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R18身代わりの薔薇は褐色の狼に愛でられる 作者:白ヶ音 雪

終章

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最後の血筋

 ガシャガシャと鎧が音を上げ、重い足音が地鳴りのように響く。
 今やラングレン邸は頭と顔を青い布で覆い隠したサルマーンの兵士たちによって完全に包囲され、物々しい雰囲気に皆あとずさりし、その顔は緊張と怯えの色に染まる。
 ヴァン以外の者たちは、今ここにいる重装備の人間が何者なのか分かるはずもない。それが余計に、この状況に対する恐怖を膨れ上げさせるのだろう。
 顔を青ざめさせたメイドたちは互いに抱き合い、ローゼも屈みこんで、プリムを隠すように抱きしめている。
 ヴァンは前に進み出て、緊張を孕んだ固い声を発した。
「……サルマーン国王、ランダル陛下とお見受けする」
 前に見た姿絵より少し年を取った印象ではあったが、その鷹のように鋭い暗褐色の瞳から放たれる威圧感は見間違うはずもない。さすがに元軍人と言うだけあって、体つきも普通の老人と比べればがっしりとして逞しかった。
 すぐ横に控えている兵士の一人――――格好が違うところを見れば、おそらくは他の兵士たちより上の立場なのだろう……、国王に頭も垂れず直接話しかけたヴァンを諌めようとでもするかのように足を踏み出したが、ランダルはそれを手で制して深く頷いた。
「いかにも……私がランダルだ」
 そうして彼はヴァンの背後へと視線をやり、何かを探すような素振りを見せる。
 何をしているのだろうとその目線を追えば、ランダルはある一点に目をぴたりと留めた。そして目的のものを見つけたのだろう、その口角が、はっきりと吊り上がった。
「まさか本当に、ここにおられたとは」
 ランダルの視線の先には、プリムを固く抱きしめたローゼの姿がある。
 ローゼの腕の中で、プリムがぴくりと身じろぎしたかと思えば、ゆっくりとランダルに視線を向けた。
「ずいぶんお探し申し上げた」
「ランダル」
 プリムは憎悪を隠そうともせず、険しい声でランダルの名を口にする。
 ローゼの腕の中から抜け出し、小さな足を一歩一歩踏み出し、そうして、ヴァンのすぐ真横に立った。
 すみれ色の瞳が子供に似合わぬ強い光りを宿し、ランダルを見据える。
「***」
 発された言葉は、サルマーン語だろう。ヴァンには言葉の意味は分からなかった。けれどその全身から立ち上らせる威圧的な気は、明らかに、ただの幼い子供に出せるものではない。
 サルマーン国王ランダルを前にして、プリムは臆した様子も見せず、子供らしさの一切抜け落ちた刃のような鋭い表情は、一瞬声をかけるのが躊躇われるほどだ。
「……プリム、お前……」
 だがランダルは、その視線を受けても少しも怯んだ様子はなかった。
 むしろ楽しそうに目を細め、ヴァンへと目を戻す。
「その子供を、こちらへ引き渡してもらおう」
 ランダルが左手を前に伸ばし、掌を自分の方へ引いて見せた。
 こんな状況でいきなりそのようなことを言われて、素直に従うはずがない。いや、たとえ理由を言われたとしても、おめおめとこのような男にプリムを引き渡すはずもない。
 クーデターを起こした上で王族を、――――まだ赤子であった末王子に至るまで惨い方法で処刑したと言う噂は、当然イヴリルにまで及んでいる。そのせいでサルマーン国内を混乱の渦に巻き込んだランダル王に対して、元より良い感情を抱くはずがない。
 何より、メドゥーラ公女を半ば卑怯な方法で輿入れさせた例の一件もある。
 だが、相手が国王であればこそ無下に追い返すわけにもいかないだろう。わざわざこのような場所に王本人が出向くからには、それ相応の理由があるからに他ならない。
「なにゆえ、その命に従わなければならぬのか。その理由をお聞きかせ願いたい」
「私がそう望んでいるから、では不十分か」
「申し訳ないが、私の仕える主はランダル陛下、貴方ではなくルーディス大公殿下……イヴリル国内での貴方の命令に、わけもなく従うべき謂われはない」
 きっぱりと言い切るヴァンに、くっ、とランダルの喉が鳴る。
 てっきり怒り出すのかと思ったが、そうではなかった。彼はさも愉快そうに笑いながら、手を叩いてみせる。
「はっはっは! ……さすが恐れを知らぬ『イヴリルの悪鬼』。この私にそのような口を利くとは、中々見上げた根性ではないか。そなた、どうだ。我が国に来る気は――――」
「お断り申し上げる。私の主は生涯変わらぬゆえ」
「……そうだろうな」
 即答するヴァンに笑いを引っ込めたランダルは、すっと目を細めた。
「理由を、と聞いたな。よいだろう、そう望むなら、隠す必要はない。私はただ、本来そこにあるべきものがあるべき場所に戻るのは当然と思ったまでのこと」
「本来あるべき場所……?」
「やはり教えられておらぬか」
「ランダル」
 プリムが制止するように口を挟んだが、ランダルはにやりと笑いながらそれを無視する。
 そして勝ち誇ったように、こう言うのだった。
「そこにおわす方は、ルクナバル・サ・アルマーン……我がサルマーン王国最後の王、ファバーリ・アバル・サ・ダルマースが第十八王女、プリムラティファ・ライマ・サーナ・ファバーリ殿下であらせられる。我が国の女王陛下アバリアとなられる身だ、このような場所にいつまでもおいてはおけぬ。一国も早く我が国にお連れし、戴冠式を済まさねば」
「何を……っ」
 いきなり突きつけられた事実に、ヴァンは混乱してプリムとランダル、交互に視線をやる。
 ランダルがこの場でそのような嘘をつく必要はない。彼の言っていることは間違いなく真実なのだろう。
 けれど、だったらなぜ、プリムは奴隷商たちに捕まってあのような傷だらけの状態だったのか。
 ……答えは、すぐに分かった。
「***!!」
 その場に怒声が響いた。
 屋敷の中から騒ぎを聞きつけたのだろう。先ほどまで姿のなかったセトナが眉を吊り上げ、まっすぐにランダルへと殺気とも言うべき強い眼差しを向けている。
「おや、これはこれは……誰かと思えば、プリムラティファ殿下の近衛隊長、セトナーラムではないか。国内の混乱に乗じてどこに行かれたかと思えば、貴公が殿下を連れ回していたか」
「******! ***!!」
 頭に血が上ったためか、セトナはしきりにサルマーン語で何かを叫んでいる。
 そのまま、今にもランダルに掴みかからん勢いであったため、ヴァンは彼の腕を掴んでその場に引きとめ、眉を上げた。
 ベルニアと共にいた時の穏やかな態度が嘘のような、激昂した様子であった。
「セトナ殿、一体どう言うことだ。貴方とプリムが兄妹と言うのは嘘か」
「その話は長くなるので申し訳ないがまた後でさせていただきたい。それより私は、この男に殿下を……プリム様を渡すわけにはいきません。どうか、止めないで欲しいのです」
「待て、敵うはずがないだろう。相手が何人いると思っている」
 ざっと見渡した限りでも、サルマーンの軍勢はニ百人ほど。
 たとえセトナがどれほど強かろうとも、この圧倒的な差で勝つなど到底不可能な話だ。
 だが彼にとっては、勝つか負けるか……そのようなことではなく、ただただランダルへの怒りが抑えきれない様子であった。
「あの男は、まだ小さな王子や王女……プリム様のご兄弟たちを、残虐な方法で殺したのです! 迎えに来たなど見え透いた嘘を!! 連れ帰って処刑でもするつもりか!!」
「人聞きの悪いことを。確かに責任の一端は私にあるが、国王以外の王族の処刑は当時の私の部下たちが暴走し、勝手に行ったこと。そして既にその者たちは、その咎によって処断している。私は正当なる王位継承者であるプリムラティファ殿下が見つかるまでの繋ぎの王として、国内を統治していただけのこと」
「――――へえ、そうだったんだ」
 どこからか、のんびりとした声があがった。
 聞き覚えのある声に、ヴァンは動きを止め声の主を探す。
 そしてその人物は、すぐに見つかった。ラングレン邸を取り囲んでいた兵士たちがざわめいたかと思えば、「ちょっとここ通るよ」との言葉のあと、隙間なく詰めていた兵士たちのあいだに人一人通れるほどの空間がぽっかりと開く。
 まるで散歩にでも出て来たかのような気軽さで、ルーディスがこちらに向かって歩いてきた。
 背後にはスタールの姿もあり、自分たちに注目するサルマーン兵たちを悠然と見返している。
「また僕はてっきり、ランダル殿が国内で『偽りの王』と呼ばれ国民の支持が得られなかったからと、傀儡の王となすべく血眼になって王女を探していたものとばかり思っていたんだけど。違ったのかな?」
 挑発するかのようなルーディスの言葉は、おそらくランダルにとっては胸に痛いものであったのだろう。
 図星を突かれたためか、さきほどまで余裕の態度であったのが、今は苦い顔をして口をつぐんでいる。
「ルーディス、お前なんでここに……」
「やあ、ヴァン。それにローゼちゃんも、お久しぶり」
 人前であることも忘れ、いつもの調子で呼び捨てにしてしまったヴァンの失態に、けれどルーディスは頓着しない。
「ルドリス様……?」
 声を上げたローゼに向けて、ひらひらと手を振ってみせる。
 そして、ぽんとヴァンの肩を叩いて、面倒そうにため息を吐いた。
「いきなりランダル殿に『ラングレン邸まで疾く来られよ』なんて呼び出し食らってね。城での昼食会の予定を中止して、わざわざここまで来たんだよ。おかげでリゼーラ()はカンカン。まったく良い迷惑だよね。……で、ランダル殿」
 ルーディスはランダルの目の前まで行くと、胸元から一枚の小汚い紙を取り出し、それを相手の鼻先に突きつける。
「なんのつもりで兵士たちを率いて我が国に足を踏み入れた上、こんな紙切れ一枚で多忙な僕を呼び出したのか……その説明をお聞きしても良いかな?」
 怒りのひしひしと滲んだ言葉に、ランダルがたじろいだ。
 だがそれも一瞬のことだ。背後に、自分の連れてきた兵士たちが控えていることを思い出したのだろうか。自分よりはるかに年下の若造に少しでも臆したことを誤魔化そうとでもするかのように、ランダルはわざとらしいほどに「ふん」と大げさに鼻を鳴らすと、肩を聳やかしながらルーディスを見下ろした。
「それはこちらの台詞だ、ユスラフ大公。貴殿が先日我が国へ寄越した輿入れの車……あれはなんのつもりか」
「なんの話かな?」
「とぼけるな。私が要求したのは、公女メドゥーラだ。こんな爺ではない」
 どっ、と重い音がした。
 その方向へ目を向ければ、兵士に突き飛ばされでもしたのか、地に倒れ伏した男の姿がある。
 どこにいたのか、両手を後ろ手に縛られ、身動きが取れないように足首も一まとめに縛られたその肌は白く、明らかにサルマーン人ではない。
「いたたた……こりゃ若造!」
 その直後、それを証明するように北部公用語を発しながら弾けるように上体を起こしたその人物の顔に、ヴァンは目を剥いた。
「年寄りを粗末に扱うものでないぞ!!」
「そ、」
「おお、ヴァン!! お前さん、ちょいとやつれとりゃせんか、酷い顔じゃぞ」
 ヴァンの声に反応し、男は嬉しそうに白い歯を見せ、にかっと笑う。
 それはメドゥーラの輿入れに最後まで反対していた、この国の総督であった。
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