映画「ピンクとグレー」を観た。思うことも考えることも沢山あった。自分の中だけで完結させることができなかった。誰かと語りたくて仕方がなかった。
なので、「ピングレプレゼン会」をしました。
皆様は映画「ピンクとグレー」をご覧になられたでしょうか。あの映画を見て、あなたは何を思い何を考えましたか?
あの映画には、語りたくなる要素が沢山つまっていました。ブログにいくら書いても満足できませんでした。どうしても誰かと語り合いたいという思いが我慢できず「それぞれがピングレの解釈についてプレゼンしあう会があればなぁ」とTwitterにてぼんやり呟いたところ、やりたい!と言って下さる方々がいらっしゃいました。
場所は勿論渋谷。物語の舞台であるこの街で、映画「ピンクとグレー」について語り合いました。
僭越ながらわたくし綴が主催を務めさせていただきましたので、プレゼン会のレポートを掲載致します。プレゼン会の様子や、話した内容が少しでも伝わればと思います。
・実施概要
開催日時:
2016年2月21日
内容:
1.プレゼン
テーマは“私は映画「ピンクとグレー」をこう見る”
各自資料を作成し、モニタに映してプレゼンを行う(1人15分以内を目安に)
2.ディスカッション
プレゼン内で出てきた話題や各自が疑問に思う点について話し合う
メンバー(敬称略):
きょん(@cyon_nj):黄色い海で泳ぎたい
しき (@shikishaa):ラッコの海水浴
湯坂 (@nosinging_hero):英雄は歌わない
綴 (@penguincawaii) :来世はペンギンになりたい
1.プレゼン “私は映画「ピンクとグレー」をこう見る”
プレゼンの様子をお伝えするために、参加者の皆様が当日朝まで作っていた渾身のプレゼン資料を掲載致します。見やすくするため、スライド2枚を1枚の画像にまとめてあります。スライド左上の番号は私が振ったものです。
また、参加者全員、映画「ピンクとグレー」についての解釈や考察・感想を書いた記事が既にそれぞれのブログにありますので、参考としてそちらの記事へのリンクを載せておきます。
参考資料たち。私たちのバイブル『ピンクとグレー』、映画パンフレット、そして皆さんが資料を入れてきたクリアファイル。私だけ映画GANTZのファイルでした。揃えればよかった。
書きこむ用に印刷した資料です。特に示し合わせたわけでもないのに全員がピンクとグレーを基調とした資料を作ってくるあたり、強火ピングレ担感が出ています。いざ、プレゼン開始!
順番はじゃんけんにて勝った順。一番手はしきさんです。
参考:
映画「ピンクとグレー」を7回鑑賞済のしきさんは、観ている中で出てきた疑問点を観ながら浮かんだ閃きで解決していく、というスタイルでまとめてくださいました。
特に「ファレノプシス」についての考察が興味深かったです。確かに、映画と原作ではこの曲の作られた背景が異なるし、持つ意味が変わってきますよね。私はあまりそこに重点を置いて観ていなかったので、次に観るときはもっと「ファレノプシス」に注目して観てみようと思いました。
映画オリジナルキャラクター・三神についての考察も面白かったです。彼女がなぜりばちゃんにモーションをかけたのか、彼女は白木蓮吾とはどういう繋がりがあったのか、もっと深く考えてみたいです。提示されているものが少ないだけに、色々なことが考えられそうな気がします。
それに何より、最後のまとめが非常にシゲ担という感じがします。わかる~!としか言いようがない。わかる~!
続いて、二番手はきょんさん。
参考:
独自の仮説を立て、映画「ピンクとグレー」について語ってくださいました。
「河鳥大著の『ピンクとグレー』は事実に基づいていない」という説は他では見たことのないものでした。でもそう考えると納得のいく点がいくつもあって、次はこの観点で映画の流れを追いたいと思いました。自分では考えつけない観点だったので、とてもわくわくするプレゼンでした。
サリーとりばちゃんの関係性についても深く考察されていて、りばちゃんとごっちの関係にばかり注目していた私にとっては新たな視点を教えてもらったように感じました。一緒に暮らしていながらも恋人同士と呼ぶにはあまりにぎこちなくて、どこか違和感のある二人の関係は、ごっちを失って「傷を舐め合う」と呼ぶのがしっくりくるような気がしました。
小説の奇麗すぎる部分を現実に近付けた結果の改変、という解釈も非常に面白く感じました。
そして、三番手は湯坂さん。
参考:
映画「ピンクとグレー」からは「加藤成亮」的な要素が剥がされているという解釈は、この映画が適当に作られたわけではなく、原作をそして原作を書いた頃の加藤さんを、監督や脚本の方が意識していた証拠のように思います。
また。映画「ピンクとグレー」を俳優という切り口から語っているのは、今回のプレゼン会では湯坂さんだけでした。中島裕翔というアイドルが役者として今後羽ばたいていくことになれば、原作『ピンクとグレー』が加藤さんにとっての通過儀礼であったように、この映画「ピンクとグレー」は中島さんにとっての通過儀礼という意味を持つものになるのかもしれません。実際、主演映画が決まっているようで、中島さんの今後の活躍が非常に楽しみです。
菅田さん、お誕生日おめでとうございます!(プレゼン会当日は菅田さんのお誕生日でした)
最後は私、綴のプレゼンです。
参考:
大きな疑問点を4つ挙げ、それぞれについての自分なりの解答を示すというスタイルでプレゼンを行いました。
ごっちとりばちゃんの「恋とか愛とかの類ではない」関係を「強烈な友情」という言葉で表しています。以前どこかで加藤さんがそういった表現をしていた気がするのですが、ソースが探しきれませんでした……。
原作から改変が加えられた点については、映画を映画として成り立たせるため、多くの人が観ることを前提とした改変であったと思っています。その改変が「個」から「多」へ、「私」から「公」へということになったように見えました。だけど、重要なものはかたちを変えてそこにあると感じました。
2.ディスカッション
映画「ピンクとグレー」には、自分だけでは答えが見つけきれない疑問点がいくつもありました。そこで、それぞれが疑問に思うことやプレゼンに出てきた話題について、意見を語り合いました。ディスカッションとはいいつつも、ゆるくて自由な雰囲気です。ピングレ座談会とか井戸端会議、というような感じでした。かっこつけてディスカッションって言ってみたかった。
・ごっちはなぜりばちゃんを自殺の現場に呼んだのか
湯坂(以下、ゆ):なんでごっちは自殺の現場にりばちゃんを呼んだと思ってます?
綴(以下、つ):それはやっぱり執着があったからだと思うんですよ。最初は他の誰でもいいのかなと思った部分があって、だから「この日に死ぬって決めてたから」って言ったんだと思うんですけど、でもやっぱり誰に見つけて欲しいかっていったら、多分りばちゃんだろうって。だから適当に飲ませて酔わせて部屋で寝かせておいて、絶対ここに来てねって言ったんだと思うんですよ。約束なんかしてないじゃないですかあれ
ゆ:あれはしてないでしょうね(笑)
つ:「来てね」って言ったら来てくれるってわかってるくらいには信頼関係があったんだろうなと思うんですよ。ていうか、映画の方がごっちはりばちゃんのことが好きだと思うんですよ、原作よりも
ゆ:お~(笑)
つ;むしろりばちゃんのほうが、ごっちの本質みたいなものをわかれない分、ちょっと嫌というか、好きだからこその反発みたいなものがあると思うんですよ。「白木蓮吾の仕事もうしたくないです」とか。そういう意味でいうと、原作で書かれてないってこともあるんですけど、映画のほうがより、ごっちはりばちゃんのことを愛してんなって思います(笑)
ゆ:お二人はどうですか?
しき(以下、し):でも誰でもいいっていうわけではなかったのかなって。やっぱり解釈としては綴さんのに近いかなぁ。
ゆ:私は最後の賭けだったと思ってるんですけど
し:賭け?
ゆ:そう、ごっちはりばちゃんのことを決して嫌いではなかったし、りばちゃんに本当は向こう側(芸能界、ごっちのいる側)に来てほしかったと思うんですよ。映画はサリーとごっちでりばちゃんを引っ張り合ってる物語だと思ってて(湯坂さんのプレゼン資料参照)。あれは、自分の死の間際にあそこにいたらどうなるか多分わかってて、それでりばちゃんにこっち側(芸能界の側)に来てほしくてやった最後の賭けなんじゃないかと思ってて。これをきっかけにこっち側に入ってきてほしいしどうなるかわかんない、でも資質がそれほどないことはなんとなくわかってて、最後のいじわるみたいな感じなのかなぁってちょっと思ってたんですけど、どうなのかなぁと
つ:なんか監督も愛みたいなことを言ってたんですよ。死んでこっち側に引き寄せちゃう愛みたいな。それも愛のひとつみたいなことを言ってて*1
ゆ:なんか急に怖い感じに(笑)
きょん(以下、き):私もっと単純に考えてて、原作にあったから。本当は死体を奇麗にするってところを描きたかったけど描けなかった、だからといってその現場に居合わせないってところまで変えることをしたくなかったっていうだけの理由だと思う
ゆ:それも全然ありそう(笑)
つ:そもそも渋谷である理由が多分そうだし
き:そうそうそう
ゆ:渋谷である理由は本当に原作が渋谷だったからでしかないと思う
き:そこは監督の趣味とこだわりの話であって、変えようと思ったら変えられるけど、そこまでしたくなかった(原作への)愛とかなのかなって思う
し:わざわざ遺書がいっぱい用意してあるのもちょっと不思議だなって
き:その(遺書の中身の)描写しないですもんね
つ:あれは多分、監督が6枚(の遺書が用意されていたというエピソード)を削りたくなかったっていう
し:原作へのリスペクトだなって
つ:全然6枚である意味ない……
き:全然ない。結局何選んだかもわかんないし
し:私あそこで並んでいる遺書をべたって触っちゃうりばちゃんが、「IQ下がってる!」って(笑)
一同:わかる~!笑
つ:あの絵じゃ絵の裏に隠せないし……
し:全然冷静じゃない……(笑)
・「もう白木蓮吾の仕事したくないです」の意味
き:「もう白木蓮吾の仕事したくないです」言ったのも、私これしきさんと話してて気付いたんですけど、りばちゃんって映画の中で白木蓮吾っていう名前でごっちを呼ぶのそこだけなんですよ。他は全部ごっちって呼んでて
つ:そう、インタビューとかで、インタビュアーの人に「白木蓮吾さんは」って話を振られても「ごっちは」って返してた
ゆ:おお~!
き:一回も言ったことなかったのに、あそこで初めて言ったから、それって本当に「スター白木蓮吾」からくる仕事はもうしたくないって意味で言ったんだろうなって思って。だからもうその時点で白木蓮吾へのコンプレックスがすごいあるんだなって思った
つ:コンプレックスでがちがちに固まっていたがゆえの台詞みたいな
き:でもそこで、白木蓮吾とごっちは違うんだってなんとなくあの時点でもうわかりはじめたんだろうなって。だからこそ言えたんだろうなって思ったんですよあのとき
つ:そう、白木蓮吾は親友のごっちではなかった
き:そうそうそうそう
・りばちゃんは映画のラストシーン後、どうするのか
ゆ:りばちゃんあの後どうすると思います?
つ:私、芸能界辞めると思うんですよ
し:私も辞めると思ってたから……
き:え~、私思ってない(笑)
し:だから湯坂さんのプレゼンを見て、あれ?役者の道に行くんだって
つ:ここ(きょん、湯坂)役者の道に行く派ですね
ゆ:どっちかっていうと役者の道に行く派かな
き:あそこで生まれ変わったと私は思ってる。最後のシーンで
し:私、芸能界との決別かなと思ったんですよ
ゆ:あー、それもありえそうですよね
つ;原作で小指の先をつまんでいるのが白木蓮吾だったっていうふうに書いてあって*2、その白木蓮吾と決別しちゃったからもう芸能界にいる理由もないんじゃないかなって。でもだいぶ原作とも違うからなんとも言えんなって
・ラストの「しょーもな」の意味
き:最後の「しょーもな」をどっちの意味で捉えました?
つ:あれがわかんなくって……
き:私は「白木蓮吾がしょーもな」だと思った。白木蓮吾っていうスターそのもの。みんなで作り上げちゃった白木蓮吾
し:私は「白木蓮吾に囚われてた自分がしょーもな」だと思いました
き:あ~それもありそう
ゆ:私は「俺の中にいた白木蓮吾、しょーもな」だと思った。全然違うみんな!(笑)
き:「囚われてたけど白木蓮吾なんて全然しょーもないじゃん、俺は俺でやっていこう!」だと思った
ゆ:でも、「白木蓮吾の死に方、しょーもな」だとも思った
き:うわぁ、いろいろある!
ゆ:だって普通に考えて、あれでお姉ちゃんと一緒の日に死ぬって決めます?それで死ぬ?と思って
き:私さっきのプレゼン聴いててずっと思ってたのが、多分最後のシーンのりばちゃんとごっちが出てくるところって、多分ごっちじゃないというか、りばちゃんの中にいる、(りばちゃんが)想像するごっちであって、本当のごっちじゃなくて。だから言ってることもりばちゃんの独りよがりの世界から出てきている言葉であって、ごっちの本当の言葉じゃないんだろうなって思うから、本当にそれが理由で死んだのかどうかもあやふやになる(笑)
一同:それはある(笑)
き:りばちゃんの想像ではそうだけど、本当は違うんじゃない?みたいな
つ:なんかその、映画のパンフレットの中に、加藤さんが撮影現場に行ったら監督が「台詞を鵜呑みにするな」みたいなことを言ってるところを聴いたみたいなことが書いてあって、それ見てマジかよ!と思って。なんか、そっか!って思って(笑) だから、どこを疑ってどこを鵜呑みにするか取捨選択しないといけないなって
・ごっちの姉に対する感情
し:ごっちのお姉ちゃんに対する感情は恋とも言い切れないなって思って
一同:うんうん
き:私恋じゃないと思う
し:でも恋じゃないとも言い切れないし、それこそ原作でいう「恋とか愛とかの類ではなくて」っていうあの感情が、原作だとごっちとりばちゃんなんですけど、そうじゃなくってごっちと唯さんのほうに持ってきてあるのかなぁと
つ:ビデオのシーンを見ると、なんかこいつらイチャイチャしてんなって
き:でもあれを見てもあそこが恋愛感情だとは思わなかった
し:ただならぬ関係には見えるっていうか
つ:素直に受け止めたら恋愛感情に見えちゃう
き:そう、素直に受け止めたらね
つ:でも恋愛っぽい感情の中に尊敬であったりこの人になりたいっていうのがないとも限らないから、それさえあれば恋愛でも恋愛じゃなくてもどっちでもいいのかなって
き:その(恋愛っぽく思わせる)描写が必要だったのかなって
つ:必要だったか必要じゃないかで言ったら必要じゃなかったと思うんですけど(笑)
し:深く考えない人用の答えなんじゃないかなって。
き:それも思う。
・ごっちの母がりばちゃんにビデオを見せた理由
ゆ:あれお母さんなんのつもりで見せたんですかね?
一同:それそれ!
ゆ:知っといた方がいいって何を?
つ:お母さんはあの映像から何を読み取ったのか……
ゆ:あの劇中劇って一蘭の話どのくらいしてましたっけ?
つ:お葬式の時に、「ファレノプシスって何なの?」「あれ一蘭だよ、ラーメン屋だよ」「えー、マジかよ」みたいな話くらいかな
ゆ:あの劇中劇でファレノプシスってそんなに重要な扱いではないと思うんですよね
き:あれって英語詞なのに、英語詞だからみんな歌詞のことあんまり理解してないのに急に一蘭だよって言うからあれどういう歌詞だっけ?って
ゆ:あのファレノプシスが一蘭ではなくてお姉さんへのレクイエムだったっていうことを教えたいと思うのかなあの映画(劇中劇)だけを見てと思って。劇中劇だけを見たお母さんの視点で。「ファレノプシスのところ勘違いしてる、教えてあげなきゃ」って思いますかね?あれそんな思わなくない?って思って、だからそれ以外のことを何か教えたいのかなって
き:母目線で考えたときに、「ファレノプシス」って曲があることをそこで初めて知ったんだとしたら、「あれ、ファレノプシスってそういえばあれ(姉のダンス)じゃない?」ってなって、そこにばっかり注目しちゃうのはわかる気がする。母親だったら。
つ:ギターでその曲を文化祭でやったっていうことも特に親が知っている必要はないから、そもそも「ファレノプシス」って楽曲が存在したことをお母さんは知らなかったのかもしれない
き:あの映画で初めて知ったんだったらそれもありえるかも
し:一つ思ったのが、あの劇中劇の中での唯さんの最後のダンスを撮ってるときに、ごっちが唯さんが落ちたときにガタってなるじゃないですか。だからそこをお母さんは注目して、「いや、真吾は死ぬのを知ってたんだよ」っていう……
一同:あ~
つ:前半の劇中劇だと、「わぁ、お姉ちゃん落ちちゃった!」みたいな感じだったけど
き:しかも原作だともっとごっちがちっちゃい
つ:原作だと「最後はすごいから見てて」って言って
ゆ:で落ちて、結構年数経って小学生の頃に落ちたのが高校生になってから死んでるのに対して、映画は落ちて即死ですよね多分
つ:原作だとあの、ハサミで切って……
き:そのシーン見たかった!
ゆ:私もそのシーン見たかったし、お姉さんのその言葉がないから「やるしかない、やらないなんてないから」がちゃんと活きない
き:なんかでも活きないけど、使わない選択肢を取りたくなくて、一応入れたんだろうなって感じが、それも多分監督の(原作への)愛なんだろうなと思って見てた
つ:やらないなんてないんだよみたいな言い方が、なんか取って付けた感が
き:浮いてる!でもしょうがないよね取って付けたんだから(笑)
ゆ:取って付けたって言うか、削って削って、残したかったからそこだけ飛び出ちゃったみたいな
つ:なんかあの井の頭線の柱に貼ってあるポスターの台詞が全く使われてないっていう
ゆ:そうそう!それ私も思った!
つ:私あれ行ったんですよ、入場券だけ買って、人のいなくなった隙に写真撮って。そこにあるポスターって、オニアンコウとかメダカとか、映画で使われてない台詞ばっかりなんですよ
き:わざとだ
つ:絶対わざとだって思って
し:「あれ?なかったじゃん!」って思わせるためだ
つ:KADOKAWAさん売ろうとしてんな~!って(笑)
・カメオ出演のシーン
ゆ:1回目に見たとき、でかでかとピント合って映ってるなって思ったけど2回目見たら全然ちっちゃい、全然短いって
き:私気付かなかった
し:あの世界の加藤シゲアキさんて何者なんだろうって
一同:うんうん!
つ:あれ何しにきてるの?って(笑)
き:あれは何者なの?
し:なんで監督に、うぃーっすって感じで話しかけにいってるんだろうって(笑)
つ:こんなに映画から「加藤シゲアキ」を削除したのに、本人いるから……さすがメタアキさんだなって(笑)
・あの店と成瀬と白木蓮吾
ゆ:あのおっぱいの店って本当に白木蓮吾が成瀬に教えたんだと思います?
き:多分嘘です
し:教えてないと思う
き:成瀬はやっぱ白木蓮吾に対する強烈な憧れがあって、信者なんでしょうね
し:だからおちょくりたくて仕方ないんだと思う
つ:なんでこんな奴が白木蓮吾に気に入られてるんだ、みたいな
き:で、俺(成瀬)は白木蓮吾役じゃないし。
ゆ:私、逆で、成瀬があんなんだからこそ、白木蓮吾ってりばちゃんのことちゃんと好きだったんだなって思って。白木蓮吾があそこまで執着してなかったらあそこまで嫌われるか?と思って。確かに仕事もらってるからそれだけでも十分嫌われそうなんですけど
し:あの人の死を踏み台にしやがってみたいな
ゆ:そうそう。とか、こんな小物が、みたいな
き:そう思うと成瀬超愛しいんだけど(笑)
一同:(笑)
き:すごい可愛くない!?
つ:だってあんな、りばちゃんに殴られて笑ってるくらいには白木蓮吾が好きだったんですよね
き:やばい!やばいよ!中毒じゃん!可愛いなぁ成瀬
・裕翔くん顔ちっさ
き:柳楽くんのラスボス感すごい
つ:やばい。ラスボス
し:みんな言ってるけど本当にすごい
ゆ:あと裕翔くん顔ちっさってなる
き:なんか途中で一回映画の内容どうでもよくなるときありません?なんか裕翔くんの顔がとにかく美しくて
つ:美しい!ってなる
き:そうそうそう!美しい!ってなってもう他のことどうでもよくなっちゃうときがたまに訪れる
つ:あの前半の、ベランダから風船見てるときがやばい!あそこやばい!
き:やばい!あとエレベータで昇ってくシーン
つ:ちょっと俯いたときの睫毛がバサーって!
き:美しい!しか脳が働かなくなるときがあって
つ:その場面から何かを読み取ろうと思うのに「美しい!」しか読み取れない
き:なんか視覚にすべてが奪われるときがある(笑)
ゆ:裕翔くんが顔ちっちゃすぎてスタイル良すぎて、誰と並んでも凡人に見えないなって思って。逆に裕翔くんと並ぶと、特に前半の劇中劇とか、菅田くん顔かっこいいし普通に芸能人に見えるはずなのに、スタイルで比較すると凡人に見えてなんか、裕翔くんってあんま凡人の役向いてないなって
き:そう、美しすぎちゃう
つ:その裕翔くんを凡人に下げるあの柳楽くんの……
き:すごい!
つ:目力半端ない!
き:あの人何!?
し:声もすごい。あの一言の台詞だけで「この人は格が違う……」って思わせる
つ:「どうだった?」ってあの一言で、うわー!本物のごっちだ!って
・なぜりばちゃんは関西弁になるのか
ゆ:関西弁めっちゃ下手じゃないですか?
き:あれなんでわざわざ関西弁にするんだろうって思った
ゆ:そう、あれ関西弁なんなんだろうって思って
つ:別に必要はなかったのかなぁ
ゆ:幼児返りじゃないけどその瞬間昔に戻ってるとかなのかなぁ
き:動揺してとかなのかなぁ
ゆ:でも小学校低学年*3で引っ越してきて動揺したくらいで方言出るか?って思って。言葉って結構すぐうつるじゃないですか。あれなんの理由があるんだろうって
き:私もあれだけはわかんない
ゆ:裕翔くんがネイティブの関西弁なら活かそうと思って使うのもわかるんですけど
き:菅田くんがっていうのはわかるけど*4、わざわざ出す必要あるのかなって思う
ゆ:クオリティに難があるってわかっていても関西弁にした理由ってなんなのかなって
し:河鳥大とりばちゃんを分けるため?
一同:あ~、あるかもしれない
し:納得が速い(笑)
き:基本的になんでも受け入れるんで(笑)
・ファレノプシスの歌詞
し:原作では「27歳と139日後」が、映画だと「24歳と139日後*5」になってるんですよね*6
き:sevenが入らなかったんじゃない?
つ:27があれ、(ごっちの自殺した部屋に向かうときの)エレベータの止まった階の数字が27。絶対なんか意味があるんだろうなって思って。
・We Love 加藤シゲアキ
き:結果加藤さん、好き
つ:結果加藤シゲアキ好き、みたいな。この全ての現象の真ん中にいるのが加藤シゲアキだと思うと
き:そう!それが好き!
(ここで時間の都合によりきょんさん退出。お疲れ様でした!)
・遺書の読まれない部分
つ:映画の中の遺書で、(裕翔ごっちのナレーションで)「りばちゃんのせいで死ぬんじゃないよ」っていうところだけ読んでないんですよ、その一文だけ。それがなんでなのかなってずっと思ってて
し:それは気付かなかった
つ:めっちゃ遺書ガン見したんすよ!「死ぬのはりばちゃんのせいじゃないからね」っていう一文以外は全部読むんですよ。そこを削らなきゃいけない理由ってなんだったんだろうって
ゆ:じゃああのりばちゃんってずっと自分のせいでごっちが死んだんじゃないと思って行動してるんですか?
つ:なのかなぁと思って
し:映画(劇中劇)を観た人に、自分のせいだと思ってほしいからとか?
つ:白木蓮吾との関わりをもっと強めたいがためのことなのかなぁとか思ったり。遺書は現実に即したいからそのままにしておくけどみたいな。読むのに十数秒もかからないのに読まれてないのがすごく気になって。遺書に「愛おしきりばちゃん」って書いてないのが気になってすごい見てたら気付いて
し:あ~、なかったんだ
つ:言ってないんです、一言も。だからショック受けたんですけど、あの最後の「ごめん」を聴くと、ごっちはりばちゃんのことめっちゃ愛しく思ってるじゃん!って思って
し:確かにあそこで「愛おしきりばちゃん」って書いたら……
つ:そう、唐突だなって思って。そんな描写今までなかったでしょって思っちゃうから、それはなくてもいいのかなって思うけど
し:取捨選択が上手いなぁ
つ:そうなんですよ、頭のいい人が作った映画だなって思います
・監督の存在
ゆ:私最初行定監督が出てることに全然気付いてなかった
つ:監督普通にいる
し:それがまたメタい
つ:中島裕翔とと菅田将暉の映画を撮ってる人が河鳥大と成瀬の映画を撮ってるっていう
し:あれは自分をデフォルメしてるんですかね
つ:自分も作品に盛り込んじゃうっていう、ある種覚悟みたいなものもあったのかなって。そこまで自分をエンタテイメントに落とし込めるのってすごいなって
・時系列順には撮ってない
ゆ:あの劇中劇って順撮りじゃないんですよね?
つ:ない
し:ないね
つ:「これでオールアップです」って言ってる場面が首吊ってるごっちにすがるりばちゃんで、冒頭に出てくる死体を降ろして遺書を読む場面はそれよりも時間軸的には後なのに前に撮られていることになる
し:順撮りじゃないし、ごっちのお母さんのところにも行ってないから、なんで映画作ったんだろうって思って
つ:単純に売れるから?
ゆ:それもあって、「なんで本書いたの?」に対して「遺書の中に本書いてって書いてあったから」って言ってたじゃないですか。なんであの映画のごっちがりばちゃんに本を書いてほしがるんだろうって思ったときに、本を書いて売れて欲しかったのかなって思ったんですけど。順撮りって時系列に沿った撮り方のことですか?それとも映画に出てくる順番のことですか?*7
つ:原作では「時系列順に撮ってください」って言ってたから、それ通りにはなってない。そこって原作の中の映画「ピンクとグレー」(劇中劇)ではすごく重要なファクターだったのに、それがなくなってるから、別物感がすごいあるなって
・最後にごっちとりばちゃんが対峙するシーンは夢か現実か
ゆ:綴さんでしたっけ、あのシーンが現実だって言ってたの。
つ:そうですね。私あれ現実だと思いたい。あの、多分、私が「銀河鉄道の夜」が好きだからなんですけど*8。
ゆ:あれが現実だと思いたい理由ってなんなんですか?
つ:りばちゃんの中のごっちじゃなくて、ごっちに「ごめん」って言ってほしい。ごっちに「ごめん」って言ってもらえたら本当にりばちゃんは救われる気がして
し:私は夢だと思ってます。(映画の)セットがそのまま残っているわけがない
ゆ:それも思いました!
つ:あの世界としては……夢だけど……夢じゃなかった……(笑)
ゆ:あぁあれ自体は夢だけど、ごっちは本物。なるほど
つ:あれ自体は夢だけど、ごっちはごっちだと思いたい
ゆ:私はあれは夢でも現実でもどっちでもいいけど、あのごっちはりばちゃんの中のごっちであってほしい。
つ:あれがりばちゃんの中のごっちだとあんまりにもりばちゃんがかわいそうだなと思って。ずっとグレーの世界でりばちゃんを見てきたごっちが、りばちゃんが壊れてしまう寸前で現れたのが最後(のシーン)なのかなって
・ライターの交換
ゆ:原作では明確にサリーと香凛ですけど
つ:立場を交換するって言うと、別に白木蓮吾が一般人になるわけじゃないからいまいちしっくりこないなと思って
し:「交換な」って言ったのはりばちゃんだから、ごっちとしてはライターを渡したかった
つ:こっち(芸能界)においでよって言いたかったんだろうなって。でもそれだと対等ではないから、交換だったら受け取ってやるよっていうりばちゃん。それであの交換したピンクのライターを死んだごっちが使ってるのを見て号泣する……(苦笑)「(りばちゃんのこと)大好きじゃん!」って(笑)
・ごっちの引っ越しの意味
ゆ:原作だと大学のキャンパスが移るから引っ越すじゃないですか。必然的な理由で。でも映画だと
つ:(ごっちの)事務所がうつるからっていう理由
ゆ:しかも家賃絶対払えないところに無理矢理りばちゃんを連れていこうとした意味ってなんなのかなって。原作では、りばちゃんの理解では発破をかけようとしてたっていうふうに理解してるけど、映画はなんだったのかっていう
つ:あれって原作では「サリーは知ってんの?」「知ってるよ」って言うごっちの嘘じゃないですか。後になってごっちの嘘だってわかるのが重要なファクターだったのに、映画はそれがないから
し:ごっちはりばちゃんから資質を感じてたんじゃないかなぁ。じゃないと説明がつかないから。でも(映画を)観てる側としては……
つ:こいつにそんなものがあるわけないでしょっていうふうに見える(笑)菅田くんの、こいつにそんなものがあるわけないだろって思わせる演技がすごい。本当になんにもできなさそうな人に見える。
ゆ:蓮吾がそれ(りばちゃんには資質があるという旨の発言)を言ったのは現実だとして、劇中劇が終わる前も後も、「こいつにそんな力があるわけない」って描かれてるからどっちが本当なのかっていう
つ:ごっちはりばちゃんと一緒に(演技の仕事)やりたかったんだろうなって
し:原作だとごっちってステージの上に興味があるじゃないですか。だけど映画を観たときに、この人別に芸能界そうでもないんじゃないかっていうのをすごい感じて。逆にりばちゃんは芸能界に興味津々みたいに書かれていたから、ごっちから見たときに、芸能界に対して夢みたいなものを感じられるりばちゃんが羨ましかったんじゃないかなって
つ:りばちゃん目きらきらしてますもんね
・ごっちのやりたかったこと
し:映画のりばちゃんにとってやりたかったことは芸能界で、ごっちはやりたいことがなかったのかもしくは別にあったのかって考えたときにファレノプシスを思い出すと、もしかして音楽をやりたかったのかなってちょっと思うんですよね
つ:ごっちの目的はお姉さんと同じ高みに行くことしかなかったのかなって。それがたまたま芸能界っていうところに足を踏み入れるきっかけがあったから
し:もう役者としてっていう
つ:それ以上やれることがなくなっちゃった。やれることがないから死んでみたけど、お姉さんと同じものは見えなかったみたいな?
ゆ:原作だともうちょっとやりきって……映画結構投げやりですよね。そんな設定した期日までに高みに辿り着けるかなんてわかんないし、ほんと死ぬために生きてるみたいな
し:やりたいことがないから現世に全然執着がなかったのかなって。だから簡単に捨てられたのかなって
ゆ:自分の演技とか自分の音楽とかどう思ってたんですかね、柳楽ごっちは
つ:どうなんだろう……満足してたのかな
し:でも努力はしてた
・なぜ酒に溺れた?
ゆ:りばちゃんがお酒に溺れてた理由ってなんですかね。あの一年間、お酒飲んでは暴れてその度に酒やめろって言われてるわけじゃないですか
つ:多分、白木蓮吾のプレッシャーとか、ごっちが死んでしまったショックとか、煙草が吸えなくなるのとお酒に溺れるのが、ごっちが死んでしまったことによる影響なのかなって
ゆ:成瀬がなんか言ってきて、(劇中劇の)「ピンクとグレー」が公開されるまでは、自分があんまり芸能界に向いてないとか白木蓮吾になれないとかってことを直視する機会ってあんまりなかったんじゃないかなって思ってて。それでも変わらずお酒飲んでた理由ってなんだったのかなって
つ:潜在的にわかってたんじゃないかな。表面的にわかっていたわけじゃないけど。原作だと正直どっちも(ごっちもりばちゃんも)加藤成亮だから、「いや俺絶対ごっちになれるでしょ」「むしろごっちとひとつになるのが正しいかたちでしょ」って感じがすごい伝わってくるけど、でも(映画は)そうじゃなくて、そう思う要因がどこにもないから、りばちゃんの中に。だからりばちゃんは、河鳥大が『ピンクとグレー』を書いて、こいつはこんなに白木蓮吾のことを知ってるんだ、白木蓮吾の後釜はこいつなんじゃないかって(世間から思われて)、死体発見した時にどうせニュースになって写真とかも出るだろうし、原作みたいに「あれこいつは…(白木蓮吾の次のスターなんじゃないか)」みたいな感じになったと思うんですよ。それで小説を書いて映画化されて主演は原作者ですってなったときに、世間は「あぁこいつが白木蓮吾の後釜なんだ」っていう(世間からの)プレッシャーがあったのかなって思って。世間は河鳥大に白木蓮吾を求めるのに、身近にいる人たちはお前が白木蓮吾になれるわけないって言われ続けるプレッシャーに、私だったら酒飲むわ!って思いました(笑)
・ラストのライターを投げるシーンをどう思うか
ゆ:絵として見たときに、歩道橋から看板に投げるよりも、(最後のごっちとりばちゃんが対峙する場面の)タワーマンションのベランダから落としたほうが奇麗だと思うんですよ。なんでそれやんないのかっていうと……
し:それは幼少の時と対比させてるから?
つ:壁にぶつけるっていう
ゆ:あー。そういうのは考えたことがなかった
し:え!あの幼少期の、壁にボールぶつけて「しょーもな、しょーもな」って言ってるのを思い出させるっていう……
ゆ:今確かに言われて初めて気付いた。あったわ幼少期。あの「しょーもな」のシーン、しょーもなって思いすぎてあんまり記憶に残ってない……(笑)
つ:ボールは返ってくるけどライターは返ってこないのが面白いなって思って
ゆ:私が思ったのは、ライターを歩道橋から看板に投げるって、あのライター別に消えるわけでもないし、あの後地面に落下するし、なんなら公共の場に落ちるわけじゃないですか。それが奇麗に投げ捨てた感じがしないなって思って。恋人との思い出の品って歩道橋から投げずに海に投げたりするじゃないですか。あのライターってそういう、この世から存在が消えるみたいな、消したいくらいの扱いの方がふさわしいような気がして
つ:ごっちに返したんだと思った
し:そう、ごっちに返したんだと思った
ゆ:あー、それは思いますけどね
つ:ごっちの看板に向かって投げることで、ライターは返ってこないから、ごっちに返したっていう表現なのかなって。どこに落ちたかわかんないし、投げた動線もわかんないから、そこで映画の世界はすぱっと終わっちゃうから、ごっちに向かって投げた=ごっちに返したって事実だけが残るっていう
ゆ:あれごっちに返したって考えると芸能界ちょっと辞めそうな感じがする
つ:そう、だから辞めるって思ったんですよ(笑)
ゆ:自分を確立したことによって、芸能界辞めても辞めなくても、自分の足でちゃんと歩いていけるっていう描写かなと思って。ごっちがりばちゃんはやっていけるよ、素質あるよみたいな扱いをしていたから、白木蓮吾とは全然違う方向で生きていくのかなと。例えば超脇役とか、渋い名優とか、舞台俳優とか、そういう感じで生きていくのかなってちょっと思いました
・「選ばなきゃよかったんだよ」
ゆ:「りばちゃんが選ばなきゃよかったんだよ」っていうのはどういう意味なんですかね
つ:あれは6枚の遺書の中の(りばちゃんが選んだ)1枚を選ばなきゃよかったんだよっていう、他のを選んでいたらもっと違う世界が展開したかもしれないのにっていう
し:じゃああの、「わざとか」っていうのは……
つ:あれは……なんなんだろう
し:多分わざとなんだろうなって思ったんだけど
つ:6枚のうちの1枚が「自伝書いてね」だっのかなと思って、その「自伝書いてね」を選ばせるような何かがあったんだろうなって。でも遺書読めないから!めっちゃ読みたいのに!
ゆ:あー全然違う。私あれサリーを選んだって意味だと思ってた
し:サリーを選んだ……?
ゆ:サリーと付き合うきっかけはあの二回目の押し倒し事件じゃないですか。あのとき出ていかないで一緒にいたら、こっち側(ごっちの側、芸能界)に来てたんだよとか、まだなんとかなってたかもよとか、俺と一緒の世界に来ないことを選んだのはりばちゃんでしょっていう恨み言みたいな感じだと思ってた。だから多分、私には引っ張り合いみたいに見えたんでしょうね。
(このあたりで時間がきました。お疲れ様でした!)
文字起こしの為にプレゼン会の様子を録音させていただきましたが、全部で2時間42分ありました。およそ3時間ほどかけて様々なことを話しました。とても有意義で濃密な時間だったように感じます。でもまだ語り足りない!
今回のプレゼン会に参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。ぼんやりと「他の人の意見聞きたいし私も語りたいなぁ」と思っていただけだったのに、こうやって実際に意見を交わす会ができたのは、参加者の皆様のおかげです。面白そうだなと思っていたけれど実際めちゃくちゃ面白かったです。久々に脳みそがフル回転しました。
また、聴くだけの参加をしたいとおっしゃってくださる方もいらっしゃったのですが、今回は小規模かつ全員で活発に意見を交換したいという私の思いから、プレゼンする方のみの参加とさせていただきました。お断りしてしまった方には本当に申し訳ありませんでした。この記事を見て、少しでもプレゼン会で話した内容が伝わればと思います。
このような会を行うことができたのも、加藤さんが『ピンクとグレー』という小説を書いたからです。この「ピンクとグレー」を取り巻く全ての現象の中心にいるのが加藤シゲアキさんだと思うと、加藤さんを応援するのは本当に楽しい!というところに辿りつきます。
私は映画「ピンクとグレー」を、「人を饒舌にする映画」だと思っています。そして、そういう映画は良い映画だとも思います。原作と違う部分があるからこそ、原作と比較してそこから見えてくるものを語りたくなる。そして、語ることに意味がある。
参加者の皆さんのプレゼンを聴いたりディスカッションで色々な意見を出し合って、それぞれ解釈が近いところも違うところもあって、この会をやった意味があったと思いました。
話し合う中で様々な意見が出ましたが、参加者の皆さんが人の意見を受け入れた上で自分の論を展開するのが非常に興味深く感じられました。それもきっと、この映画が多角的に観ることのできる映画だったからだと思います。
また、これだけの多角的な見方をしてもそれぞれが違う意見を受け止めて更に考えを深めて広げていくことができた最大の理由は、私を含めた参加者全員が、映画「ピンクとグレー」と原作『ピンクとグレー』を愛していて、映画を作った行定監督と原作を書いた加藤さんを尊敬しているからだと強く感じました。
ここまでお読みくださった方は、きっとまた映画「ピンクとグレー」を観たくなっていることでしょう。私もすごく観たいです。早く席押さえたい。
残念ながら渋谷での上映は既に終わってしまっているようですが、まだ公開している映画館はあるようですので、今一度映画館へ足を運んでみるのもいいと思います。そして映画を観て思ったこと考えたことを発信したり誰かと共有したりして、愛おしき「ピンクとグレー」の世界に、更に深く浸ってみてはいかがでしょうか。
*1:ダ・ヴィンチ2月号の加藤さんと行定監督の対談にそんなニュアンスの言葉がありました
*2:文庫版『ピンクとグレー』p177
*3:映画では小学五年生でした。原作では低学年
*4:菅田さんは大阪出身
*5:英詞で「24 years and 139 days after」と歌っている
*6:今調べたら「27歳と139日後」で(27÷4)+(27×365)+139で、生まれてから10000日目になるんですね!知らなかった!
*7:調べたところ、「シナリオの冒頭から撮る」が順撮りでした
*8:私はあの場面に「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラを重ねて観てしまっています。銀河鉄道に乗ったことは夢でも「どこまでも一緒に行こう」と話したあのカムパネルラはジョバンニの夢ではなくて本物であってほしいと思っていて、それをこの場面のりばちゃんとごっちにも思っています