|
|
石灰石の鉱山、でかくて寒かった
「私道」とは、個人が自分の所有地に作った道路のことだ。
ちょっと奥まった場所に家を建てた場合、表の道路から玄関まで数メートル私道を設けることがよくある。 山口県には、約32キロある私道が存在するという。表の道路から玄関まで32キロあるスケールがでかすぎる家。というわけではない。 > 個人サイト 新ニホンケミカル TwitterID:tokyo26 宇部といえば?32キロの私道とは「宇部興産専用道路である。私道としては日本一長い。
この日本一長い私道を見学するために、山口県宇部市にやってきた。山口宇部空港からバスで市内に向かう。 宇部新川駅から宇部興産の本社に向かって歩くと、途中に巨大なオブジェが出現する。 恐竜の足?
歩道にそそりたつ骨。彫刻作品だろうか? タイトルは「地球の明日がみえますか」と書いてある。
地球の明日は見えないけれど、後ろの工場の煙突から出てる煙(正しくは水蒸気です)とあいまって世紀末感はある。世紀末からすでに15年以上たってるが。 屋外にパブリックアートとして彫刻作品を置いている町は、あちこちにあるが、その嚆矢となったのは宇部市らしい。 で、そのオブジェの奥に見える工場が、宇部興産の工場である。 デカイ「UBE」の文字
宇部興産。山口県内では知らないものはいないほどの大企業だ。しかし、本当のところ、ピンとこない人も多いのではないか? かくいうぼくもピンとこない方のひとりである。
正直に告白すると、ぼんやりと「石油化学メーカー?」ぐらいのイメージしかない。 そもそも宇部興産ってどんな企業なのか。それを知るために宇部興産本社ビルに開設されている「UBE-i-Plaza」にやってきた。 宇部本社にある「ユービーイーアイプラザ」
専用道路について話を聞く前に、宇部興産について知っておいたほうがいいと思うので、宇部興産の方に案内していただいた。
右から宇部興産の河野さん、工藤さん、宇部市役所の古谷さん
もともと石炭を採掘していた宇部興産は、宇部市の沖合にある海底炭田の採炭を行うために1897年(明治30年)に創業した「匿名組合組織沖ノ山炭鉱」がルーツだ。
当時は日露戦争を目前に控え、欧米列強に追いつくための富国強兵策で日本全体の産業が大きく発展していた。 ただ、宇部の炭田から採掘される石炭は、カロリーが低く、工業用としては質があまりよくなかったものの、家庭用練炭などにはちょうどいいということで売れたため、沖ノ山炭鉱に大きな利益をもたらした。 宇部興産創業者の渡邊さん
しかし、創業者の渡邊裕策はそれで慢心しなかった。
「石炭はいずれ掘り尽くしてしまう、有限の鉱業から無限の工業へ」として、早くから石炭採掘以外の事業にも積極的に取り組んだ。 宇部の炭鉱から撮れた石炭
渡邊は、大正から昭和初期にかけて、鉄工所、セメント工場、窒素工場などの会社を次々に設立させ、それらの事業が、現在の石油化学工業やセメントなどの建設資材、機械などの事業につながっている。
こういった自由な事業拡大が行えたのは、宇部の石炭は質が悪かったため、財閥系が目をつけなかったからというのもあるらしい。 北海道や九州の炭鉱が、石炭に頼りすぎていたため、石油へのエネルギー転換後の時代に対応できず、炭鉱閉山後に寂れてしまったことを考えると、慧眼というほかない。 これが
こうなる
戦後は、石炭から石油へとエネルギーが転換するにともない事業は拡大し、いまや山口県のみならず、日本を代表する総合化学メーカーへと発展した。
と、ざっくりと宇部興産の歴史をふりかえってみた。 縁の下の力持ち的な……。しかしながら、冒頭にもちょっと書いたけれど、宇部興産がなにをしている会社なのかちょっとわかりにくいな……というのは、正直ある。
床材
例えば、上記の床材。多くのコンビニやマンションの床にこれが使われているものの、宇部興産製と書いてないのでわからない。
たしかに目立たないけれど、足元を支える大事な素材であることにはかわりない。 「え、ウィダーinゼリーとシャンプーも作ってるの!?」と思ったけど、包装フィルムを作っているらしい。
宇部興産は、食品や日用品のパッケージなど、名前がなかなか出づらいものを作っていることが多い。
たしかにこれだとあまりピンとこない人が多いのも仕方がない。 しかし、その中でも見たことがあるのはこれ。 よく見ると「UBE」と入っている。
粗品とかでよく貰うラップだ。
目に見える商品はあまりないものの、我々の生活の気づかない場所で宇部興産の商品が使われている。ということはわかった。
記事コンテスト 日本おもしろ記事大賞 実施中 (2/29締切) |
||||||||||||||||||||||||||
|
| ▲デイリーポータルZトップへ |