「新自由主義」の妖怪 稲葉振一郎

2016.2.23

06「マネタリスト=新自由主義者」の起源

 

 前回のまとめ方に従うならば、経済政策論においてケインジアンであることとマネタリストであることとは別に矛盾も対立もせず、両立することは十分に可能であることになります。つまり景気変動の理解においてマネタリーな要因を重視する「貨幣的ケインジアン」であることは、同時に「マネタリスト」として、景気政策の基本を金融政策、貨幣供給の適切なコントロール下に置く立場をとることに他ならないからです。
 ですから、ケインジアン=介入主義、マネタリスト=非介入主義、ということにもなりません。ケインジアンは金融政策と財政政策の両方を適宜駆使することを認めるのに対して、マネタリストは金融政策一本やり、などというレッテル貼りも可能かもしれませんが、それは「マネタリスト」という言葉の意味を本来の政策論的な立場から、より包括的な政治的イデオロギーにまで大げさに広げてしまうことによってです。
 そしてより重要なことは、ケインジアン対マネタリストの対立というものを――「金融・財政両面における積極介入主義」対「金融政策に特化した謙抑主義」という風に――仮に認めたとしても、それはあくまでもマクロ経済政策上の対立であり、ミクロ経済政策、その他の社会政策とは(無関係ではなくとも)独立であるはずだ、ということです。ところがかつての「ケインジアン対マネタリスト」論争は、単なるマクロ経済政策論争であることを超えて、より大きな体制理念、政治的イデオロギー対立の中に組み込まれてしまった。すなわち、ケインジアンはミクロレベルまで含めての介入主義的経済政策と積極的社会政策、つまりは「大きな政府」路線と、マネタリストはつまりは規制緩和論、「小さな政府」論と結び付けられてしまって、保守対革新、右翼対左翼、という対立構図の中に落とし込まれてしまったのです。ここでは、福祉国家対反福祉国家、という風にまとめてしまってもよいでしょう。
 実のところ、この対立の構造をさらに深掘りしていくととんでもないことになるので、それは後回しにします(この連載全体としては、ケインズ主義うんぬんよりもそちらの方が本題になるかもしないくらい、根が深い問題です)が、特定の問題を巡っての政策論争が、他の政策イッシュー、さらには道徳原理まで巻き込んでの、包括的な体制構想間、イデオロギー対立にすり替えられてしまった、くらいに理解していただければよいでしょう。

 そもそも、経済全体の景気にかかわるマクロ経済政策と、個別の市場における個別の企業や個人の経済活動をターゲットとするミクロ経済政策、さらには個人の生活の主として市場経済の外での生存維持活動に主にかかわる社会政策とは、それぞれ独立した問題領域です。もちろん無関係はないですが、それぞれにある程度独立して展開することができます。相互の関連付けも、そうした各領域の独自性を理解した上でなければ適切には行えないはずです。
 具体的に言えば、マクロ経済政策において積極的介入主義をとりながら、ミクロ経済政策においては規制緩和を主張する、という立場は十分に成り立ちうるのです。また逆にミクロ政策や社会政策において、強力な行政的介入を求めつつ、マクロ政策においては消極主義、という立場もあり得ます。これは別に机上の空論として理論的可能性を指摘しているだけではありません。ある意味では前者はミルトン・フリードマンの立場を、後者は旧西ドイツ(そして現在のドイツ?)のいわゆる「オルド自由主義」のそれをいくぶんデフォルメしたものでもあるのです。

 ところが70年代から80年代にかけての「ケインジアン対マネタリスト」論争においては、上述の「切り分け」思考の出番はほとんどなかったようです。すなわち、ケインズ主義=積極介入主義=「大きな政府」論、マネタリスト=消極主義=「小さな政府」論=新自由主義という風に人々には受け取られ――というより、論争当事者たち自身もそのように自己演出し、あるいは錯覚していったのではないか、と思われます。
 どうしてそうなってしまったのでしょうか?
 まず細かく見ていくと、この論争当時の「ケインジアン」イメージにおいては、それはどうしても財政政策中心主義とみなされがちだった、という点があげられるでしょう。ケインズのマクロ政策構想においては金融政策(貨幣供給政策)と財政政策が両輪をなし、しかもその役割分担も、金融政策が主として平時において不況を予防し、財政政策はあくまでも危機対応として位置づけられる、という理解自体、70年代から80年代にかけては不十分だったかと思われます。どうしてもケインズのイメージは『一般理論』に偏ったものとなっていましたし、そこではまさに「危機」が主題であるからには財政政策中心主義ととられても仕方がないところがあります。
 それに対してマネタリズムは、基本的には平時における貨幣秩序の維持を重視する立場です。危機対応の理論がないわけでもないですが、たとえばかのアメリカ大恐慌に対するフリードマンの診断にしてからが「市場経済に内在した危機というより、ありふれたパニックに対する政策当局の対応の失敗が最大の要因(具体的に言えば、しかるべき時に連邦準備銀行がきちんとドル供給を行わなかった)」というものです。ですから「ケインジアン対マネタリスト」の論争は「積極主義 対 消極主義」としてのみならず「財政政策中心主義 対 金融政策中心主義」としても理解されてしまう、という偏向が加わってしまうのです。

 やや先走った話になりますが、のちに「新自由主義」と一括される、それどころか「シカゴ学派」とまとめられてしまうことも多いミルトン・フリードマンとフリードリヒ・フォン・ハイエクですが、このミクロ―マクロ問題に焦点を合わせるならば、非常に異なった相貌を帯びてきます。あえてレッテル貼りをするなら、フリードマンが「シカゴ学派」ならハイエクは「オーストリア学派」でしょう。この両者の世間的イメージは「技術論に眼目がありやや軽薄な純経済学者フリードマン」に対して「偏屈だが重厚で深遠な社会哲学者ハイエク」といったところでしょうが、そもそも経済学に限定した範囲内で、この両者には重大な違いがあります。すなわち、ミクロ経済政策や社会政策においては、この二人の間にはそれほど大きな違いはないように見える――非常におおざっぱに言えば「できるだけ市場に任せる」という志向がある――のに対して、マクロ経済政策では全く違います。
 誤解してはならないのは、フリードマンは明確にマクロ経済政策に関する積極論者であり、裁量的政策の価値を認めている、ということです。少し詳しい方であれば「あれ? フリードマンは「kパーセントルール」とかいう、中央銀行の裁量権にタガをはめる金融政策レジームの提唱者じゃなかったっけ?」と思われるかもしれません。確かにそれはその通りですが、彼のこの政策の提案において想定されている敵はあくまでも、ある特定のタイプのケインジアンです。フリードマンはれっきとした管理通貨制の支持者、つまりは中央銀行が必要な時に必要なだけ通貨を発行する必要を認めています。「kパーセントルール」はあくまで「貨幣供給量を実体経済に過不足なく合わせるための知恵」であって、固定的な法律のようなものではありません。そしてそもそも「kパーセントルール」は金本位制のもとでは運用不可能です。ついでに言えば彼は古くから――1973年にアメリカが実際に変動相場制に移行するそのずっと前から――変動相場制論者でした。危機対応より平時に重点を置いていたとはいえ、そして謙抑的であるとはいえ、彼は機動的金融政策にコミットしているのです。
 それに対してハイエクは、全くそのような立場をとりません。初期においてはむしろ金本位制への復帰を志向していたきらいもありますが、後期においては非常に独特な「貨幣発行自由化論」、つまり国家が貨幣をコントロールすることをやめ、各銀行その他の金融機関が発行する証券を自由に貨幣として使えばよい、という極端な立場に移行します。この「貨幣発行自由化」が果たして実現したらどうなってしまうのか、はよくわかってはいません(僕は個人的には、このような体制のもとでは、貨幣として通用するほどの信用のある証券を発行できる有力銀行は、自己の銀行券の価値を維持するために貨幣供給を絞りがちになり、全体としてデフレ志向になるのではないか、と考えています)。が、いずれにせよこのような状況では、危機対応であろうと平時における危機の予防であろうと、マクロ的な金融政策による景気のコントロールは完全に諦めねばならないでしょう。
 さらにもう一段踏み込むならば、フリードマンとハイエクの間には、マクロ経済観のみならずミクロ経済観のレベルでも、また経済政策観においてのみならず、市場経済というものそれ自体に対する見方についても、かなりの違いがあったとも言えそうです。フリードマンがケインジアンに比べて謙抑的なマクロ経済政策観を持っていたのは、貨幣供給さえ十分なら、自由な市場経済は十分な自己調整能力を持っている、と考えていたからです。それに対して実はハイエクは、自由な市場の性能に対して、それほどの信頼を置いていません。
 フリードマンは教科書的な完全競争市場――誰も市場全体はおろか特定の他人の行動にさえろくな影響を及ぼすことができず、ただただ市場における価格だけを目安に自己の最善を尽くすだけの状況――を、現実そのものではないにしてもそのほどよい近似モデルだと考えています。現実の市場は常に均衡してはいないまでも、そこに向けてのほぼ安定した軌道の上にあり、大きくずれてはいない、と。
 それに対してハイエクはそうは考えません。現実の市場の近似としては完全競争市場のイメージはほとんど使い物にならず、市場は常に不完全である、と考えます。ハイエクに言わせれば、そもそも市場が完全であれば――情報が人々の間に完全にいきわたっていれば――「競争」など必要はない。競争を通じて初めて人々は市場に散在する情報を試行錯誤しながら得ていくのだから、重要なのは市場における競争がどの程度まで完全かまた不完全か、ではなく、市場が、競争が存在するかしないかである、とハイエクは言います。市場は常に不均衡であるどころか、その不均衡の中に均衡に向けての調整プロセスがはたらいているかどうかさえ定かではなく、不安定でしばしば危機をもたらす、というのがハイエクの市場観だとしたら、それはある意味でフリードマンのそれとは正反対ですし、ケインズよりもさらに市場の調整能力に対して悲観的であると言えます。
 にもかかわらずハイエクは、ケインズどころかフリードマンに比べてさえ謙抑的、というより反介入主義と言いたくなるほどです(といっても彼は無政府主義者ではなくせいぜい最小国家論者、「小さな政府」論者で、警察や軍隊はもちろん、最小限度の社会福祉サービスも国家の任務として認めますが)。彼にとっては「市場の失敗」よりはるかに「政府の失敗」の方が恐ろしい、忌むべきものなのです。

 細かく見ればこれほどの違いがあるにもかかわらず、そうしたいわゆる「新自由主義」内部の違いはさほど問題とされなかったのには、もちろん理由があります。第一には、この論争の時代的なコンテキストの問題があげられます。つまり論争の時代は石油ショック後のスタグフレーションの時代、インフレーションと不況が共存し、ケインズ政策があたかも無効であるかのように思われた時代でした。
 それまでケインズ政策は、金融緩和や、財政出動による需要の超過によるインフレーションという副作用を伴いつつ、景気を上向きにして完全雇用を達成するもの、と思われてきました。それに対して70年代の石油ショック以降においては、激しいインフレーションが生じているにもかかわらず、雇用が改善しない、という状況が各国で生じたのです。
 今から思えば石油ショック後の経済停滞はデフレ不況、ケインズ的な有効需要不足とは異なり、石油価格の急上昇による生産コストの増大、つまりは大幅な生産性低下によるものです。つまりその時代のインフレーションの大部分は、まずは金融緩和や財政出動といったケインズ政策の効果よりは、石油価格の上昇に起因するものです。しかしもちろん、そのような状況下でケインズ政策を行えば、ことインフレーションに関しては火に油を注ぐ結果になることは確かです。
 となるとその時なぜケインズ政策が行われたのか、またそれらは本来のケインズ政策に期待された、雇用の改善をなし得ていたのか、という疑問が出てきます。激烈な原油価格の上昇――1973年には4倍以上、1979年には2倍程度――は、短期的にはそれに対する企業や家計の適応が遅れて、倒産や失業を引き起こしますが、それはケインズ的な意味での全般的な有効需要不足、マクロ的な不況というよりは、市場の調整に伴う過渡的な摩擦である、というのがたとえばフリードマンなどの見立てです。
 この文脈でフリードマンは「自然失業率」という概念を提示します。つまり「完全雇用」とは「失業者ゼロ」を意味するわけではありません。転職、労働移動は不況の時よりもむしろ好景気の方が活発でしょうが、こうした転職行動は、常に切れ目なく行われるわけではありません。ことに現代の、雇用保険、失業補償が整備された経済社会においては、転職においてタイムラグが伴う、つまり休職期間中あえて失業するという選択も十分に合理的です。このような、労働市場の調整プロセスにおけるいわば「摩擦」による失業は不可避的なものであり、そう考えると「完全雇用」とは失業者がこの「摩擦的失業」による者だけになった状態ということになります。この完全雇用下でのどうしてもゼロにはならない失業率のことを「自然失業率」と呼ぶわけです。経済がこの「自然失業率」を達成している(完全雇用である)にもかかわらず、その失業をなくそうとしてケインズ政策を打つと、インフレーションが悪化するだけで雇用は改善しません。
 フリードマン的見立てを徹底するならば、この時代にケインズ政策が行われたのは、完全な情勢判断の誤りであり、その時の失業率の悪化は、実は自然失業率そのものが石油ショックによって上昇していたのであって、需要不足によるものではない、ということになりましょう。となればスタグフレーションもまた、政策ミスの結果ということになります。それに対してフリードマン的な立場からは、インフレを抑制するため、貨幣供給を絞り込む、という政策対応が要請されます。つまるところ結論的に言えば、よくよく見れば全く異なる政策観、市場観に立脚した二つの立場が、見かけの上でほとんど変わらない提言をするめぐりあわせになってしまったのです。
 もうひとつ付け加えれば、フリードマンのマクロ政策論においてはあくまでも金融政策が主であり、財政政策についてはたとえ危機対応としても否定的、消極的です。そもそも財政政策とは、具体的には政府が行政サービスなり官営事業なりをして直接ビジネスを行い、モノ・サービスを市場に供給したり、あるいは政府支出で民間からモノ・サービスを買ったりするわけですから、当然にミクロ的な効果を持ちます。つまり、市場に対して与える歪みが、金融政策よりも大きくなるわけです。フリードマンの「小さな政府」論はマクロ経済政策のレベルにおいてだけではなく、ミクロ経済政策・社会政策のレベルにおいても展開されています。

 では、これに対してケインズ政策を擁護する側からの反撃はどうだったでしょうか? おおむねこの時代の親ケインズ的な経済学者は、まずは『一般理論』を基準にケインズを見てしまうので、政策論的には財政中心政策重視論になりがちです。それに加えて市場メカニズムの原理的把握のレベルにおいては、以前にも言いました通り、市場の不完全性を重視する――その限りではハイエクなどにもある種屈折した親近感を抱く――ことが多かったのです。前回ご紹介した「不均衡分析」の流行もその一環です。現代的なケインズ解釈からすれば、金融政策はこうした不均衡を緩和して市場における調整をスムーズにする、というのがその眼目です。
 具体的には、ケインズは雇用制度、労使関係の仕組み上、賃金が労働市場での需給動向をスムーズに反映して変化しにくいことを認めます。そこで、貨幣供給を操作して物価の方を変化させれば、貨幣ベースの名目賃金はそのままで、実質賃金を変化させることができる、と論じます。ことにケインズにとっての問題は失業、労働供給、働き手の数に対して労働需要、雇用の量、働き口が足りないことです。実質賃金が下がれば労働需要が増えることが期待できても、労使関係の構造から、労働者は賃金が下がることに対して激しく抵抗する。そこで貨幣供給を増やし、物価を上げてしまえば、実質賃金は低下し、労働需要が増えて失業は解消していく――ケインズはこういう議論も展開しています。
 このように、市場の調整能力を信頼しないのではなく、それが機能する条件を重視する論者としてケインズを理解するのが現代的な読解ですが、1970~80年代はそのような解釈はそれほど影響力を持たず、むしろ賃金、のみならず独占的大企業の製品価格や、大銀行が支配する金融部門での利子率など、市場のあちこちで価格が硬直的となり、不均衡が常態となる経済において、価格変化以外の様々な調整メカニズムも動員される複雑なシステムとして資本主義的市場経済を理解する――乱暴に言えば70~80年代の「不均衡分析」はそういう枠組みでした。実のところそれは徹底的にミクロ的な世界観であり、前回ケインズの『貨幣改革論』を通して我々が見出したような「マクロ経済」――貨幣という鏡に浮かび上がる、複雑なミクロ経済の全体を単純化したイメージ、しかもそれは研究者が勝手に抱くイメージではなく、貨幣を使って市場に生きる当事者自身が経済に抱くイメージに他ならない――の入る余地があまりないのです(この点でも岩井克人『不均衡動学の理論』はよい意味で例外的なのですが、今回も触れる余裕はありません)。

 かくして、マクロ経済という固有の次元があることが忘れられたまま、論争は左右対立の構図の中へと回収されていったのです。

 

 

(第6回・了)

 

この連載は月1更新でお届けします。
次回2016年3月22日(火)掲載