どうも。
だいちハウスでは日々様々な人たちが出入りして面白い空間ができています。
そんな本日は僕の後輩が企画する命のワークショップを通して感じたことをまとめておきます。
命をいただくってどういうこと?
僕たちは普段スーパーなんかで精肉された肉を購入します。
綺麗に部位ごとに切り取られ、あとは調理するだけで食べられる状態です。
ですが、その状態を見て僕らは何を考えるでしょうか?
多分多くの人がこの綺麗に切り取られた部位の名前をもののように捉えて、いつも当たり前にここに並べられているものだと感じているでしょう。
でも、そうじゃないですよね。
鶏肉は元気良くバタバタ羽ばたいて生きている鶏をさばいて部位ごとに切り分けているんですよね。
豚も牛も魚も同じですね。
野菜だってそうです。誰かが植えて、誰かが育ててくれたからあそこに並んでるんですよね。
ただ、そんなことを口であれこれ言われてもイメージがわく人なんていないと思うんですが、僕らはそんな命の上に立っていることを忘れてはいけないと思っています。
命をいただくということは「呼吸すること」だと思っています。
僕らはこうした命をいただかなければ生きていけないんですからね。
「いただきます」は感謝の言葉
「いただきます」って言葉の意味にはなんか色々な意味があると思っていますが、僕はいただきますは感謝の言葉だと思っています。
さっきまでいきていた命を僕たちの糧にするわけです。
そこには「僕たちに命を与えてくれてありがとう」という意味があるんだと思うんです。
でも、今では多くの人がその命に直接的に触れる機会がほとんどありません。命をいただくということに対してリアルな感覚がないわけです。
だから、食べ物を残すことに対して何の抵抗もなくなってしまいます。
そんな日本は世界で一番食べ残しによるゴミが多い国だと言われています。年間2000万トン以上もの食べ残しが捨てられているのです。
食べられないものが出てしまうことはしょうがないことですが、そこには命への感謝もそれを本当の意味での「いただきます」がないような気がするんですよね。
そんな現状はほんとに悲しいことです。日本でもいつ食べ物が簡単に手に入らない状況に陥るかわからない状況にあるというのに…
鶏をさばいて美味しくいただきました
※ここからは少しグロい写真を公開しています。嫌な人は見ないでください。
今からさばかれるのがわかっているのか、足を縛った鶏はほんとにおとなしく、静かにじっと何かを見つめていました。
鶏の生を感じるためにまずは抱き抱えてみます。
これでも静かにじっとしています。
まずはしめるところから。
まだ生きている鶏に敬意を払って目は手で隠してあげます。そして、一気に首を切ります。
この時ものすごくバタバタ暴れますが、ぐっと抑えてすぐに済ませてあげます。
首から一気に血が出てくるので、バケツなんかで一旦血を落として、暴れるのがおさまったら、
こんな風に足を縛って吊るします。
5分くらい釣っておいて血がある程度落ちたらおっけいです。
80度以上になったお湯を準備して、そこに一気に浸からせます。
1分ほどつけたら、取り出して、
毛を丁寧に抜いていくます。
そしたら、ちょっと見覚えのある感じのフォルムになってきました。
ここから内臓を取り出したり、丁寧に部位に分けていきます。
こんな風に綺麗に精肉したら、スーパーで売ってる感じのお肉になってきましたね。
はい、ここからは調理をして美味しく食べました。
つい一時間ほど前まで元気に羽ばたいていた鶏が今では美味しいお肉になっています。
命をいただくということはこういうことです。
参加者の声
みんなでさばいたお肉は最高でした!
人間って残酷だけど、優しいんですね(^^)
「知る」ことは賢さへの一歩。
#だいちハウス#いのちのワークショップ#しんじょう君 pic.twitter.com/Y9lbitaCvb
— まあちゃん (@ma_chan3618) 2016, 2月 13
1匹から1つしか取れない部位ばかりなのだよ。よくても2つ。
それが居酒屋やチェーン店では安価で大量に出てくる。これがどういうことか…。
消費することもきちんと考えてよう。
無駄に食べなくなるようになる。
— まあちゃん (@ma_chan3618) 2016, 2月 13
みんなでさばいたお肉は最高でした!
人間って残酷だけど、優しいんですね(^^)
「知る」ことは賢さへの一歩。
#だいちハウス#いのちのワークショップ#しんじょう君 pic.twitter.com/Y9lbitaCvb
— まあちゃん (@ma_chan3618) 2016, 2月 13
参加してくれたまあちゃんがすごくいいことを書いてくれているのでシェア!
まとめ
僕らは命の大切さを日々感じているだろうか?
本日の問いかけです。
現代では何かに生かされ、自分たちで生を生み出すことをする人もほとんどいません。だからこそ、日々こうして命の大切さを感じなければならないと思っています。
それが僕たちが命をくれた生命への恩返しではないでしょうか?
今後もこうしたワークショップを通じることリアルな生を感じられる場を作っていきたいと思います。
本日も生を与えてくれる野菜や肉へ「いただきます。」
(by 自由になったサル)