選抜高校野球大会が野球人生の転換点となり、特別な思いを持ち続けるすし職人が兵庫県洲本市にいる。1996年のセンバツで準優勝した智弁和歌山のエースだった高塚信幸さん(36)。この大会で肩を壊したことが原因で、プロ野球の近鉄に入ったものの1軍入りできないまま2003年に引退、すし職人に転じた。後輩の球児たちに「とにかくけがなく、マウンドから降りてほしい」と願う。
【写真】あの決勝戦をもう一度 智弁和歌山の2000年決勝戦
高塚さんは96年センバツに智弁和歌山の2年生エースとして出場。1回戦から5試合に登板した。3試合目の準々決勝、国士舘(東京)戦では延長十三回を投げ抜いた。翌朝、右肩は膨れあがり、痛みを感じた。高嶋仁監督に「いけるか」と声をかけられ、「大丈夫です」とうそをついた。マウンドを誰にも譲りたくなかったのだ。準決勝は勝ったが、鹿児島実との決勝は立ち上がりに打ち込まれ、3-6で敗れた。
無理をした結果、右肩の痛みは治まらず、140キロを超えた直球の球速は10キロ落ち、伸びもなくなった。回復の見通しが立たない中、練習の目的を失い、腐りそうになった。それでも「何とかチームに貢献したい」と打撃練習に打ち込んだ。毎日約600回の素振りを続け、代打で成果を出すようになると、仲間が「高塚をもう一度マウンドに」と結束した。
3年夏の甲子園。高嶋監督は高塚さんに初戦の日本文理(新潟)戦で先発を告げた。投球練習は全くしていなかったが、迷いはなかった。5失点で二回途中に降板したものの、チームは19-6で逆転勝ち。その後も勝ち続け、優勝を果たした。
2年のセンバツでの活躍と才能を買われ、ドラフト7位で98年、近鉄に入団した。コーチの勧めで一塁手や捕手に転向したが、結果を出せずプロ生活6年で引退。05年に恵三(えみ)さん(40)と結婚し、恵三さんの実家のすし店「金鮓」を継ぐため、京都市の料亭で3年間修業をしてすし職人になった。
高嶋監督は高塚さんのことを「自分が壊した」と後悔する。高塚さんは現在、長男凜君(10)とキャッチボールをしたり、中学生の硬式野球チームで投手コーチを務めたりしている。高校野球で連投する投手を見ると、かつての自分と重ね合わせる。「将来を考えると、球数制限や2日投げたら1日休むなど制限を設けてもいいのではないか。壊れた後は本当につらいし、人生が狂う。後輩にそんな思いはしてほしくない」と望んでいる。【高橋祐貴】
予言から100年 世界初観測の重力波
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