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R18折れぬ翼で 作者:逢矢 沙希

本編

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終章

 ねえ、まだー? もう先に行くよー!
 いくよー!

 そんな賑やかな声が急き立てて来る。しかし彼らの希望に応えるには、まだもう少し時間が掛かりそうだ。
 それまで到底大人しく待ってはいられなさそうな二人の幼い息子たちに、判った判ったと声を返したのは彼らの父親である。
「お前たち、先に行っていなさい。ただし、ケリーの側からは絶対に離れるなよ」
「やったあ!」
「わかったー!」
 父親の許しを得て、まるで二匹の子犬のように外に飛び出していく子供達は、本当にその言いつけを理解しているかどうか怪しい。が、まあ二人の後を追っていった、優秀なナニーと、ロジーに任せていれば、あちらの方は大丈夫だろう。
 あまりにも言う事を聞かないようであれば遠慮なく尻を叩いてやってくれて構わないと許可を受けているナニーは、その許し通りに子供達には愛情と厳しさを持って接してくれている。
 着いて行った犬もこの町の事は良く知っている。心配はいらないだろう。
 さて、二人の息子達はともかく今彼らよりもぐずっているのは、さらにその下の娘の方だ。今年の初夏に産まれたばかりの娘は、生後三ヶ月を過ぎてやっと首が据わり、様々な表情を見せてくれるようになった頃だ。
 しかし今は少々機嫌が悪く、朝からぐずっては自分や乳母を少々困らせてくれている。
「ウェンディはまだご機嫌斜め?」
「そうなの。初めての場所だからかしら、なかなか機嫌を直してくれなくて」
 子供も三人目となれば、最初の子の時にはおっかなびっくりだった手つきも随分手慣れたものだ。けれど、それでもなかなか上手く行かないことはあるもので、特に上二人より少しばかり周囲に敏感な娘はそんな母をたびたび手こずらせている。
 そんな時、最終的に手を伸ばすのはいつも夫である。不思議なことに娘はいくら母や乳母があやしても機嫌を直してくれない事があるのに、父が抱き上げればすっかりと機嫌を直すことが多い。
 どうやら今も同じパターンだったようで、どれどれと父の腕に抱かれた途端に、小さな顔に浮かべていた、しかめっ面を、途端に笑顔に変えてくる。
「……なんだか、凄く納得がいかない気分」
 まるで何かに負けたような敗北感だ。どうしてだろう、今まで一生懸命あやしていたのは自分なのに。
 そんな思いで今度少しばかり頬を膨らませたが、結局自分も夫からまあまあと宥められて、頬に口付けられればすぐに機嫌を直すのだから、その程度は娘とさほど変わらない。
「さて、じゃあ行こうか。今日は風が強いから、ウェンディは俺が抱いていくよ」
 腕に娘を抱いて、先を行く夫の後を追う。娘の代わりにその腕に抱えたのは花束だ。
 屋敷を出て、二人が真っ直ぐに向かった先は、程近くにある崖の上の慰霊碑である。あれから時が流れても、変わらず慰霊碑はここにあって、海から吹き上げる風は、再び海へと戻っていく。
 その慰霊碑に捧げた花も、風に乗って花一輪一輪がふわりと引き寄せられるように海へ飛ばされていく様は、まるでその向こうにいる誰かが捧げ物を手を伸ばして受け入れているかのようだ。
 この港町で起こった悲劇から、既に十八年が過ぎた。
 当時十五だった少年の記憶は未だ薄れることはなく、身体の傷と共に残っているけれど、もうその記憶や傷の痛みで惑わされることはない様子だ。
 同じようにこの港町に、傷を抱えて逃げ込んできた少女だった自分も、その出来事から既に十年。心の傷は傷として確かに存在しているけれど、もう過去は過去として誰かを恨む気持ちは残ってはいなかった。
 その十年が自分にとって満たされた時間だったからだろう。
 この町へ来て、沢山の人と知り合って、素朴な優しさを知った。夫と知り合い恋をして、互いに愛を交わして三人の子にも恵まれた。
 色々あったなと思うけれど、その色々な出来事の結果今の自分がここにいるのだから、その過去も含めて今はただ静かに受け止められる。
 夫婦となって、毎年社交界のシーズンオフを迎えた時期にこの港町に通うようになってからも同じくらいの時が過ぎた。その間に共に行動する顔ぶれも、少しずつ変わってきている。
 六年前に長男が、その二年後に次男。そして今年は長女と子供達の顔ぶれが一人ずつ増えて来たけれど、逆に五年前に最も身近にいてくれた侍女のセシルが自分の元を離れて嫁ぎ、三年前からは父が別行動を取るようになった。
 セシルの元には今は男の子が一人産まれて、自分達の上二人の子供達が早く早くとせがむのもその男の子や、他に可愛がってくれる人たちに会いたいからだ。
 父は父で家の事は娘婿に任せ、自分はたびたび、諸外国を旅するようになった。帰ってくるたびに沢山の土産物と土産話を持ってきてくれるので楽しみではあるのだが、年の半分は留守にするので少しだけ寂しい気持ちもある。
 とは言え本人は充分に自分の人生を満喫しているようなので、それはそれで良いのだろう。
 慰霊碑に黙祷を捧げ、改めて海を見下ろす。
 父と母が出会った場所。同じように自分と夫が出会った場所。
「次にこの場所で大切な人と出会うのは、この子の番かしら」
 なんて夫の腕の中の娘に目を向けると、途端に夫が少しばかり複雑そうな顔をした。
「うーん……まだ生後三ヶ月そこそこで、嫁に出すときの事は考えたくない」
「もしかしてまだお父さまに言われたことを根に持っている?」
「別に根に持っているわけじゃないけど。お義父さんの言葉を否定出来なかったのは事実だな」
 三人目の子が娘だと知った途端、夫は義理の父に肩を叩かれこう言われたらしい。
「やっと君もいつか、娘を奪われる父親の気持ちを味わえるな!」
 と。
 こちらが苦しい思いをして、やっと娘を産み落とした直後に男二人は何を話しているのだと、耳にしたときには少々呆れたものだが、どうやら自分の父や夫にとっては決して軽い問題ではないらしい。
「別に良いじゃないか、嫁に行かなくたって。ずっと家にいれば良いし」
「何を言っているの。辛くたって娘を自分の手から離したからこそ、私もあなたも子供達もここにいるのよ? 諦めて娘の幸せが来たときには、素直に祝福してあげてね」
 そう言われると辛い物があるらしい。端正な顔に一瞬何とも言えない複雑そうな表情を浮かべて、はあと溜息をつくその腕に自分の腕を絡める。
 判ったよと、仕方なさそうに呟くけれど、まあ娘がデビューするまであと十六年弱。その間にきちんと花嫁の父になる気構えを作って貰おうと心に決めながら、絡めた腕を引いた。
「さあ、町へ行きましょう。あの子達が待ちくたびれてしまうわ」
「…はいはい、畏まりました、お嬢様。すっかり逞しくなられて、頼もしい限りですよ」
 芝居がかったその口調につい笑ってしまう。出会ってから十年も過ぎて、子供を三人も産んで母になれば、否応なく逞しくもなるだろう。母は強しとそう言う言葉もあるくらいなのだから。
 くすくすと笑う肩を引き寄せられて、やんわりと唇を塞がれる。目の前で口付けを交わす両親の姿を、青い瞳を丸くしてじっと見つめている娘の瞳に、また二人で間近で笑い合った。



 沢山の人が出会い、沢山の人が別れた小さな港町はこの日も小さな再会の時を迎えて色めき立つ。
「じいちゃんせんせいー!」
「へっぽこニックせんせいー!」
 パタパタと先を競うように走り込んでくる二人の兄弟の姿に、老医師は、
「また今年も来たのか、ちびっこいのが」
 と呟き、その隣で青年医師が、
「あいっかわらず口の減らないガキどもだな! 誰がへっぽこだ!」
 と渋面を作った。その青年医師の後ろから出てきたのは、幼い男の子の手を引いた彼の妻だ。
「まあ確かに、アルウィン様と、ウィルソン様のお父さまに比べれば、あなたはまだまだへっぽこですね」
「ひっどい! 奥さんひっどい! 少しは旦那を立てようよ!」
「やかましいわ、お前たちは。おい、ちびっこども、お前たちの父さんと母さんはどうした? 妹も産まれたんだろう」
「産まれたよ、ウェンディって言うんだ! すっごい可愛いよ!」
「今はたぶん慰霊碑ー! あとからくるって!」
 わん、と答えるように二人の子供達の後を着いてきたロジーが答える。そのロジーへと駆け寄り鼻先を合わせたのは、同じ母から産まれた兄弟犬だ。こちらはこちらで久しぶりの再会に余念がないらしい。
 その二人の子供達の両親と妹、そして兄弟犬の母犬が共にやってくるのは、それから十五分も過ぎた頃だろうか。
 通りの向こうからゆっくり歩いてやってくる人の姿に、先に気付いた子供達が大きく両手を振る。その手に手を振り返して、懐かしい人々と再びの再会を果たすまで、あともう間もなくの事である。
 最後までお付き合いありがとうございました。
 これで「折れぬ翼で」の本編を完結とさせて頂きます。ここまで書き上げて思う事は、うん、とりあえず長い!そして重いネタだった…!!

 書き始めた理由は「恋人に一方的なひどい仕打ちをされても、好きだからと言う理由だけで元の相愛の関係に戻れる物なんだろうか」という単純な疑問から考え始めた話なのですが、なんでこんな長く重い話になったんですか………
 自分で自分の頭の中が良く判らない。誰だ、さくっと三十話くらいで終わるかな、なんて適当な事言いながら連載始めた奴。
 でも最初の躓きはたぶん、ひどい仕打ちにしすぎた事と、海賊さんがこんにちはしてしまったせいだと思います。それからあれよあれよと言う間にエピソードが増え、話が延びて……まあ過去を振り返るのは止しましょう。いつものことと言えばいつものことです。
 だけど草原の娘より長くなるなんて夢にも思っていませんでした。

 私なりに精一杯書き上げたお話ですが、書き始めた当初から色々と今までにない反省や迷いが生まれた作品でもありました。
 一番最初の反省は、まず舞台設定を明確にしなかったことでしょうか。私の中では19世紀のイギリスをモデルにしていましたが、あくまでイメージ上のモデルで舞台というつもりはなかったのですが、文化や世界観を似せすぎたせいか、舞台は19世紀イギリスという形でお話をご覧になられる方が多く、混乱を招いてしまったようです、申し訳ない。
 似てはいるけど違う世界だよってことで、何か適当な創作の国名を出しておけば良かったなと反省です。世界観は何となくイメージが伝わればいいや、なんて思っていた自分ごめんなさい。

 あとは自分で思う以上に、様々な価値観や考え方がある、と教えられた作品でもあると思います。嬉しいお言葉から、少し手厳しいお言葉まで、本当に沢山頂きました。
 自分が思うのと同じようにご覧頂く方も色々考えられるのだなと刺激を受けたり、もうちょっと何かやりようがあったのかなと後になって猛省したりもしましたが、今は素直にご感想を頂きました皆様へお礼を申し上げたいと思います。
 ありがとうございました。

 最後はマティアスと結ばれて終わると言うのは、連載を始める当初から決めていたことですが、大筋はともかく、細かいエピソードや終わり方は幾通りかありました。その中でも出来るだけ自分にとってベストな形でと書いてきたつもりですが、また少し時間を置いて改めて見直すと、もう少し違う表現が浮かぶかも知れないなとも思ったりしますが。
 これ以降は不定期に、本編で書き残した事を中心にちらほらと番外編を更新予定です。ただ活動報告でもお知らせしましたが、ブライアンの今後についての詳細な描写は予定していません。
 彼に関してはご覧頂く方の見方次第で多分登場人物の中で一番印象が変わってくるキャラだと思います。反省しても絶対許せない、というお言葉もあれば、ちゃんと幸せにして欲しいと言うお言葉もあったりで、どんな書き方をしても納得して頂ける方とそうでない方にはっきり分かれてしまうと思うので。
 作者としては今後は色々な可能性があるだろう、というところまで持ってくることが目標だったキャラでもありますので、その後のことは皆様のご想像にお任せしたいと思います。

 ではでは、ありがとうございました。番外編、もしくはまた別のお話でお会い出来れば幸いです。
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