挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
R18折れぬ翼で 作者:逢矢 沙希

番外編

118/128

君とミモザの木の下で 12

 同日の午後、王宮では非公式の面会が行われることになっていた。
 ひっそりと来客用の停車場へ入ってきた馬車からは、正装に身を包んだモンスリーン公爵と、その公爵に手を引かれて彼の娘が降りてくる。娘もまた華やかな装いに身を包み、父親に身を寄せる姿は、年頃に似合う愛らしさが存在する。
 尤もどこか勝ち気な、気の強さが表れた表情では、少しばかりその愛らしさを損なってしまってはいるけれど。
 あらかじめ公爵の訪れがあると聞かされていたのか、到着を出迎えた侍従に連れられて、二人はゆっくりと王宮の奥へと歩を進めた。
 案内された場所は、王宮の中でも王族のプライベートエリアに含まれる客室だ。さすがにこのエリアまで足を運べる人間はごく限られており、公爵にとっても、娘にとっても初めてのことである。
 それだけに、公爵家に持ち込まれた話に王子の意向が強く影響している事を感じさせる。これまで娘がどれほど近づくことを望んでも、この場所に呼ばれるどころか、礼儀以上の相手をして貰えたこともないのに……そこまで考えて悔しげに表情を歪ませたけれど、すぐに隣の父親に肩を叩かれて、取り繕った。
 いくら世間知らずな娘でも、今ここで自分の感情を優先させれば、折角の話が台無しになってしまう事くらいは判る。悔しいが……その悔しさを晴らすのはもう少し後の事だと。
 通された客室にはまだ誰の姿もなかった。
 先に席についていて下さいと侍従に促され、入れ替わるようにメイドが茶菓子をワゴンに乗せてやってくる。
 待ち人が部屋に現れたのは、それから更に十分ほどの時間が過ぎてからだ。
 かつりと、足音の他に杖を突く音を僅かに響かせて入室してきた人物は、すぐさま立ち上がって自分を出迎えた二人の来客の姿に、ひっそりとその柳眉を顰めた。
「ようこそ、モンスリーン公爵。この度はわざわざ足をお運び頂き、ありがとうございます。……ですが、お隣のご令嬢は、私がお願いした方とは少々違っていらっしゃるようですが?」
 静かな王子……エアロスの言葉を受けて、ビクリと娘の肩が揺れた。さすがに緊張しているのか、あるいは事前に父に口を開くなと言い含められていた為か、何か言いたげにこちらを見上げはしたものの、強ばった表情のまま黙っている。
 多少は自分の為そうとしていることが大それた事であると言う自覚も、あるのかも知れない。
「恐れ入ります、殿下。この度は素晴らしきお話を当家へ頂き、誠にありがとうございます。ですが、早速ではございますが殿下にお詫びしなければなりません」
「……詫び? 何のお話でしょう、穏やかではありませんね」
 微笑みながら、エアロスは公爵と娘の向かいの席へ腰を降ろす。足が不自由なためか、多少その動きはぎこちなくとも、優雅さは失っていない。
 話を聞く姿勢を見せた事と、普段と変わらぬ穏やかな笑みを見せる王子に、公爵や娘も少し安心したようだ。
 しかしこれから公爵が口にすることが、王子の不興を買いかねない内容である事は忘れてはならない。
 少なくとも見た目だけは沈痛な表情で公爵は告げた。
「実は……娘のコーデリアですが……大変お恥ずかしいお話ですが、娘は殿下の妃として相応しい資格を失ってしまいました」
「資格を失う?」
「はい。どうやら娘には以前より想う相手がおりましたようで……本日、こちらへ伺う前にその相手の元へ向かってしまったようなのです」
「……」
「本当にお恥ずかしい限りです。私の監督が行き届かず、申し訳ありません。本来ならばすぐにも連れ戻し、殿下の元へ参じるべきなのでしょうが、大変恐れ多い事ながら娘が向かったお相手の事を考えますと、恐らくもう娘は無垢な身体ではありますまい」
 エアロスは答えない。答えないまま、モンスリーン公爵の話に耳を傾けている。
 なまじ静かで、驚きも動揺も見せない王子の様子に、父の隣で娘、フランチェスカが居心地悪そうにもじもじと、その身体を揺らしはじめた。
「殿下がご不快に感じられる事は承知しております。ですがそのような娘を、知らぬ顔をして差し出すことも出来ません。どうかご容赦下さい」
 本来なら、ふざけたことを言うなと怒鳴りつけられても良い場面だ。
 その話が真実なのであれば、王子は公爵令嬢に侮辱されたも同然だし、娘の素行に目が行き届かなかった公爵の責任も問われるだろう。
 世間にはもうこの婚約の話も広まっている……そうですか、と穏便に話をなかったことには出来ない。必ずどこからか情報は漏れ、その情報はコーデリア自身と、公爵家、そして袖にされたエアロスの名を汚すだろう。
 怒鳴られたり、処罰を与えられる位のことはモンスリーン公爵も覚悟している……それほど不名誉な話だからだ。王族が一介の令嬢に軽んじられたなど、あってはならないことだ。
 だがエアロスは、声を荒げることも、怒りを見せることもなかった。
 ただ、静かに問い掛けただけだ。
「そうですか。では、公爵はその不始末の責任を、どのように取られるおつもりでしょうか?」
 しかし静かだからこそ、底知れぬ何かを感じる。いっそ相手が怒鳴り散らしてくれた方が、公爵としてもやりやすいだろうに。
「は……お怒りはご尤もでございます。ですが、当家にはもう一人娘がおります。姉の不始末は、妹が補わせて頂ければと……この婚姻をもって、当家の全てを殿下に捧げたく思います」
 つまりはコーデリアの不始末の詫びとして、妹のフランチェスカを差し出す。それだけでなく、フランチェスカとの婚姻後はモンスリーン公爵家の実権をエアロスに渡す……そういうことだ。
 そのままエアロスがモンスリーン公爵を名乗っても良いし、後に与えられるだろう王族公爵と共に二つの爵位を兼任しても良い。単純に考えれば、自分の自由に出来る領地が倍になると言う事でもあり、決して悪い話ではないだろうと。
「不幸中の幸いなことに、社交界に広まっている殿下と娘との婚約話につきましては、当家の娘というだけで、姉と妹、どちらの方かの明確な名は出ておりません。殿下の名誉を損なうこともなく、丸く収めることが出来ます」
 逆を言えば一度広まった噂話を穏便に治めるには、他に手段がない。
「ご不快な噂もお耳に入ってはおりましょうが、フランチェスカも己の愚かな行いには深く反省し、今後は公爵家のため、国のために尽くすと誓っております。至らぬところも多くございますが、それはこれから私どもが充分な教育を行う所存でございます。きっと殿下のお力にもなりましょう」
「……」
「他にも、当家に出来うる謝罪は行って参ります。どうかお怒りをお鎮め頂き、穏便に治めて頂く事は叶いませんでしょうか」
 再びエアロスは沈黙する。今度の沈黙は、先程よりも長い。
 片手で己の顔を覆う姿は、彼が様々な感情を抑えながら迷っているようにも見える。なおも公爵が後押しするように口を開こうとした時だった。
 唐突に、エアロスから笑い声が上がった。
 この場においては酷く場違いな、どこか投げやりな笑い声にも聞こえたが、普段温厚な王子なだけにその反応は相手の意表を突くのには充分だ。
 ひとしきり笑った後で、顔を覆っていた手の下から向けられた王子の眼差しは、それまでのどのような眼差しより鋭い刃物のようだ。
 その眼差しにフランチェスカだけでなく、公爵も目を見張る。
「……ああ、おかしい。お尋ねしますが公爵、その三文芝居のシナリオは、一体誰の作品ですか。悪いことは言いません、もう少し才能ある人間に任せた方が良い」
「……何を」
「正直、あなたがそこまで末の娘可愛さに愚かになる方だとは思いませんでした。大人しくコーデリアを私に下されれば、彼女を宥め、あなた方との諍いも丸く収めるようご協力する道も探せたでしょうに。大変残念です」
 思いがけず辛辣な王子の言葉に公爵が口を閉ざす。
「王族を謀ろうとなさる、それだけでも充分な罪ですが、私にしてみればそうまでして実の娘を陥れようとなさる、あなたの情のなさが一番腹立たしい。あなたにしてみれば政略結婚の結果産まれた娘だとしても、間違いなくあなたの血を引く娘です。だと言うのにその無慈悲さは、どうしたものでしょうね」
 野生動物ですらもう少し、我が子には情を向けるだろう。
 相変わらず公爵は何も語らない。表面だけはさすがに公爵と言うべきか、内心の動揺をそれ以上表に表さないところだけは立派だ。
「……殿下が、何をおっしゃられているのか理解出来ません。何か誤解されていらっしゃるようですが、私は何一つ殿下を謀ろうとしてはおりません」
「すぐに露見する嘘は口になさらぬ方がよろしい。罪に罪を重ねることになりましょう。私がこの数日の間の、あなた方の行動を把握していないとでもお思いですか?」
 元より公爵が素直にコーデリアをエアロスに差し出すとは思っていなかった。特にコーデリアの企み事を知ったのならば尚更だ。あのままベイン伯爵家が引くとも思っていなかったし、恐らく何かしでかすだろうと。
 コーデリアが自分の自由にならないのであれば、伯爵家はさっさと彼女を見切り、公爵におもねる道を選ぶだろう。その際には必ず彼女の企みは知れる。
 例えそれがなく、フランチェスカがエアロスに執心していなかったとしても、公爵はコーデリアをエアロスに嫁がせることはよしとはしなかっただろう。これまで娘から様々な後見人となる存在を遠ざけてきたのは、家の実権を渡さぬ為だ。
 だと言うのにエアロスという強力な力を持つ夫が出来、後見人となれば、中には公爵家の爵位を長女夫婦に渡せという声が必ず出てくる。フランチェスカの夫の身分にもよるだろうが、現在エアロス以上に身分の高い夫候補者はいない事を思えば、それは決して看過出来ない事態だろうと。
 だからこそ自分が彼女に求婚すれば、必ず公爵は何かしらの行動に出ると思っていた。
 それでも、もしも……そう、もしも万が一にでも、公爵が素直にコーデリアの結婚を認め、黙って娘を送り出すというのなら……父親としての情を、ほんの僅かでも彼女に見せてくれれば、エアロスはどれほど長い時間が掛かっても彼女を説得し、諦めさせるつもりだった。
 元々コーデリアは本気で公爵家が欲しい訳ではない。彼女本人は否定するだろうし、自分の本当の望みだと主張するだろうが、本当に欲しいのはそんなものではないとエアロスは確信している。
 ただ今の彼女は、それしかないと思い込んでいるだけだと。彼女自身気付いていない本心は、もっと違う場所にある。例え今の彼女が本当に公爵家の実権を握ることに成功したとしても、それで満足する事は出来ない。幸せにはなれない。
 結局、望んでいるものが違うのだから。
 だからエアロスは彼女を止める。どれほど恨まれようと、自分が欲しいと思っていた物を手に入れても、その後で必ず彼女がそれが真実望んだ物ではなかったのだと気付いたとき、深く傷つくだろうと思うからだ。
 それを仕方ない、自分の行いの結果だと思える程、エアロスは達観出来ない。
 傷ついて、項垂れる姿など見たくない。それならば、何度でも邪魔をする。もう一度冷静になって、真実自分が望む物は何かと、それを探して欲しかった。
 でも……父親がこの調子では駄目だ。これではいつまでも彼女は燻ったまま、やがて朽ちていくだけだ。
「それほどいらぬ娘だというのなら、私が頂きます。あなたが蔑ろにする分、いえそれ以上に、大切に慈しみ守りましょう。あなたに異議は唱えさせません、どうぞあなた方は今後の身の振り方をお考えになられるとよろしい」
 それから再び沈黙が降りた。公爵の表情は相変わらず変わらないままだったが、その隣のフランチェスカは顔色を真っ青にしている。膝の上に置いた手が、カタカタと小刻みに震えはじめているところからして、遅ればせながら自分の置かれている状況を理解しはじめたようだ。
 気の毒だとは思う。彼女は恐らく、父親にこうしようと言われ、その言葉に従っただけだろう。その方が自分に都合が良いから。
 しかしそれでも彼女に全く罪がないとは言えない。本来ならこのような謀り事をする前に、彼女は父を止めなくてはならなかった。止めずに父の言葉に頷いたのなら、それは共犯と言える。何も知らずに、ここまで来たわけでもないだろう。
 そのまま、どれほど沈黙が続いたのだろう。ふと、公爵が顔を上げる。
 まるでエアロスを射貫くような眼差しだった。その眼差しのまま……唇が開いた。
「……私は、コーデリアは……自分の娘と思ってはおりません」
 一体何を言うのかと思えば。
 これまで以上に情のない言葉を口にすれば、更にエアロスの不興を買うと判っているだろうに。怪訝そうに眉を顰めたエアロスだったが。
「……あれには……コーデリアの母には、私と婚姻する前に想う相手がおりました」
「……」
「そしてコーデリアは、私たちの結婚後すぐに出来た娘です。それこそ、初夜か……それ以前に授かっていたとしか思えない」
 だからなんだ。
「……あれの母親は、初夜に、その証がありませんでした」
 そこまで聞いて、深い溜息が出た。
「……なるほど、それがあなたが、彼女を蔑ろにし、娘とも思わず……彼女に何も与えようとしない、大義名分ですか」
 この夫婦は、本当に互いを何一つ理解しようとせずに過ごした夫婦なのだなと、改めて感じた。
 公爵の話だけを聞くなら、疑わしくはある。だが自分の妻を、そして娘をよく観察していれば、そうした疑惑が全くの杞憂であると理解出来ただろうに。
 公爵の前妻であり、コーデリアの実母であった女性は、確かに気位の高い扱いにくい女性ではあっただろう。しかしそれは同時に誇り高き女性であったと言う事でもある。
 幼い頃幾度か見かけただけだったが、そうした意味で夫を謀るような人物には見えなかった。自分の身を犠牲にしたからこそ、そこに報いる物を求めたのではないかと思う。
 たった一度の性交渉でも、関係があったのであれば子が出来る可能性はある。
 それに男という者はその多くが、純潔の証として鮮血が流れるものと考えているが、それは個人差がある。出血する者もあれば、しない者もある。証がない、ただそれだけで判断出来る物ではない。
 そして……コーデリアを見れば判るだろう。彼女の髪や瞳の色は、確かにその母親譲りだろうが……公爵と、二人並べてみれば親子である事が疑いようもなく、どこかしら似ている。
 二人ともにいる事が少なく、共にいてもお互いに目を向けようとしないから気付きにくいだけで。
 今こうして見ているだけでも、その目元や口元、耳の形、そして手指の爪の形もそっくりだ。そう、今隣に座っているフランチェスカよりもよほど。
 しかしそれをいくらエアロスが口にしたところで、長く自分の娘ではないと疑ってきた公爵の心には届かないだろう。例えエアロスの言葉に納得する部分があったとしても、今更認められないに違いない。
「……例え、あなたの疑惑が事実だとしても、公に娘として認められている彼女はれっきとした公爵令嬢です。今更、あなたの不確かな疑いだけを理由にその身分が撤回されるわけではない」
 エアロスが立ち上がる。そのまま部屋を出て行こうとする彼の背に、公爵の声が掛かった。
「どちらへ行かれるおつもりか」
「彼女を迎えに行きます。私の妻となる人ですから」
「……先程も申し上げたとおり、あの娘はその資格を失いました。あなたの元へ嫁げる身ではないでしょう」
 声が固い。感情が見えない。
 どうしてこの人は、一度でもきちんと自分の娘と向き合い、語り合おうとしないのだろう。それだけで解決することも、いくつも存在しただろうに。
 そこまで考えて苦笑が滲んだ。人の事は言えない、自分だって同じだ。エアロスもコーデリアときちんと話が出来ているとは言いがたい。
 お互いに自分の主張ばかり口にして、自分が一番正しいと意地になって、心の中では相手の言う事にも一理あると判っているのに、素直になれない……そんなやりとりばかりだ。
「だとしても、構いません。私が大切だと思うのは、その身の純潔ではない。ただ、私が彼女を愛しているか、そうでないか……ただそれだけです」
 それに。
「恐らく、あなたが言うような結果にはならないでしょう。マーカー公爵は確かに我が王室にとって問題児ではあり、父の悩みの種ではありますが……私は幼い頃から、結構、あの叔父と仲が良いのですよ」
 どうしようもない人だ。それは間違いない。
 でもどうしようもない人だけれど、憎めない人だと思う、少なくともエアロスにとっては。
 重傷を負い苦しんでいたときも、時々人の目を盗んではふらりと部屋に訪れ、女の一人も知らずに死ぬのは人生の大半を損しているようなものだぞ、とか何だとかふざけたことを言いながらも見舞ってくれた。
 不謹慎な発言に眉を顰める者もいるだろうが、塞ぎがちだったエアロスにとっては、そうした叔父の気取らぬ言葉で随分救われたものだ。
 そして彼は、エアロスとコーデリアが幼馴染みであり、甥が気に掛けている令嬢であることを知っている。
 エアロスの元へ、預かっているから、自分が変な気を起こす前に早く迎えに来いと使いを寄越したのも彼だ。うかうかしていると、また面倒な事に巻き込むなとどやされるだろう。
 さっさと迎えに行って、もう一度彼女と話をせねばならない。
 そして今度はきちんと彼女の意志を確かめて、頷いて貰わねば。きっと彼女は怒るだろうが、何だかんだと言いながらも、頷かせてしまえばこちらのものだ。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。

Ads by i-mobile

↑ページトップへ