ノートPC事業30周年の節目の年から1年、東芝が大きな決断を下した。4月1日付で、同社のPC事業を東芝情報機器に譲渡する計画を発表したのだ。東芝のPC事業を巡っては、国内のライバルである富士通やVAIOとの持ち株方式による合弁企業設立のほか、それをにらんで中国の杭州工場売却によるPC生産からの撤退の話も浮上しており、予断を許さない状況となっている。
そんな東芝PCの歩みを読者の皆さんはご存じだろうか。実はその歴史は古く、“世界初のラップトップ”をうたうノートPCを皮切りに、数々の名機を生み出したことで知られている。この30年、東芝がPC業界で歩んできた道のりを追ってみたい。
東芝の“PC”と聞いて、最初に「パソピア(Pasopia)」などの名前を思い浮かべるのは古参マニアだ。時代は8bitのホビーPCの時期を経て、1980年代にIBMのPC市場参入と16bit PC登場によるビジネス市場開拓が始まると、より実用的で先進的なPCを開拓すべく、各社の技術競争が進んでいた。そのころ、“世界初のラップトップ”をうたって製品を市場に投入してきたのが東芝だ。
1985年3月のハノーバーメッセで初公開され、欧州市場向けに投入されたのが「Toshiba T1100」。640×200のモノクロディスプレイに3.5インチのFDDを内蔵し、重さは4キロ以上と、今日のノートPCとは比較にならないスペックではあるが、初の持ち運べるIBM PC互換の“膝上PC”として、今日のノートPCにつながる道に先べんをつけた製品といえるだろう。なお、この製品は日本語対応も日本国内での販売も見送られた。
1986年には、国内初となる16bitのIBM PC互換機「J-3100」が投入された。“3.5インチ”のHDDを内蔵し、プラズマディスプレイを採用している点が特徴だ。そして3年後の1989年には、後継モデルにあたる「J-3100SS」が発表される。いわゆるA4サイズ型筐体のマシンだが、重量は2.7キロと一気に軽量化され、価格も19万8000円と20万円を切っている。
この時点で初めて、本当の意味で“持ち歩ける”サイズまで本体が小型化されたことから、東芝は製品に「ダイナブック(DynaBook)」の名称を授けた。以降、このブランド名は、「ノートPCの東芝」をアピールする格好の存在となった。
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