的に全員手首だ。
 右手か左手かの違いはあるが、エリスは同じ技で仕留めたのだろう。
 剣聖たちの怒りも倍増というわけだ。

 次は、ニナだろうか。
 いや、ニナの方は動く気配がない。
 なんとなくだが、多分、剣神が先に動く。

 剣神が動いたら俺の出番だ。
 よく見ろ、先の後だ。
 剣神が立ち上がりかけた時に、へりくだる感じでずいっといくんだ。
 見応えのある試合ばかりでした、見ているだけで喉が乾いてしまいましたな。ここはひとまず休憩として、お茶にしましょう。なんてセリフから入ろう。
 ん? 本当のそのセリフで大丈夫か?
 煽りっぽく聞こえないか?
 もっとこう、負けた剣聖を褒める感じでいくべきだな。
 いやはや、やはり剣の聖地の方々は稽古に熱心でいらっしゃる。……これでいこう。
 これなら、彼らも「これは稽古だから負けてもしょうがない」という言い訳が出来る。
 よしいくぞ、今いくぞ、さぁいくぞ。

「……」

 しかし、剣神に変化は無い。
 ニナの方も、出てくるわけではないようだ。

「終わった?」

 ピリピリした空気の中、剣神ジノ・ブリッツは軽い感じで声を上げた。
 なんとも、あっけらかんとした声音だ。

「それで? 何の用で来たんでしたっけ?」

 あれ?
 戦う前に話を聞いてくれるらしい。
 剣神流らしくない……が、好都合だ。
 俺はずいっと前に出て、声を上げた。

「……まずは謝罪を」
「なんの?」
「先代剣神のことです」

 そう言うと、よっしゃきた、と言わんばかりに周囲の剣聖の気配が変わった。
 向こうがきっかけをくれたよ!
 さぁ今だよ! 復讐レッツゴー!
 と、もし彼らが犬であれば、尻尾を振りつつワンワンと吠えていただろう。
 俺も一瞬、もう少し遠回りな言い方をしておけばと思ったが、同じことだ。
 事実は避けられない。

「……」

 だが、剣神は訝しげな顔をしていた。
 そんな顔をされると、こっちも戸惑う。
 何か変なことを言っただろうか。と周囲をキョロキョロと見渡してしまいそうだ。
 とはいえ、彼もすぐに得心がいったようにうなずいた。

「ああ、そういえば、ずっと前にニナから聞きました。
 ニナは、君らに協力するって言ってたんでしたっけか。
 そりゃあ、協力者の父親を殺したんなら、謝罪が必要ですよね」

 実に、他人事のような言葉だった。
 俺より、剣聖たちの方が呆気にとられるぐらい。

「でも、師匠……先代剣神ガル・ファリオンは、自分の意思で君らに戦いを挑んだんでしょ?
 ならむしろ、こっちが謝罪すべきではありませんか?
 これが剣神流全体の問題なら、協定を破ったのはこっちなんですから。
 そのへんは、どうなっているんですか?
 僕はその辺り、よく知らないんだ」

 どうなっているか、なんてのはこっちが聞きたい。
 俺は今、本当に剣神流のトップと会話をしているのだろうか。
 もっとこう、アトーフェ並に会話が通じない相手を想定してきたんだが……。
 なんか不思議な気持ちだ。

「ええと……」

 落ち着け、まずは相手の質問に答えよう。
 確か、アリエルの戴冠式の時に、エリスがニナと渡りを付けてくれたのだ。
 剣の聖地、ひいては剣神を味方に引き入れる、という
 その辺がまとまる前に、ビヘイリル王国での戦いが起こり、ガル・ファリオンが敵に回った。

「まだ、ニナさんとエリスが話をしただけで、正式な協定は結ぶ前でした。
 ニナさんから剣神へと話は行っていた……のでしょうか?」
「話はしたわ。それっきりだったけど」

 曖昧に頷くニナ。
 その言葉に、ジノもまた「うん」と頷いた。

「少なくとも、僕らは『龍神オルステッドの陣営と敵対する』なんて話は聞いていない。でも、戦ったというのなら……」

 ジノの目が細められた。

「先代は君たちと敵対する道を、選んだようだね?」

 剣聖の気勢が高まる。
 よっしゃ、よくぞ言ってくれた。
 さぁ剣を抜いて、戦いましょう、はやく、はやく!
 そんな心の声が聞こえてきそうだ。

「……待って。落ち着いてください」

 咄嗟にそう言うと、ジノは肩をすくめた。

「僕が慌てているように見えるのかい?」
「いえ、大変落ち着いていらっしゃいます。ですが、ほら、私共も、あなた方と敵対をし続けないために、こうして謝罪に来ているのです。強い武力を持つ剣神流の方々と敵対するのは、私共としてもよくない。強い方とはぜひとも仲良くしたい。私たちには、あなた方と仲良くする用意がある。剣や食料の流通に、インフラの整備、建築関係でも協力できます。逆に言えば、私達と敵対すれば、そういったことを止められる。悪いことが多いはずだ。でしょう?」
「はぁ……」

 一気にまくし立てる俺に、ジノはため息をついた。
 ちょっと説明が長すぎたかもしれない。アトーフェを想定していたなら、もっと短くすべきだったかもしれない。でも、幻の酒を提供するだけで「よっしゃ味方になったるわ!」となるほど単純そうにも見えない。
 ジノは俺を見て、煩わしそうに言った。

「一から言わないとわかりませんか?
 先代は、僕らには何も言わなかった。
 つまり剣神流全体の決定ではなく、個人として、君たちと戦ったんだ。
 それは僕らには、なんの関わりもないことです。
 だから僕に戦うつもりはないよ。
 そんなことより、こっちの方が大事だ」

 ジノはそう言うと、ニナを引き寄せて、その髪に顔を埋めた。
 ニナは顔を赤らめつつも、その行為を受け入れている。
 お熱いことだが、人前では控えた方がいいんじゃないかな。
 見なよ、エリスが顔を真っ赤にしてる、目もまん丸だ。腕を組んで足を開いて、臨戦態勢までとっている。

 しかし、俺が会話をしているのは、本当に剣神なんだろうか。
 受け答えが理知的すぎて怖い。
 不気味だ。
 剣神流の高い位の人ってもっとこう、「うるせぇ! 意味わかんねぇ事を言うんじゃねえ! 親父の仇だ! ぶっ殺してやる!」って感じで襲い掛かってくるものでしょう?
 あ、いや、それはアトーフェか。
 でも、似たようなものでしょう?

 あ、もしかすると、今、俺の目の前にいるのは影武者か、あるいは渉外担当の事務員かもしれない。

「……」

 でも、そういう事ならありがたい。
 身内が殺されて、そこまで平然としていられるのはちょっと不気味だが……。
 まあ、状況をよく考えてもらった結果、感情より今後を優先した。ということであれば、納得はできる。
 きっと、前々から考え、決めていたのだろう。

「そういう事なら、改めて我々と……」
「お待ちください!」

 と、叫び立ち上がったのは、剣聖の一人だ。
 顔を真っ赤にしながら、俺たち……というより、オルステッドを指差してくる。

「我らは先代を慕い、その剣を見て、習い、学ぶことで強くなりました! それを殺されたのですよ! こいつらに! 大恩ある先代を殺され、はいそうですかと黙っているのですか!? 我ら剣神流が舐められてもいいのですか!?」
「じゃあ、君はやりなよ。真剣を持ってきてさ、見ててあげるから」

 間髪入れず、ジノがそう言った。
 剣聖の動きが止まる。

「は……?」
「彼らだって、そういうつもりで来ているんだろうさ。
 狂剣王エリスに、龍神オルステッド、北神カールマン三世。
 彼らの後ろから、ルーデウス・グレイラットが魔術の援護をする。
 きっと、君たち全員が束になって掛かっても、一太刀も負わせられず、全滅するだろうね」
「それは……」
「さぁ、やりなよ。死体はちゃんと片付けてあげるし、お葬式もしてあげるから。君らが死んだ所で名誉とやらが守られるかどうかは知らないけど、きっと満足はできるよ」
「……」

 その言葉で、剣聖は座った。
 悔しそうに拳を握りしめて。
 そして、震える声で言った。

「我々は……彼らに従う他無いのですか? 戦うことなく、先代の仇に……」
「だから、嫌ならやればいいじゃないか。僕は君たちに何かを強制するつもりはないんだから、君の自由にすればいいんだよ。父さんたちみたいにさ」

 ジノは面倒くさそうだ。
 俺としては、今の時点で恨みを募らせられるよりは、サックリと納得してもらいたいものだ。
 まあ、納得が生き死ににまでなると、少しつらいが。

「そういえば、剣帝がいないわね」

 そこで、エリスがポツリと口にした。
 ジノは顔をエリスの方へと向けた。

「父さんたちは、剣の聖地を出て行きました。僕が剣神になったのが、不本意だったようで」

 剣帝、というのはニナのことではないらしい。
 ジノの発言から鑑みるに、先代剣神の直弟子である、二人の剣帝のことだろう。
 言われてみると、それと思わしき人物はいない。

「今頃は、アスラか、ミリスか、あるいは王竜あたりで道場でも開いてるんじゃないですかね。ま、別に僕が出て行っても良かったんですが……」

 ジノは肩をすくめてそう言った。

「それで、話は謝罪だけですか? 正直、僕としてはわざわざどうも、という程度の話ですけど」

 やはり、少し不気味だ。
 人のことをどうこう言うつもりはないが、少しこのジノという人物は冷めているというか、達観的というか……不気味だな。

「いえ、話すと少し長くなるのですが、我々は今、ヒトガミという存在と戦っていてですね――」

 そう思いつつも、ヒトガミとの戦いについての詳細を話す。
 なんにせよ、ジノというのは話の通じる相手のようだ。
 争い無しで話がまとまるなら、万々歳だ。

 肩透かしを食らった気分だが、悪くはない。
 剣神という色眼鏡をはずしてみれば、話のわかる、中々の好青年じゃないか。
 ここは一つ協力を取り付けて、後でお茶でも一杯飲んで、仲良くなるとしようじゃないか。
 そうすれば、きっとこの不気味な感じも消えるはずだ。

「――というわけで将来に向けて、改めて剣神流共々、我々に協力していただきたい」
「断る」

 ……ん。
 あれ?

「協力はしない」

 剣聖たちが、「おお!」と声を上げるものの、しかし彼らも困惑気味だ。

「…………それは、人神の側につくと?」
「いいや、敵対もしない」

 んー?

「つまり……中立でいると? 理由を聞いても?」
「師匠の教えを守りたいのです」
「教え?」
「師匠は、事ある毎にこう言っていました。
 『自分のために強くなれ』。
 正直、意味がわからなかった。
 この中にも、わかってる人はいないと思う。
 父さんたちだって、わかってなかった。
 でもニナが欲しいと思った時、やっとわかったんです。師匠の言ってたことが。
 剣は、自分のために振るうべきなんです。
 ただ純粋に、自分の目的を達成するためだけにね」

 滔々と語るジノの声には、確信があった。
 今言っている言葉が真理であると信じて疑わない、確信が。

「だから、協力できない。僕は、僕のためだけに剣を振るう。全て、僕のためだ」
「……たとえ、家族が危機にひんしていても、剣は振るわないと?」
「いや。その時に、僕が家族を愛していれば、剣を振るう」

 そこで、ジノは初めて、俺の方をまっすぐに見た。
 強く、凛々しい視線。
 その視線は、エリスから聞いていた人物像からはかけ離れていた。

「それとも、協力しなければ家族を殺すとでも言いますか?」

 道場内が冷えた。
 ジノの発言は寒気と殺気を同時に放っていた。
 全身にぶわりと冷や汗が浮き出る、もし俺一人だったら、小便でもちびっていたかもしれない。
 彼は、剣神なのだ。
 あの先代剣神ガル・ファリオンを一瞬で打ち負かした、現役の剣神なのだ。
 不気味だが、今この世界で五本の指に入るかもしれない、実力者なのだ。
 そう、理解できた。

「いいえ。俺も家族を愛していますので」
「そうかい、安心した」

 殺気が収まる。

「ルーデウスさんは、噂に聞いていた通りの人物のようだ」
「どんな話を?」
「家族のために龍神の配下となり、国を一つ吹き飛ばした人物だと」
「まあ……概ね間違ってはいないです。国までは吹き飛ばしていませんが」
「それに、思った以上に肝が据わっている」

 ジノが視線をチラリと動かす。
 視線の先は俺の両脇。エリスとアレク、そして剣聖たちだ。
 彼らは全員が、剣柄に手をかけていた。
 中には、すでに抜き放っている者もいる。
 振り返って後ろを見ると、オルステッドは微動だにしていなかった。さすがだ。
 俺も微動だにしなかったが、それはあくまで殺気に震えて動けなかっただけ、とはいえない。

「つまり、信用できる人間だ」

 なにがどう『つまり』なんだろう。

「そんな人間だから、安心して言うんです。協力はしない。僕の剣は、僕と僕の愛する者のためだけに振るわれるものだから」
「……あ。なるほど」

 ジノ・ブリッツが少し理解できた。
 要するに彼は、愛する者を自分の手で守りたいのだ。
 俺と、そう変わらない。

 俺はそれが出来ず、オルステッドに泣きついた。
 でもきっと、彼は出来ると思っているし、その実力もある。
 ついでに言えば、それ以外のことをする気もないのだ。
 無論、彼は剣神だ。中立を宣言しようと、敵は来る。
 でも、自分から敵を増やすような真似はしたくないのだろう。
 先代剣神が『愛する者』に含まれていない理由まではわからないが。
 いや……違うな。
 先代剣神は、「自分のために生き、自分のために死んだ」のだ。
 だから、彼は、その死に関してとやかく言うのは、お門違いだと思っているのだろう。

「……うーむ」

 これは、説得は難しいだろうな。
 ジノは自分で完結してしまっている。
 俺たちがヒトガミとの戦いをやめるか、彼が俺と同じように、自分の力だけでは守れないと思うまでは、考えは変わらないだろう。
 俺がどれだけ説得しても、暖簾に腕押しだ。
 彼はもう、決めているのだから。
 一度決めたら一直線なのは、さすがは剣神流のトップというわけか。

「そうですか……では、くれぐれも夢にヒトガミが出てくる場合は、気をつけてください。家族のためだと嘘をつかれて、最終的に何もかも失わないように」
「はい」

 残念だが……ここは引き下がろう。
 ひとまず、俺たちとも敵対する気がないのは、今のでわかった。
 味方にはならないが、敵にも回らない。
 俺がどういう人間かを知ったうえで、信頼して『中立でいたい』と言ってくれた。駆け引き無しの言葉だろう。
 なら今回は、それで良しとしよう。

「もし僕が死んで代替わりしたら、また来てください。これは、あくまで僕個人の選択ですから」
「そうさせてもらいます」

 俺は振り返り、オルステッドを向いた。
 ヘルメットに隠された表情は、何を思っているのかわからない。

「ということで、よろしいでしょうか、オルステッド様」
「……ああ」

 振り返りつつそう聞くと、オルステッドはゆっくりとうなずいた。


---


 その後、剣聖たちの傷を治した後、今度はアレクが稽古を付ける流れとなった。

 現在、俺は道場の上座の方に座らされ、剣聖たちと乱取りを続けるアレクを見ている。
 剣聖たちは、手に持っているものこそ木刀だが、その太刀筋には明らかな殺気が篭っていた。
 きっと、稽古の拍子にアレクを殺してしまっても問題ない、と考えているのだろう。

 アレクは軽くあしらっている。
 とはいえ、さすが剣聖というだけあってか、もしくはアレクが気を抜いているせいか、たまにアレクに当てるヤツもいる。
 光の太刀だ。
 が、所詮は木刀。当てた瞬間に木刀はボッキリ折れて、アレクはノーダメージだ。
 闘気ってずるいよね。

 しかし、剣の聖地の木刀は変わってるな。
 木刀の芯に、鉄のようなものを入れてあるらしい。
 剣の重さと似せるためかね。
 闘気が無ければ、打ちどころが悪いと死んでしまうのではないだろうか……。

 あ、だからここには剣聖しかいないのか。
 上級以上じゃないと、闘気は扱えないもんな。

「そういえば、オルステッド様……今回はどうして同行を?」

 ふと俺は、隣に座るオルステッドに小声で聞いてみた。

「ジノ・ブリッツを見ておきたかった」
「それは、いつも(・・・)とどう違うか、ということで?」
「ああ」

 ジノは、相変わらずニナを侍らせて、黙って稽古の様子を見ている。
 ニナの隣にはエリスが座っている。
 ニナと何かを話しているようだ。
 ガル・ファリオン、という単語がちょくちょく聞こえてくる所を見るに、恐らく、先代剣神の最後についての話をしているのだろう。

「どうなんです?」
「変わらない。単純一途、頑固で己のためのみに生きる」
「ほう」
「若い頃のジノは不安定だ。であれば、ヒトガミの言葉で揺れることもある。だが、あの様子なら放っておいても問題なかろう」
「なるほど」

 敵にならない中立。
 考えようによっては、それは俺たちにとって味方ということにもなる。
 使徒にもなりにくいだろうしな。
 未来を見据えた行動はしてくれないが、他の国だって、どこもが精力的に動いてくれているわけじゃない。
 ヒトガミの手先にならない、というのが重要なのだ。
 望む、望まないにかかわらず、敵に回ることもあるだろうが……。
 それを言い出したらキリがない。

「ま、参った……!」

 ズダンと音がして、剣聖の一人が道場に倒れた。
 すぐさま次の剣聖が「次は自分が!」と道場の真ん中へと出て行く。
 ……のだが、気づけば、剣聖は全員が座り込むか、あるいは倒れ伏していた。
 剣聖全滅(本日2回目)。
 さすが、北神カールマン三世といった所かね。

「……」

 道場内に、沈黙が舞い降りる。

「――それで、最後にはこう言ったわ『自由に生きた奴が強ぇのは、いいなぁ』って」

 そんな中、エリスの言葉がポツリと流れた。
 彼女は自分の声が、思いの外響いた事に驚いた様子で顔を上げた。
 すぐさま彼女は口元を引き締め、集まりかけた剣聖の視線を威嚇で散らした。

 剣聖たちはうつむき、悔しそうに声を漏らした。
 その視線は、チラチラとジノの方を向いていた。
 弟子に戦わせて、とか、剣神流の名誉をなんだと思っている、という声も聞こえる。

 ジノは、変わらず飄々とした顔で聞き流している。
 案外、日常的に言われているのかもしれない。

「剣神様も、稽古に参加してはいかがですか……?」

 ジノが言い返さないのをいいことにか、剣聖の一人がそう言った。
 アレクに最初に挑みかかり、何度も倒された男で、顔にも大きな痣が残っている。
 先ほど、お待ち下さいと声を上げた人物でもある。

「僕はいいよ」
「なぜですか!」
「なぜもなにも、君たちが彼らに稽古を付けて欲しいと言ったから、僕から頼んだんだ。君たちが終わったのなら、それで終わりだろ?」

 剣聖の顔が歪む。
 彼はブルブルと震え、こらえきれない様子で、叫んだ。

「先代の時はよかった!
 あの人は、ちゃんと剣神流という流派の名誉を守ってくれた!
 こんな奴らがきても、でかい顔はさせなかった!
 剣帝様方がここを去ったのも頷ける!
 剣神なのに、我々に手本も見せてくれない!
 修行は全て一人で行って、道場では毎日女を侍らせて、イチャついているだけ!
 仇がきて、自分たちの下につけといってきてもそうだ!
 仇であることを飲み込み、恭順するならまだいい!
 曖昧に中立を宣言するだけ! それも、敵を作りたくないから?
 なんなんだあんたは! 何のための剣神なんだ!」

 道場内がシンと静まり返る。
 ジノの表情は変わらない。
 変わらず、飄々とした顔だ。
 ポカンとした、と言い換えてもいい「何言ってんだこいつ」って顔だ。
 だが、男の方は流石に言い過ぎたと思ったのか、やや青ざめた顔をしている。

「剣は、個人のものだ。僕が勝った所で、君たちの勝利ではないし、君たちの名誉は守られない」

 ジノはポツリと言った。

「僕はニナとこうなりたくて、先代を倒した。だからこうしている。
 名誉を守りたかったわけでも、君たちの面倒を見たかったわけでもない。
 不満があるなら、君たちも出て行けばいい。
 僕は剣神じゃなくてもいいけど、君たちに譲ったら、君たちは僕を追い出すんだろう? 出て行くのはいいけど、今は都合が悪い。子供が小さいからね」

 剣聖たちは、「あぁ」と声を出しながら、また俯いた。
 そうじゃないんだ、なんでわかってくれないんだ、とそんな声が聞こえてくるようだ。

 なんとも、嫌な空気が流れている。
 剣神と門下生たち。
 うまくは、いっていないようだ。
 ジノも、まだ若いということか。
 ここをうまいことやっておかないと、内側に敵を作りかねないというのに。

「そんな事を言わず、手本ぐらい見せてあげたら?」

 沈黙を破ったのは、ニナだった。
 彼女はジノに寄りかかっていたが、体を起こし、正座した。

「私も、あなたが戦う所を見たいわ」
「わかったよ。ニナが言うなら」

 ジノはスッと立ち上がった。
 今までの重い腰が嘘だったかのように、スッと。

 もしかして、尻に敷かれているのだろか。
 ていうか、これで本当に安定していると言えるのだろうか。
 俺には、むしろ不安定に見える。
 大丈夫なんだろうか。

「エリスも、どう? ジノ、強くなったわよ」
「……わかったわ」

 ニナに話を振られて、エリスも立ち上がった。
 俺の方を見て、何かを放ってくる。
 咄嗟に受け取ると、彼女の剣だった。
 魔剣「喉笛」。
 先代剣神が愛用していた剣だ。

 ジノとエリスが、道場の真ん中へと進み出る。
 そこにはアレクがいて、彼は肩をすくめた。

「で、どちらからやるんですか?」
「もちろん、弱い方からよ」

 エリスはそう言ってアレクを押しのけた。
 アレクは了承したと言わんばかりに頷き、俺たちの方へと戻ってきた。
 汗一つかいていない。
 彼が汗をかいているのなんて、見たこと……。
 いや、ビヘイリル王国で見たな。びっしょりだった。

「……ここの人たちはダメですね」

 俺の隣に座ると、彼は小声でそう言った。

「せっかく格上と打ち合う機会なのに、学ぶ気がない」
「それは、俺から見てもわかりました」
「でしょう? これなら、お祖母様の所にいる人たちの方が上です」

 アトーフェ親衛隊はちょっと違うだろう。
 なんて思いつつ道場を見ていると、エリスが木刀を構えた所だった。
 いつも通りの上段。
 攻めの構えだ。

 対する剣神ジノは腰だめ、居合だ。
 居合といえば、ギレーヌを思い出す。
 だが、ギレーヌに比べると、なんとも静かだ。
 ギレーヌは、居合を構えつつも尻尾を揺らし、噛みつくタイミングを図っているような獰猛さがあった。
 ジノの構えは、無だ。
 先ほどのオルステッドのように、時が止まったかのようにピタリと静止している。
 隙は無い。

「……」

 エリスが、ジリっと間合いを詰めた。

 相手は剣神だ。
 先ほどの話がなければ、ハラハラしてしまう所だ。
 打たれても、まあ、死にはしないだろう。 
 大丈夫だよね?
 一応、予見眼を使っとくか。
 まあ、使った所で、剣筋は見えないだろうけど……。
 急所に直撃、みたいな流れになったら、オルステッドはちゃんと止めてくれるだろうか……。

「エリスさんなら、スタートの合図はいりませんよね?」
「ええ」

 エリスが頷いた。
 と、思った時には終わっていた。

《エリスが利き腕を叩き折られ、片膝をつく》
《エリスの木刀が宙を舞い、道場の壁にあたってカランと落ちる》

 予見眼に見えたのは、それだけだ。
 そして、ほんの一秒後、それは現実となった。

「……」

 俺の眼には、エリスが先に動いたように見えた。
 ええ、という声を言い終わるか終わらないかのうちに、木刀の先端が残像となったのだ。

 だが、結果として、エリスは負けた。
 恐らく、スピード負けして、利き腕を叩き折られたのだ。

 いや、利き腕だけではない。
 よく見ると、エリスの出足の親指が、変な方向を向いている。
 二太刀。
 連撃だったのか……?

 腕を折られ、足を折られた。
 だが、エリスは止まらない。
 この程度では止まらない。
 獰猛な笑みを顔に張り付かせ、なおも残った足で突進する。

 ……のかと思ったが、ふっと力を抜いた。
 やめたのだ。

「そこまで」

 道場に響いたのは、オルステッドの声だ。
 その声で、道場内から「おぉ」という声や「お見事」という声が聞こえてくる。
 だが、まばらだ。
 声音も、なんだか困惑気味だった。

「何が起きた? 初太刀をかわしたのか……?」
「初太刀は足首狩りだ。かわしきれずに親指を……」
「だが二太刀目は?」

 剣聖たちの中から、そんな囁き声が聞こえる。
 勝負がついたのか、付かなかったのか。
 それすらも判断出来ないほどの早業だったのだろう。
 だが、結果は見れば明らかだ。エリスは脂汗を流しながらへたり込み、剣神はだらりと木刀を下げて立っている。

 手本を見せるといって、見せる相手が何をしているのかすらわからないのか。
 これじゃ、手本の意味がないな。
 剣聖たちは、それを悔しく思っているのか、表情が硬い。
 だが、同時にほっとした空気も流れていた。
 これで剣神流の体面は守られた、とでも思ったのだろう。
 溜飲が下がってくれたなら、俺の方としても万々歳だ。

「さすが剣神殿!
 初太刀は、出足の足首を狙ったもの。
 けど、その太刀筋は足首から手首までの最短距離を走っていた。
 足首を狩れればよし、回避されてもよし、どちらでもその分だけ初太刀が遅れ、手首へのカウンターが決まる。
 己の剣速に対する絶対の自信がなければできない芸当です」

 アレクが、やや大きな声でそう言った。
 剣聖たちに聞こえるように。
 その言葉で、剣聖たちも「なるほど」と頷いていた。
 ありがとうございます、解説のアレクさん。
 アレクは当然とばかりに座っていたが、ジノを見る目に少し非難がある。
 師匠なら教えてやれ、と言わんばかりの顔だ。

「昔のエリスさんよりなら、その状態でも向かってきましたね」
「今が意地を張る場面なら、そうするわ」
「なるほど。さすがはエリスさんだ」

 ジノは少し微笑み、ゆっくりと頷いた。
 すると、エリスもふっと笑った。
 しかし、その額には脂汗が浮いている。
 手首足首が折れたぐらいで泣き言を言う女ではないが、しかし痛いものは痛かろう。
 俺は立ち上がり、エリスの下へと駆け寄った。

「大丈夫?」
「……大丈夫よ。早く治癒魔術を使って。変な所触らないでよ?」
「はい」

 即座に治癒魔術を詠唱し、エリスの骨を治す。
 予め釘を刺されていたので、胸とか尻には手を伸ばさない。
 模擬戦とはいえ、骨が叩き折れるほどの衝撃。
 もしこれを頭とか首にもらっていたらと考えると、ぞっとする。
 まあ、オルステッドもいるし、胴体と首が離れない限りは、大丈夫だと思うが……。

 それにしても、剣神。
 先代もそうだが、剣がまったく見えない。
 敵に回したくない相手だ。

「どう?」
「……凄まじいわ。悔しいけど、勝てそうもないわね」

 怪我の具合を聞いたのだが、エリスから帰ってきたのはそんな言葉だ。
 本当に悔しそうに、口をヘの字に曲げている。
 エリスも、子供を二人産んだとはいえ、剣術に対しては真面目に取り組んできた。
 それを考えると……いや、単に負けたのが悔しいだけか。昔からそうだった。彼女は負けるのが嫌いなのだ。

「では、僕が」

 エリスを連れて戻ってくると、アレクがウキウキした顔で立ち上がった。
 が、そこでふとオルステッドを振り返った。

「オルステッド様……よろしいですか?」
「構わん。好きにしろ」

 オルステッドの許可は、あるいはジノを叩きのめす許可だろうか。
 ここでアレクを叩きのめせば、あるいは七大列強の順列が変わる可能性も出てくる。
 中立を宣言してくれたジノ・ブリッツ。
 今、エリスが負けたことで、剣聖たちも溜飲が降りた。
 剣の聖地は中立の立場を守ってくれるだろう。

 だが、剣神が敗北すれば、話は別だ。
 ジノ本人はともかく、剣の聖地の大半が敵に回ってもおかしくはない。

 どうしよう、止めるべきじゃなかろうか。
 ……。
 いや、何も言うまい、オルステッドが良いといったのだ。
 俺は結果に対するフォローだけを考えればいいのだ。

「いざ」

 アレクが前へと出る。
 木刀を使っての模擬戦。
 とはいえ、北神と剣神。
 七大列強同士の戦い……といっても過言ではない。
 今の七位はお飾りみたいなもんだからな。

 どちらが勝つのか。
 やはり、経験の差でアレクが有利だろう。
 剣神は、先代を倒したとはいえ、まだ若く、経験が足りない。
 その上アレクには、北神カールマン三世としての意地があるだろう。
 先ほど、剣神の太刀筋も見えていたようだしな。

「……」

 中段に構えたアレク、居合に構えるジノ。
 どちらが先に仕掛けるのか。
 通常なら、剣神流のジノが仕掛け、北神流が受ける形だ。
 だが、逆もある気がする。

「……っ!」

 先の動いたのは、アレクだった。

 今度は見えた。
 中段から、ノーモーションでの突き。
 だが、ジノはそれを上回る速度で、剣を振るった。
 突きの先端に合わせるように剣を抜き放ち、ほんの僅かに切っ先をそらし……俺に見えたのはそこまでだ。
 次の瞬間、ジノの木刀が消えた。

 次に俺の目に映ったのは、アレクの左手がへし折れる瞬間だ。
 同時に、アレクが一歩後ろに下がり、道場の床に黒い線が一本残る。
 恐らく、先ほどエリスを仕留めた同時攻撃を、手首、足の順番に行ったのだ。

 アレクは折れた手のまま木刀を、構える。
 だが、折れたと思ったその腕は、ほぼ即座に治癒したようだ。
 不死魔族の血のなせる技だろう。
 その上で北神流は、ここからが真骨頂だ、とでも言わんばかりに闘志を瞳に宿らせる。

 でも、ジノはそのまま前に出た。
 凄まじい猛攻が始まった。

 ジノが剣を振るう度、アレクの腕か、足がへし折れた。
 骨折程度はすぐに治癒するようで、戦闘不能には陥らない。

 だが、それだけだ。
 ジノは、アレクが攻勢に出ることを許さなかった。 

 アレクも色々と試していたのかもしれない。
 でも、それが届いていないのは、誰の目にも明らかだったが……。

「……参った」

 やがて、アレクは剣を下ろした。
 傷は無い。
 だが、服はボロボロに破け、木刀は先端がささくれ立っている。
 対するジノは、無傷だ。
 しっとりと汗をかいてはいるものの……圧倒的だ。
 ここまで差があるとは思えなかった。
 アレクも、あんなに強いのに……。

 今、この瞬間なら、ジノは列強クラスはあるのではないだろうか。いや、列強なんだけどさ。

「いや、お強い。上には上がいるということを、思い知らされました」
「いいえ。あなたは片手ですし、実戦なら、どうなっていたかはわかりません」
「真剣なら今頃はバラバラでしょうね」

 アレクはあっさりと負けを認めた。
 鞘のない木刀を居合に構えて、これだ。
 本当の居合なら速度が上がる。
 つまり、真剣なら差はさらに広がる可能性もある。

「さて……」

 アレクは木刀を持ったまま、こちらに戻ってきた。
 負けたというのに、あっさりとした顔だ。
 少し悔しそうではあるが……ビヘイリル王国の時のように喚いたりはしない。
 彼も変わったということだろう。

「……ん?」

 ふと見ると、道場内の視線が俺の方を向いていた。
 ジノも、すでに手合わせは終わったというのに、道場の中心にいる。
 俺の方を向いて。

「列強七位……」
「列強同士の戦いを見れるぞ」
「まさか剣神様が負けることはないだろうが……」
「龍神オルステッドの技も見られるやも」

 剣聖たちのヒソヒソした声が聞こえる。
 え?
 ん? どゆこと?

「ルーデウス様。見せてやってください。僕を倒した魔導鎧の威力を!」

 アレクに耳打ちされて、俺は咄嗟に言った。
 用意してあった言葉だった。

「いやはや、やはり剣の聖地の方々は稽古に熱心でいらっしゃる! ですがもうすぐ日も落ち、お腹も空いて参りました! ここらでお開きにしようじゃありませんか!」

 がっかりされた。


---


 こうして、剣の聖地の挨拶は終わった。
 俺は剣聖たちの間では臆病者と呼ばれるようになったが、知ったことではない。

 剣の聖地……いや、ジノ・ブリッツは、死ぬまで中立を守ってくれるだろう。
 俺はそれで、満足だ。
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