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第十章 北方基地へ 3
そのまま、オズワルドとレオノーラの二人はアンディとヒューイの二人に先導されて、客室へと通された。デリゼから共にいてくれていた二人だが、元々北方基地に詰める士官だ。初めて訪れるレオノーラにはどこに何があるのか全く判らない基地内も、二人にとっては熟知した場所である。
オズワルドにとっても初めて訪れる場所ではないはずだ。その足取りに迷いは感じられなかった。
やがて案内されて辿り着いた部屋の前にも、兵が二人いる。こちらの姿に気付くと、すぐに二人揃って敬礼を行い、それから部屋の扉を開けて中に導き入れてくれた。
「一応、一通りの物はあるはずですが、あまり基地内にご令嬢が滞在されるという事がないので、女性に必要な物は不足していると思います。衣類なども合わせて出来る限り早急に用意しますが、ご希望の物があればご遠慮なく仰って下さいね」
朗らかにアンディがそう伝えてくれる。その彼に、ありがとうございますと、掠れた声で小さく礼を述べるレオノーラを、オズワルドがベッドへと運んでくれた。
「私はこれから将軍と話がある、君はここで休んでいなさい」
「……は、い………あの……いつ、頃、お戻りに、なりますか?」
随分マシになったとは言え、喉の調子はまだ悪く、声は掠れがちだ。
それでも何とか言葉を押し出して尋ねたレオノーラに、この時オズワルドが軽く目を見張っただけでなく後ろにいたアンディやヒューイ、兵二人の青年たちのぎょっとする気配が伝わってきた。
何か変なことを言ってしまったかと内心慌てるレオノーラが、自分の言葉の失敗に気付くのはこのすぐ後だ。
「……私はこの部屋には戻らない。ここは君の部屋だ。何か用があれば近くの者に告げなさい」
そうか、と思った。レオノーラは自然と、部屋は二人で使う物だと当たり前に考えていたが、旅の間は必要に迫られてそのようにしていただけで、実際は赤の他人である自分達が同じ部屋を使うなどあり得ない事だ。
そんなことが世間に知られたら、醜聞以外の何物でもない。皆が驚いたのも、オズワルドがここに戻ってくる事を前提で話をした自分に対して、呆れたからだろうか。
当然基地内ではオズワルドは別に部屋を与えられるだろうし、自分とは全く違う扱いになる。本来ならばおいそれと声を掛けたり、側に近付ける相手ではないのだ。
少し考えればすぐに判る事に気が回らないくらい、自分のすぐ側に彼の存在がある事が当たり前になっていたのかと、少なくない衝撃を受けた。
今までが特別だっただけ。ここで普通に戻るだけだ。
「…そ、そう、ですね……済みません……」
でも、じゃあこのなじみのない部屋で自分は一人か。
目を伏せた。
普段はどうと言う事もなく、当たり前の事として受け入れるはずなのに、それがひどく心細く感じるのはやはり不調のせいなのだろうか。
自分の肩を支えるオズワルドの手が離れようとしたその時、咄嗟にその腕を掴んだのも、調子が悪くて気が弱っているせいか。それとも他に理由があるのか、それは良く自分でも判らなかったけれど、つい引き止めてしまう。
彼には他にすべきことがあると判っているのに。
「どうした」
問われても、明確な返答など返せない。それでも、まだ上手く回らない頭で必死に言い訳を考えて、何とかそれを押し出す。
「あ、の、将軍には、事情の説明を、されるのですよね? ……でしたら、私からも、ご報告をした方が……」
「必要ない。私からの説明で事足りるだろう。余計な事は考えなくて良いと言ったはずだ。それに将軍には聞きたいこともある」
「……でも」
「君に話せる事は後で説明する。ふらふらと基地を彷徨かれても皆困るだけだろう。今は大人しく休みなさい」
食い下がっても、オズワルドは引いてはくれなさそうだ。
事実、彼の言う通りでもある。レオノーラから報告できることはオズワルドも出来る事だし、将軍と内密に話もあるのだろう。軍に関わる内容の話なら、レオノーラのような部外者がいては邪魔になる。
邪魔は、したくない。
気まずくなってオズワルドから視線を外し、その後ろへと彷徨わせるとアンディやヒューイと目が合って、彼らが何か少しばかり気の毒そうな眼差しをレオノーラに向けている。
まるで今の自分は、小さな子供が我が儘を言っているようだ。これ以上邪魔をしてはならないと、オズワルドに肩を押されるままにベッドに身を横たえた。
心がちくちくとする。それをねじ伏せるように声を押し出して奥歯を噛み締めた。
その額にオズワルドの手が触れた。やはり普段は暖かく感じる手が、今は少し冷たい。熱はまだ下がってはいないようで、それに気付いたオズワルドも僅かに眉を顰める。
「後で様子は見に来る。薬も届けさせるから、それを飲んで寝なさい」
仕方がない、自分が一緒に行っても役に立たないのは事実だ。それに今はやはり体調を回復させる方が先だろう。
諦めて頷く。邪魔をしたくないのなら、同じくらい困らせてもいけない。
「……はい。……判り、ました」
そんなことを考えて、小さく息を吐き出したレオノーラの、額に触れていた大きな手がそのまま頭を撫でるように髪を擽る。
そして。
「良い子だ」
そう言って、オズワルドが薄く口元に笑みを浮かべた。
「……」
この人は、一体何なのだろう。今になって始めて、そんな言葉が頭の中を横切った。しかし当然答えてくれる人はなく、答えが得られる代わりに猛烈な勢いで顔が熱くなってくる。
ただでさえ発熱しているのに、これ以上体温が上がったらどうなるのだろうと不安になるくらいに。
ぶふ、とオズワルドの後ろから何かを堪えて失敗した、妙な声が聞こえてきたのもきっと気のせいではないだろう。見ればヒューイが背中を向けており、そのヒューイの肩をアンディがぽんぽんと叩いている。
そのアンディも、もう片方の手で自分の口元を押さえ、視線が明後日を向いている。心なしか他の二人の兵も硬直したように微動だにしない。そうした背後の様子にオズワルドは気付いているのかいないのか。
わなわなと真っ赤になって、身を震わせているレオノーラの肩まできっちりと毛布を掛けると、そのまま背を向けて他の者を連れ部屋を出て行ってしまった。
……折角毛布を掛けて貰ったが、一度起きて寝間着に着替えないとならない。
が、今はその気力がどうしても湧かず、殆ど気を飛ばすようにしてレオノーラは目を閉じると、己の頬を手で押さえた。
伝わってくる熱が発熱のせいなのか、それとも違う理由なのかはもう自分でも良く判らなかった。
……とまあ、色々な事がありはしたが、身体はやはり休息を求めていたようで、その後レオノーラは夢も見ずに眠りに落ちた。しばらく眠って気付いた時にはもう夜中で、ただベッドから少し離されたテーブルの上に、灯りを絞ったランプが置かれている。
きっと夜中に目が覚めても不安にならないように、という気遣いだろう。
そのランプの近くには薬と思われるものと水差し、椅子の上には寝間着と思われる物も畳んで置いてあったので、眠って少しだけ軽くなった身体でベッドから這い出るように出て、寝間着に着替え直すと、薬を飲む。
それからまたベッドへと戻ったが……ふと振り返って室内を見回すと、やはり他に誰の気配もない……そのことが、心細いと言うより寂しいと思う自分は、この旅で一つ余計な感情を覚えてしまったようだ。
寂しいと訴えたって、同じ部屋で、側で寝てくれる人なんていないのに。
頭を振って、ベッドに潜り込み目を閉じる。そのまま再び眠りについたレオノーラは、それから三十分もしない間に、ノックもなく静かに部屋へと入り、そっと額に手を当てて自分の寝顔を見下ろす人の存在には、残念ながら気付かなかった。
夜が明けて、朝が来た。
ぐっすりと眠り続けて、レオノーラがようやくベッドから降りた頃には昼をとうに過ぎていた。
一体どれほど眠り続けていたのかと自分でも呆れるくらい寝続けていたが、そのおかげで昨日に比べれば身体も随分と軽い。まだ少し微熱のような熱っぽさはあるが、それもしばらくすれば抜けるだろうという程度の物だった。
熱が下がって、身体が軽くなると、自然と頭の回転速度も戻ってくる。
そうなるとまず一番最初に気になったのは、やはり世話を掛けたことに対する周囲の人々への謝罪が必要であるだろうと言うこと。
そして夕べ、オズワルドが将軍とどんな話をしたのか、自分が知る事の出来る範囲だけでも確認すること。今後の相談もしなくてはならない。
この基地で、自分はどんな振る舞いで過ごせば良いのかと言う事もそうだ。
それらの為にも、まずはオズワルドに会わなくてはと、着替える為に寝間着に手を掛ける。
そこでレオノーラはもう一つ……こちらは気付かなくても良かったことに、気付いてしまった。
はて、川に飛び込んだ後、当然ながらびしょ濡れだったはずの自分の着替えは、誰がしたのかと。
川へ飛び込む直前、ドレスを剥がれたことは覚えている。
宿で目が覚めた時、寝間着を着ていたことも覚えている。
でもその間の記憶がまるでない。ドレスを脱いでも下着は着ていたはずだ。なのに目が覚めたときには寝間着だけで、シュミーズもコルセットも、ドロワーズさえ履いていなかった。
その間意識のなかったレオノーラが自分で脱ぎ着をしたわけはない。
服が勝手に脱げて、着せてくれるわけでもない。
ここまで考えて、さあっと顔が青ざめた。誰だ、誰だろう。通りすがりの親切な女性だろうと信じたかったが、当然そんな都合の良い話があるはずがない。
とすると、一番可能性が高い人は……言うまでもない。
くらりとした。
今度は顔が赤くなった。どうしよう、いや、まだそうと決まったわけではないし。
もう少しメリハリのある身体だったら良かったのに、良くも悪くも普通程度でしかない自分が恨めしい……とかそう言う問題でもないし。
元々勝手に旅に出て社交界から遠ざかる事で、まともな結婚は捨てたような物だったし結婚に憧れも夢も抱いてはいなかったけれど、今ほど明確にその言葉が頭に浮かんだ事はないだろう。
もう、お嫁にいけない。
仮に運良くいけたとしても、相手には絶対に話せない墓場まで持ち込む秘密が出来てしまった。
思いがけない衝撃を受けつつも着替えと身支度を整え、よろよろと部屋の扉に歩み寄る。
ガチャリと音を立ててその扉を開くと、覗き込んだ廊下では昨日とは別の兵が二人扉の両脇に立っていた。
まさかずっと、常に誰かがここにいたのだろうか。驚きで目を丸くしつつも、すぐに気を取り直し、遅すぎる朝の挨拶と、オズワルドに会いたい旨をその兵達に告げれば。
「閣下は朝より、将軍と共に行動されております。時間が取れたらこちらにお越しになられるとのことですので、その間、ご令嬢にはこちらでお待ち頂けますでしょうか」
「そうですか……」
「緊急のご用件でしょうか?」
「いえ、そういうわけではありません。判りました。……ただあの、ずっと部屋にいなくてはなりませんか? 少し外を歩いても大丈夫でしょうか」
すると兵二人がお互いに何か目配せをしあう。どことなくそうした行動が、自分の申し出を迷惑に思われているような印象を感じたのはレオノーラの気のせいだろうか。
迷惑を掛けるつもりはない、駄目なら駄目で大人しく部屋で待つつもりだ。そう続けようと口を開き掛けた時。
「……構いません。ただし、ここは軍基地です。一般の方の立ち入りが許可されていないところも多いですので、ここから先の渡り廊下以降より奥へはお進みにならないようお願いします。それを守っていただければ結構です」
「……判りました。そうします」
渡り廊下の手前までなら、基地内を歩いても外に出ても構わないと言うことなので、レオノーラはその通りに兵達に背を向けて歩き出す。
途中、さり気なく後ろを振り返ると、二人の視線がずっと自分を追っていると判った。まるで自分がどこへ行くのかを確かめようとしているようだ。
彼らの言う通りここは軍基地であるし、オズワルドとは違い自分が招かれざる客であると言う自覚はある。
だからある程度行動の制限を掛けられることは仕方がないし、そのことに不満もない……そのはずなのだが。
どうしてだろう。何故だか首の後ろがちりちりと焦げ付くような感覚がする。何となくざわざわと落ち着かない……少し、嫌な感覚だった。
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