“薄氷踏む” 日米航空交渉〜デルタの抵抗
2月23日 22時50分
『デルタ(航空)の影響力はとてつもなく大きかった・・・』。
日米航空交渉がぎりぎりで合意し幕を閉じたあと、関係者が漏らしたことばです。日本の空の玄関=羽田空港を発着する「東京=ニューヨーク」、「東京=ワシントン」の直行便を可能とする成果をあげた今回の日米航空交渉。
しかしその合意に至るプロセスは、実は“薄氷を踏む”ものでした。交渉の舞台裏、そして残された“2020年問題”について、経済部・国土交通省担当の後藤匡記者が解説します。
「羽田=米東海岸路線」への期待
『日米路線は、最も重要な航空ネットワークの1つで、合意を喜ばしく思う』。
2月18日、午後6時すぎ、石井国土交通大臣は私たち記者団に対しそう述べました。その2日前、2月16日から東京・霞ヶ関の国土交通省で行われた日米航空交渉。
主要議題は、現在、深夜・早朝の時間帯(23:00~6:00)に限られている羽田空港を発着するアメリカ路線について、昼間を含む時間帯(6:00~23:00)に初めて発着枠を開設することでした。これが実現すれば、羽田空港を出発してニューヨークやワシントンなど、需要の高いアメリカ東海岸の都市に現地時間の日中、到着する直行便が可能になるだけに、私も合意への期待感を持っていました。
「波乱含み」の航空交渉
日米両国にとって互いにメリットのある「羽田=アメリカ東海岸」路線の実現。しかし、交渉は始まる前から波乱含みでした。
今回の日米航空交渉、当初は2月9日から行われることになっていました。 しかし、交渉開始まであと3日に迫った2月6日、関係者のもとに1本の電話が入りました。
「アメリカが1週間ずらしてくれと言っている」。
交渉延期を告げるワシントンからの突然の連絡でした。その理由についてアメリカ側は「デルタ(航空)が反対している中で、合意を強行できない」と日本側に説明したということです。
航空交渉 デルタ航空の思惑
アメリカ航空大手・デルタ航空はなぜ、反対していたのか。
デルタ航空は、かつて「国内線は羽田空港・国際線は成田空港」と明確に分けてきた日本の空港政策のもと、旧ノースウエスト航空の時代から長い間、成田空港をアジア太平洋地域の拠点空港として多額の投資をしてきただけに、そう簡単に重心を羽田空港にシフトできない事情を抱えています。
また、もう1つ大きな理由が、マイレージに関する国際的な提携の構図です。
ライバル2社のうち、ユナイテッド航空は加盟する「スターアライアンス」を通じ全日空と、アメリカン航空は「ワンワールド」を通じ日本航空と提携関係にあり、日本国内の各都市から羽田に乗客を集め、そこからアメリカ行きの路線を利用してもらう戦略を展開できます。
これに対し、デルタ航空は「スカイチーム」に加盟していますが、日本の航空会社にパートナーはおらず、羽田空港の国際化が進めば、競争上不利な状況に追い込まれかねません。日米航空交渉が波乱含みとなる底流には、こうした米航空会社間の立場の違いがあったのです。
交渉は“薄氷を踏む”展開
一時、開催すら危ぶまれた今回の日米航空交渉。
日米両政府が調整作業を進めた結果、2月16日、交渉が始まりました。
ここで日本側は、これまでゼロだった昼間を含む時間帯(6:00~23:00)に1日10往復のアメリカ路線を設け、日本とアメリカの航空会社に5往復ずつ割り当てること。その一方で、深夜・早朝の時間帯(23:00~6:00)については、現在の8往復の発着枠を2往復に減らし、日本とアメリカの航空会社に1往復ずつ割り当てることを提案し、アメリカ側も受け入れる構えだったといいます。
しかし、交渉2日目の夜、東京・帝国ホテルで歓迎会が催される直前、楽観ムードを吹き飛ばす1本の電話が交渉関係者に入りました。その内容は「あす、バイデン副大統領が、旧ノースウエスト航空時代の本拠地、ミネアポリスに入るようだ。面倒なことになるかもしれない」というものでした。
「デルタがバイデンを使って、交渉を引き延ばしかねない」。
日本側の交渉関係者は危機感を覚えたといいます。「もしかして交渉が決裂する事態もあるのか…」。私は交渉最終日の18日、予断を持たずに取材に臨みました。
実際、交渉は午前中に終わるのではないかという関係者の予測を裏切る形で、午後も続きました。そして午後6時すぎ、石井国土交通大臣がようやく私たち記者団の前に現れ、合意を発表しました。
交渉終了後、ある関係者が漏らした「デルタの影響力はとてつもなく大きかった」ということばが今回の交渉を物語っていました。
「羽田=米東海岸路線」実現へ
紆余曲折の末、たどり着いた日米航空交渉の合意。
国土交通省は、日本側の割り当て分の5往復のうち4往復については、全日空と日本航空に2往復ずつ配分することを決めています。また、昼間を含む時間帯(6:00~23:00)の残る1往復の発着枠と深夜・早朝の時間帯(23:00~6:00)の1往復の合わせて2往復の発着枠については、今後、どう配分するか検討することにしています。
今回の合意によって、昼間を含む時間帯に羽田空港を出発してニューヨークやワシントンなどアメリカ東海岸の都市に現地時間の日中、到着する直行便がことしの秋ごろから就航する見通しで、国土交通省は、ダイヤの策定作業が始まることし5月の大型連休前までに発着枠の配分を決める方針です。
隠れた焦点「2020年問題」
今回の日米航空交渉、実は、もうひとつ隠れた焦点がありました。
それは、「2020年問題」です。日本は東京オリンピック・パラリンピックが開かれる2020年までに都心上空を通る飛行ルートの見直しによって、羽田空港を発着する国際線の発着枠を昼間を含む時間帯(6:00~23:00)で今より増やす計画をたてています。
この計画が実現した場合、国際線の発着枠(昼間含む時間帯)は1日50往復程度増えることになります。関係者によると、今回の航空交渉の席でアメリカ側は、この増枠分について、アメリカへ一定程度配分することを現時点で約束するよう求めてきたといいます。
これに対し日本側は、発着枠拡大の前提となる都心上空の飛行ルートの見直しは、まだ検討段階で、確定しているわけではないとして「約束できない」と主張したということです。
これについて国土交通省幹部は「アメリカ側が強く関心を抱いていたのは間違いないが、将来の発着枠の配分について合意は全くない」と答えています。2020年の増枠が決まれば、2年前の2018年頃から、日本はアメリカを含む各国と航空交渉を行う方針です。
「首都圏空港」 どう存在感高める
今回の合意で羽田空港の国際化は新たな段階に進みます。
ただ、世界に目を向けると、シンガポールや韓国などアジア各国では世界的に高まる航空需要を取り込み、自国の経済成長にいかそうと空港間競争がしれつになっています。
国土交通省は、羽田空港と成田空港を「首都圏空港」と位置づけて、ハブ空港としての機能強化を図ることにしています。ビジネス・観光、両面で起爆剤となる2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、日本を代表する羽田・成田の両空港間で、いかにシナジー効果を発揮させるのか、また、いかにして国際空港としての存在感を高めていくのか、課題は山積しています。