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法華狼の日記

2016-02-23

[][]マンガ『いちえふ福島第一原子力発電所労働記〜』の作者は、警報音を切っていたのか鳴らしていたのか

福島原発における現場作業体験をルポ漫画化した竜田一人氏が、下記のようにツイートをしていた。

「普通に人が住んでる地域」において「終わりなき戦い」がつづけられていることは矛盾ではないが、個人の感想としては理解できなくもない。事実がどうであれ、それを描写として採用したことがドキュメンタリの演出の一環であることも間違いない。

いずれにせよ、これを読んだだけなら、なるほど原子力発電所の現場においては線量計の音を切って仕事しているのかと、一種の体験談として興味深く思えたかもしれない。

現場で音を切っていることを裏づけるような第三者のツイートもあった。


しかし、竜田一人氏は以前に毎日新聞インタビューで下記のように答えていた。

no title

建屋内の作業でヒュヒューイとAPDの警報音が鳴り響くのはあまり気持ちがよいものではありません。「このくらいの被ばくなら影響はでない」と頭で分かっていても、やっぱり嫌な音ではあります。一方で、矛盾するようですが、これだけ鳴るような高線量の場所で働いているという自負も出てきました。

はたして竜田一人氏は音を切っていたのか、鳴らしたままだったのだろうか。

あるいは同じ原発の仕事においても、高線量の場所では鳴らしていて、低線量の場所では音を切っていたということだろうか。それを判断する基準は誰が決めたのだろうか。

そもそも、先に引用したツイート群の発端として下記のようにツイートしていたことと、インタビューでの自身の発言が整合しない。

竜田一人氏もインタビューで「事実」を隠すという演出をおこなったのだろうか。それとも約1年たって判断を変えたのだろうか。


ちなみに2012年、原発の作業においてAPDを鉛カバーで覆う偽装が発覚したのだが、その偽装のきっかけが警報音だったという。この役員は警報音を切ることを思いつかなかったのだろうか。

朝日新聞デジタル:鉛板、原発構内に投棄させる 役員が指示 被曝隠し問題 - 東日本大震災

ビルド社の役員が21日、和田孝社長に説明したところによると、役員は昨年11月、工事現場である原発1号機西側の高台を下見した際に、高い線量を感知してAPDの警報音が鳴ったのに驚き、実際の工事では鉛カバーでAPDを覆うことを決意。作業員9人が約3時間、鉛カバーを着けて資材を運ぶなどの作業をしたとしている。

また、2013年、東京電力の社員が全身防護での作業時に、線量計を見ながら仕事をするために不適切な使用をしていたこともあった。

遖丞ウカ隨ャ?シ大次逋コ繝サ?シ灘捷讖滉ス懈・ュ蜩。縺檎キ夐?剰ィ医r隱、菴ソ逕ィ?シ育ヲ丞ウカ豌大暑繝九Η繝シ繧ケ?シ?

 東電は、作業着が全身を覆うタイプのため部位による被ばく線量の差はなかったとしている。社員らは線量を見ながら作業する必要があったため手に持っていたと話しているという。

 作業で予定していた被ばく線量を超える恐れを知らせる警報が鳴ったことを受けて社員らを確認したことで判明した。

線量計の針を見ながら、きちんと作業ができるのか。警報音を切って作業することは、慢心につながらないのか。そんな疑問を竜田一人氏のツイートから感じるのだが……

NakanishiBNakanishiB 2016/02/23 20:20 >pgary 手持ちの線量計で放射能を測定するときは針を見て数字を読むので鳴らす必要はない、うるさいので音を切る。APDは自分の被曝量を管理するためにバッヂのように身に付ける警報付ポケット線量計で音を鳴らしながら使う。
 というブクマがあったので調べてみたのですが。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1492092129
 APDとテレビなどで使う線量系はべつのもののようです。この点で


>BigHopeClasic 「建屋内」と「建屋外敷地内」と「普通に人が住んでいる地域」とでは一応明瞭に区別しうるとの抗弁は比較的合理的に成立すると思われる。それでもその差はどこかという疑問も同時に成立するが
 こちらのコメントの指摘はなりたちそうです。ともあれ竜田氏の「負の印象操作」という非難を正当とする必要条件として竜田氏やもう一つのツイートが前提とする「放射線量の高い場所」と「低い場所」を分けて後者での振る舞いについての氏の主張を信用することできるかが問題になりますね。この信用ができるかについては

http://togetter.com/li/941552
に収録されている
https://twitter.com/TatsutaKazuto/status/699809740780544000
この竜田氏のツイートのように原子力規制委が表明していた疑念を「デマ」と一蹴していたことは信用を疑わせるものですね。


https://twitter.com/BB45_Colorado/status/702060833463889920
 もう一つ竜田氏たちが「線量の低い場所」で使っていた線量計がARDなのかという問題もありますね。
https://twitter.com/BB45_Colorado/status/701725573287059457
>まぁ、気持ちはわかるんだけどね。現場のモラルとモラールが弛緩し切っている事を端的に示しているよね
 私は竜田氏のマンガは読んだことがないし、この認定が正しいのかわからないのですが、このような状況も表現されているのか読者やメディア、マンガ評論家はそのようなことを受け取れたのかという問題があると感じました。不案内な分野ですがマンガの問題として興味を感じてコメントしました。ではとりいそぎすいません。

9999 2016/02/23 21:36 >この竜田氏のツイートのように原子力規制委が表明していた疑念を「デマ」と一蹴していたことは信用を疑わせるものですね。

モーニングで掲載を見た覚えでは

・マスコミや市民運動家の言う危険性は自分で調べたら大したことは無いと判断
・現場では誰も放射線の影響では死んでいない。心臓麻痺で死んだ人が居るだけ
・俺たちはここで毎日昼飯食って、昼寝してるがなんともないぞ

「大竹まことゴールデンラジオ」に出演時
放射線数値に触れた箇所と汚染水に触れた箇所

https://youtu.be/nDraRu1lDu0?t=1057

こんな人の漫画載せてるモーニング大丈夫?

hokke-ookamihokke-ookami 2016/02/23 23:11 NakanishiBさんへ
>>BigHopeClasic 「建屋内」と「建屋外敷地内」と「普通に人が住んでいる地域」とでは一応明瞭に区別しうるとの抗弁は比較的合理的に成立すると思われる。それでもその差はどこかという疑問も同時に成立するが
>こちらのコメントの指摘はなりたちそうです。

いやそもそも引用したツイートであるように、違う環境と違う文脈での警告音を先に同列にあつかったのは竜田一人氏だ、という前提があります。
だから竜田一人氏がどのような状況と判断で警報音を切っていたのか、ツイートではわかりにくくされている。それはまた“演出”であろう、という話です。

>この竜田氏のツイートのように原子力規制委が表明していた疑念を「デマ」と一蹴していたことは信用を疑わせるものですね。

ご紹介のツイートについては、そもそも反論と反証をとりちがえているような気が……
もし“東京電力も倒壊を懸念している”という主張であれば、竜田一人氏の出した東電資料が「反証」になります。でも“倒壊の懸念がある”という主張であれば、東電資料は危険性をちいさく見せたいバイアスを持っている側の“反論”になるわけです。

>私は竜田氏のマンガは読んだことがない

連載につながる大賞をとった短編はインターネットで無料公開しています。漫画形式のルポタージュとして興味深い内容です。
http://www.moae.jp/comic/1f
特に興味深いのは、20頁目くらいに自身が作業員となった理由にバイアスがあることを正直に表明していることですね。
たぶん99さんが紹介している「マスコミや市民運動家の言う危険性は自分で調べたら大したことは無いと判断」という部分ですが、作業員体験後ではなく作業員体験前からのバイアスとはっきりしているので、むしろ誠実ですし、ここは読者のリテラシーが問われるところだと思います。

NakanishiBNakanishiB 2016/02/24 01:28 >違う環境と違う文脈での警告音を先に同列にあつかったのは竜田一人氏だ、という前提があります
 ありがとうございます。ご指摘了解しました。竜田氏がまずそのようなそのような「演出」批判を行ったという前提での「演出」についての彼のダブルスタンダードなどはともかく、そのような区別をとりあえず受け入れられるかということでした。ですからエントリーの本題ではないですすいません。

>そもそも反論と反証をとりちがえているような気が……
 そうですね原子力規制委のような組織が懸念を表明していることもこのような資料があること自体から可能性を考え付くことができるはずから。

>連載につながる大賞をとった短編はインターネットで無料公開しています。
>特に興味深いのは、20頁目くらいに自身が作業員となった理由にバイアスがあることを正直に表明している
 ご紹介ありがとうございます。そのような表明は本編にもある程度あるようですね。メディアなどではどういてもそこを抜いていたし、批評などがドキュメンタリーのあり方としての問題に踏み込まない感じがします(映画などでは問題になっていることなのですが、マスメディアレベルになるとどうしても抜け落ちがちです)。また考えてみます。とりいそぎすいません。

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