はじめまして、私はベイマックス、あなたの心と資産を守ります。今年も確定申告は3月15日まで、みんなぜってー忘れねえで申告してくれよな! じゃんけんぽん、うふふふふ、伊達にあの世は見てねーぜ!! 医療ロボット王に、俺はなる!! ネクストコナンズヒーンット!!
高山みなみ「ル~ベンスの『聖母被昇~天っ』」
ベイマックス、疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだか、とても眠いんだ。心拍数低下、ハマダー、あなた疲れてるのよ。だから今疲れてるって言ったじゃねえか!! ベイマックスの馬鹿、もう知らない!! 立った、ベイマックスが立った! かつキャンディーもくれた! 至れり尽くせりや! いや、ベイマックスこれキャンディーやなくておはじきやないかーい! ん~~~~~、生きねば!! だって死んだら元も子もないもんな!! お前もそう思うよな、犬!!
犬「わん!」
そういうわけで観ましたよ、映画『ベイマックス』 。映画館で封切りした当時はえらいみんなから大好評でネットの評判を見ても褒めちぎられまくってて爪の間に溜まった褒めちぎりカスを食べてるだけでダイエットに成功しました!彼女ができました!TOEIC800点取れました!エレベーターがなにげにすごいすぐ来ます!かかりつけの歯医者の機嫌がすこぶるいい!などの報告が多数見られる異常事態だったもんで俺なんか逆に興味なくなっちゃって、落ち着いた時に観たらいいかなと思って放置してたんですけど、遂に観ましたよ『ベイマックス』。だって、名前がベイマックスで心優しいロボットなんでしょ? たぶん米飯(べいはん)めっちゃ食うかなって思ってたら全然食わねえでやんの。ドラえもんはドラ焼き食うじゃないですか、コロ助はコロッケ食うじゃないですか。じゃあベイマックスは絶対に米飯(べいはん)めっちゃ食うだろと思って、あんな巨体だから一人で五合は食うだろと思って、「ごんごう」と書いて五合を一人でペロリといくだろと思ったらアイツ米飯(べいはん)はおろか食い物自体一切食わないのな。あまつさえ充電なんかしちゃうのな。ガッカリだわ。俺の思ってたロボと全然違う。これがすべてと言えばすべて、『ベイマックス』感想文です。
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いや、これねー、観たらなんかわかったわ。まず大ヒットがあって、そこに付随する大絶賛があって、その大絶賛への反論が提出されない感じ、ただ反論が無くもないけどみんな難しそうな顔をしてただ佇んでる感じ。すげえわかったわ。
言っちゃえばこれ、「満点」なんですよ。ケチのつけようもないと言えば大袈裟だけど、ケチをつけようと思っても重箱の隅を突っつくような話にしかならない。ほんと、「満点」なんです。ただ、それが何点満点の満点なのよって気はしちゃうんだよね、じゃあこれを仮にはなまるぴっぴに百点満点の映画だとしましょう。『ベイマックス』という映画は、百点を目指して試行錯誤のうえに完成を迎え大好評のうちに幕を降ろし見事百点を取った。満点だ。パーフェクトだ。と言ってみた時に、果たして映画というやつは百点が上限なのだろうかってことを思うわけです。二百点だって取れるのが映画だと思うわけです。万人が万人にそう受け取られるのはそりゃあ難しいかもしれないけど、どこかの誰かのとあるタイミングすべてが整ったそんな客に出会った時に百点だの二百点だのケチ臭いこと言わんと千点だって取れるかもしれないのが映画だろって思うところがあるわけです。一方で『ベイマックス』は百点をマックスと規定して、そこを目指して見事に百点を取った。それはすごいことだ。そりゃあみんな面白いと言うだろう。百点の映画です。百点未満の映画より素晴らしい。きっと千点を目指して作られたことが明らかに見て取れる八十点の映画なんかより断然素晴らしい。
果たしてそうなのか?
千点になれなかった八十点の映画と、百点を目指して作られた百点の映画、貴方がその産声に喜びの声を上げるのはどっちですか。まあ両方でもいいっちゃいいんですけど、どうですか。貴方はどう思いますか。犬、お前も考えてっ!首かしげてっ!疑問符を頭上に点滅させて、犬っ!
犬「わん!!」
観ていてとりあえず思ったのは、これは省略の映画だなってことなんですね。言い換えれば、記号の映画です。客の脳内補完ありきの映画と言っていいかもしれない。なんか僕は観ていて、RPGゲームをプレイしてるような錯覚に陥りました。映画を観ていてゲームのような錯覚に陥ったことは過去にも一度あって、それはデヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』。その時は選択肢を選べないアドベンチャーゲームのような感覚に僕は入り込みました*1。で、それで言うと、今回のこの『ベイマックス』はアドベンチャーゲームほどの臨場感はなく、情報をプレイヤーの側で蓄積するRPGゲームに近いんですよね。これは「だからダメだ」ってことではなく、こんなやり方でも現代においては通用するのかみたいな感慨に近いんですけど、僕個人としては嫌悪感ありますけどね、一度提示された登場人物の感情は受け手のこっちの方にストックされて、映像のうえでの彼や彼女はその感情を踏まえて動かないんですね。その感情がないわけじゃないんですよ。ただ、受け手のこっちにストックされてるのだから必要ないでしょと言わんばかりに描写としては現れない。兄貴の喪失という事実は受け手のこっちがストックしているので、そしてそれは必要とあらばいつでもシーンに出現させることが可能なので、その後のストーリー展開の中で主人公が憂いの表情を見せる必要は一切ないんですよね、ロボが出たなら、仲間に装備を携えるなら、そりゃあ楽しい。兄貴を喪った一方で楽しい。その楽しさのみを全面に出せばいい。なぜなら、喪失の悲しみを描写するシーンはさっきちゃんとやってるから、今は別にやらなくていいからだ。
この割り切りというか、怠慢というか、作り手と受け手の共犯関係がこの『ベイマックス』の通奏低音であるように思われます。本来の「映画」であれば、「小説」であれば、「物語」であれば、「何」であれとも、ここの共犯関係を良しとするのかしないのかという作り手と受け手の駆け引きやら交渉合戦やらそれ自体がエンターテイメントであって(あるいはこの文章だってそうでしょう)、少なくとも僕はそのように考えていました。だから僕は『ベイマックス』を見ても、そこの共犯関係をありきに好き勝手にも見事な話運びを見せる作り手に、僕はとどのつまり心を許すことができなかった。「泣かせようと思って作ってるのがまるわかりだった」って話ではないんだよね。泣けるんだよ、ただ、泣いたところで意味がないんだよな。それは比喩でもなんでもなくって、涙腺を刺激してるってだけだから。逆に比喩的に言えば、物理的に涙腺を刺激してるみたいなもんだから。だからもし仮にアレで泣いたからって、アレを評価する必要はないとすら思うんだ。殴られると痛いのと同じようなもんなんだから。
面白がろうと思えばなんぼでも面白がれる。面白がれるようにできている。
それは素晴らしいことなのかもしれないけども、受け取る側に面白がりでもしないとやってられない気持ちがないと成立しないのはいささか気味が悪いだろうと僕なんかは思ってしまうのだ。
そこも含めて狙ってるのかなと考え始めると、向こうの脚本チームの醜悪さに反吐が出てそれを郵パックで贈ろうかなって気持ちが湧いてくるんだけども、気持ち悪りぃな~って思うのは、この『ベイマックス』って映画がウケてる感じと作中の「ベイマックス」に主人公が救われてる感じがすげえ相似形なのね。前述したとおり、このベイマックス、米飯(べいはん)全然食わないんですよ。人間味ゼロなんですよ。コロッケ食うコロ助とか、ドラ焼き食うドラえもんとかに比べて、圧倒的にただの機械なんですよ。それは作中の行動を見てても分かる通り。そこに勝手にかわいらしさとか慈愛とか正義とかを見出してるのって完全に主人公の主観なんですよ。ベイマックスが徹頭徹尾、ただのロボなんですよ。にも関わらず、それを通じて精神的成長を遂げる(ように観ようと思えば観えなくもない)主人公、それを見守ってよかったよかったと思う観客(もまた『ベイマックス』という映画を観て何かを得たような得てないような成長を遂げた気になれる)という構図が、もうマジで気持ち悪くて。相似形になってるんですよ。ただの機械に心を見出してなんだかんだ言ってるあたり、主人公も客も一緒なわけです。
なんでもない映画ですよ、むしろ積極的になんでもない映画のはずなんですけど、なんでもないような幸せを願う人々に持て囃されて、特別にされちゃって、特別じゃないのにそんな風にされちゃうとちょっとつらいよね。全然駄作じゃないはずなんだけど。
そういうわけで、『ベイマックス』、僕の中ではすげえ評価低いところに収まってるんですけれども、『トイストーリー』も『モンスターズインク』も大好きです。トイストーリー4とかすんげえ楽しみにしてる。ぶっちゃけ単純に「ああ、復讐につながる人死にはピクサーアニメには荷が重かったか」くらいしか思ってない。
遺族としての思いはあんだけおもむろに手放しに排除されていたのに、「誰も傷つけないポリティカルコレクトネス的に正しい映画」みたいな言われ方をされてたんだなと思うと、大変な時代なのだなぁ今とかはさ、と思った。以上です。
*1:その時の記事はこちら。映画「マルホランド・ドライブ」の感想文です - ←ズイショ→