何年も前に読んだものなのに、いまだに印象に残っている文章があります。
そのエピソードはいわゆる話にオチをつけるということがしっかり出来ていて、すごく読んだあとに満足感があったのを覚えています。
読み返してみるとブログを書く上でも非常に役にたつと思ったので紹介させてください。
話にオチをつけるという技術
お笑いの話の構成で多いと思いますが、オチ付近の情報を冒頭に近いところで提示する方法があります。いわゆるフリというやつ?。
誰もが一度は見たとことがあると思いますが、すべらない話でも多くの芸人さんが使っている手法です。
例えば、大阪のオバハンってホントおせっかいですよね〜。と冒頭付近で伝えといて、その具体的なエピソードが始まるという流れです。
この方法にはたくさんのメリットがあるようなので、少しまとめておきたいと思います。
具体的なメリット
- オチのタイミングを伝えることで、話の終わりをはっきりさせられる。笑うタイミングを暗に伝えられる。
- 自分自身で話が脱線しないように、あるいは脱線してもゴールに向かって話を進められるようにできる。
- 話を聞いたあとに、まとまりのようなものを感じられる。いわゆる、後読感の良いはなしにしあがる。
- 映画でも、小説でも回想シーンとして最初に結末に近い情報を提示する手法があり、もちろんブログにも応用可能。
いまだに覚えているエピソード
松本人志さんの松本という本からの引用になります。
松本さんが小学校時代に原因不明の足の痛みに悩まされていた時の母親との絆に関する深イイ話です。
「松本」より引用どこの母親でも、子に対する愛情は強いだろうが、うちのババアは、なんというかパワーが違うのだ。俺は学校というものが嫌いで嫌いでしょうがなかった。不思議なことに、夜になると右足の太ももあたりが熱を持ち、ハレあがり、痛くて痛くてねむれなかった。今にして思うと、登校拒否からくる神経的なものであったのだろう。半年ほど学校に行かない日々が続いた。(省略)俺の家は、かなりの貧乏だった。普段の生活でも苦しいのに、毎日のように病院通いというのは、かなり、それはもう、きつかっただろう。といって診療費を節約するわけにはいかない。とすれば、普通、交通費の節約を考えるのだが、足が痛いと言っている子供を歩かせるわけにもいかない。そこでうちのババアが考えたのが、乳母車である。どこで借りてきたのか、拾ってきたのかわからないが、ぼろぼろの乳母車に俺を乗せて、病院めぐりをすることになった。小学校3年生とはいっても、体はそこそこ大きい。その子供を乳母車に乗せて押している母親は、道行く人には、かなりのインパクトだったろう。ハタからみれば、ちょっとした乞食親子に映っただろう。家のババアときたらそんなことにはいっさいおかまいなし、淡々とオンボロ乳母車を押し続けていた。まさに、「母は強し」というところだろう。俺とババアの間には、言葉にはできない絆のようなものがあるように思える。普段、テレビで母親のことを口にするのもそのせいなのかもしれない。きっと、それはマザコンなどという次元のものではないだろう。オレは、ただ単純に、ババアが今よりももっとボロボロになったとき、今度は俺が代わりに、その乳母車を押してやろうと思っているだけである。
いかがでしたでしょうか?
内容としては親に優しくしてもらった分、逆の立場になった時は自分が親孝行をしたいという話です。
ただ、わたしは10年近くまえに読んだこの文章を今でもしっかり覚えています。
それは、しっかりと話にオチをつけることで印象に残るようにしている技術によるところが大きいように感じました。
まとめ
ブログを始めてから、たくさんの面白くためになる文章を読ませて貰ってます。
まだ、文章を書き始めてひと月程の初心者ですが、どうしたら上手く伝えられるだろうと日々考えることが多くなってきました。
いつか、自分にとって印象に残っているこのようなエピソードを自分でも書けるようになりたいものですw
自分がこういった技術的なことを真似できるよになるのは、まだ先の話かもしれませんが、ある程度文章を書くことに自信がついてきたブロガーさんは是非試してみてはいかがでしょうか?
したっけ〜