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時論公論 「介護現場を変えるには~川崎市老人ホーム転落死事件」

寒川 由美子  解説委員

川崎市の老人ホームで高齢者3人が相次いで転落死し、当時の職員が殺人の疑いで逮捕された事件は、介護現場への信頼を揺るがす形となりました。
背景には、介護現場の人手不足も指摘されています。
しかし現場の取材を進めると、見落とされていた深刻な問題がわかってきました。
人手不足に直面しながら施設の運営をしなければならない現場の指揮官、管理者が育っていないという問題です。
事件から浮かび上がった組織の管理という課題と、それを克服するにはどうすればいいか考えます。
 
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逮捕から丸4日。老人ホームの元職員、今井隼人容疑者(23)は、3人の殺害を認め、「介護の仕事に不満やストレスがあった」と供述しています。
入所者をわざわざ起こしてベランダに連れ出し、投げ落とすなど、犯行は計画的だった疑いも出ています。

どんな事情があったにせよ、犯行は許されるものではありません。
ただ、真相の解明とは別に、まず指摘しておかなければならないのが、警察などの情報共有の問題です。
 
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亡くなった3人は、わずか2ヶ月の間に、施設の4階と6階からほぼ同じ位置に転落していました。
介護が必要なお年寄りが胸の高さの手すりを乗り越えられたのかという点も含め、不審に感じるのが素朴な感覚です。
ところが警察は、事件と事故の判断がつかないとして遺体を詳しく調べる司法解剖を行わず、県警本部が3件の連続性を把握したのは、今井容疑者が盗みの疑いで逮捕された去年5月になってからでした。
 
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一方、施設側は、職員から疑問の声があがっていたにも関わらず「警察が事故と判断した」という報告書を川崎市に提出し、川崎市も2件続いた時点で不自然さを感じたとしながらも、報告書を鵜呑みにして口頭注意にとどめていました。
せめて2人が亡くなった後、警察や施設の職員、川崎市の情報が共有されていれば、3人目の事件は防げたかもしれません。
認知症の人などの行動には予測がつかない面もあるという先入観が、事故だと思い込む姿勢につながっていなかったか。改めて問われなければなりません。

今回の事件では介護現場が抱える様々な問題が浮き彫りになりました。
人手不足もその1つです。
 
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規制緩和で民間企業による有料老人ホームは急激に増え、事件があった老人ホームの親会社も、全国におよそ300の施設を展開するまでになりました。
ところが急成長の裏で、人材確保が追いつかず、今回の今井容疑者のように、資格がないまま雇われる職員も多くなりました。
事件後、系列の施設では職員による虐待などが相次いで発覚。
国は立ち入り検査を行って、業務改善を勧告しました。
この中で指摘されたのが、組織の管理体制の不備です。

介護施設での組織の管理とはどういうことでしょうか。
 
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国のガイドラインでは、施設には最低1人の管理者を置くとされています。
特別な資格は必要ありませんが、管理者の業務は、職員の指導や教育、シフトの管理、職場環境の改善のほか、利用者の入所手続き、家族からのサービスについての相談など、多岐にわたります。
特に、経験の浅い職員が増えることで、指導や教育は重要になっています。
一方、人手が足りない現場では、管理者自身も介護に携わらなければならず、簡単な研修だけで管理者になるケースも多いといいます。
以前、この会社の施設で管理者として働いていた男性は、「介護の仕事しか知らないまま管理者になったことで壁に突き当たった」と話します。
男性によりますと、高齢者に出来るだけ自立した生活をしてもらおうと、例えば立ち上がることが出来る人なら、車いすに乗せず職員が一歩一歩付き添って歩く、といった施設づくりを目指しました。
しかし現実には人手も時間も足りず、職員の教育もままならなくなり、入所者と職員がぶつかり合うという、理想とはほど遠い職場になってしまったといいます。

専門家は、この管理者層の人材不足こそが、いま介護現場で起きている最大の問題だと指摘します。
管理者が組織をうまく運営できないと、現場の職員の仕事量が増え、それに嫌気がさしてやめてしまうと、さらに人手不足になり、問題が起こるという、悪循環に陥ってしまうというのです。
そのことは、介護施設での高齢者の虐待にも現れています。
 
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職員による虐待は10年間で6倍に増え、過去最多となっています。
自治体による調査の結果、わかった原因は、「教育・知識・介護技術の問題」が最も多くなっていました。
これは、例えば認知症の人とコミュニケーションをはかる技術がないため、言うことを聞いてもらおうと、ついたたいてしまった、とか、手足を拘束することが虐待にあたるという知識がなかった、といったケースです。
これが圧倒的に多いということは、深刻な問題となっている虐待の多くが、職員の教育や組織管理のあり方を見直すことによって、防ぐことができる可能性があるということです。

では、組織管理の問題を克服し、介護現場を変えるにはどうすればいいのでしょうか。
まずは、見てきたように、管理者を育てることが必要です。
 
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ところが、事業者が施設の運営で重視することをみてみると、賃金や労働時間の改善などが多い一方で、管理者の育成は18%にとどまっています。
介護現場特有の問題として、管理者自身が介護に携わり、現場から外せない、という事情があるのは分かります。
しかし管理者が育たなければ、職員への教育もおぼつかず、結局のところ、虐待など大きな問題となって事業者に跳ね返ってくることになります。
成長産業では人件費や教育のコストを削減しがちだと言われますが、事業者には危機意識を持って、コストをかけてでも人材育成に取り組むことが求められます。

そして、根本的なこととして、介護現場で働く人を増やすため、賃金アップや長く働き続けてもらう仕組みが必要です。
 
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介護職員の賃金や勤続年数を見てみると、例えば、
▼かつてのホームヘルパー2級にあたる介護職員初任者研修、
そこから▼介護のエキスパートとされるケアマネージャーになっても、月給は大きく伸びません。
全産業の平均と比べると、差は歴然としています。
もちろん、お金以外の、働きがいや人の役に立ちたいといった理由で介護の仕事を選ぶ人は多くいます。
ただ、働きに見合った賃金が得られなければ、人材が他の業種に流れてしまい、管理者になれるベテランが育ちません。
 
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国は今年度から、キャリアアップした人に賃金が多く支払われるよう、待遇改善のための加算金を1人あたり月額2万7000円に増やしました。
ただ、加算された分を、職員にどう傾斜配分するかは事業者が決めることになっています。
加算分が自分の賃金に反映されないことで、かえって不満が高まることにもなりかねません。
国や事業所には、制度が将来的なキャリアアップや賃金アップにつながることを職員に丁寧に説明する姿勢が求められます。

いま、介護業界は、マーケットの拡大にともなって、大手企業などによる業界再編が進んでいます。
今回、事件があった施設の親会社も、来月、大手損害保険会社の傘下に入る予定です。
経営の安定が職員の待遇改善につながり、組織管理のノウハウも充実すると期待される一方で、さらなる人材の奪い合いや、行きすぎた効率化の追求を招くのではないかと懸念する声もあります。

10年後には38万人足りなくなると予想される介護現場。
介護の仕事を選んだ人たちが、働きがいを持って、長く働ける。
そうした環境を作り上げることが、私たち自身の安心な老後を守ることにつながっていくと思います。
 
(寒川 由美子 解説委員)

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