ブログを開設してから4か月少々、紆余曲折を経るもバリバリの雑記を書き続けている僕がその魅力を語る。
雑記、書こうぜ!!
雑記の魅力
好きに書ける
これだろうな。兎にも角にも好きに書ける。別に誰しも好きでもないブログを書いているわけではないのだろうが、ともかくインスピレーションを最大限にした、半ば場当たり的なネタでも書ける。
専門記事というのはある程度信頼のおけるソースに基づいて記事を書かないと説得力に欠ける、有用性が落ちる。その点、雑記はソースなんて他所のどこのもありゃしない、ソースは己の中にある。
そういう意味では場所すら選ばない。家だろうが電車だろうがカフェだろうが、文字を綴るデバイスさえあればあとは脳内の思考を文章化するだけ。なんという無双感。雑記、燃えるぜ。
ロングテール記事が芽を出す
可能性がある!!繰り返す、可能性がある!!
すまん、なんだかんだで逃げに走った僕を許してほしい。でもこれは当たらずしも遠からずで、現在でも検索流入の数パーセント(最小で1%以下)の割合でチビチビと来訪者があるんだよ。
まだドメイン年齢が3か月少々ってところだけど、これで半年、1年とサイトを継続更新すればどうだろうか。可愛い子供たちが芽を出すところをその目で見ることができるかもしれない。
もはやブロガーではない時のイケダハヤト御大はこのように申した、「ブログは農業である」と。それは今でも心の中に息づいてて、ロングテールというものに夢を託すための僕の心の拠り所となっているのである。
大事なことは、いかに雑記といえども「魂を込めろ」ってこったね。僕だけじゃない、本気で雑記を書いている暑苦しい奴らは、記事を見れば嫌でも伝わってくるけど。「これは検索に見られるかなーうーん、どうなんだろぉーでもなー」のように逡巡している雑記ブロガーがいれば、僕は言いたい。「何を迷っている、とりあえず全力でその雑記を書き上げろ!」と。
割と体育会系の根性論者なんだよ、ごめん。
気合が入る
蛇足感を恐れずにここを書き上げたい。先述の「好きに書く」に通じるものはあろうが。ともかく熱くなれる。思考を文章化、しかもどっしりと腰を据えてキーボードに思いのたけを叩きこむというのは、こうも気合が入るものかと痛感する。
多更新を続けて130日余。1日たりとも気は抜けない。だけど、書けば書くほどに面白く、そして没頭する。それが雑記なのである。
かつて「キーワードプランナー」でニーズリサーチを行った後にブログを運営していた時期があった。その時はアクセス数も右肩上がりで推移し、ブログの何たるかを理解したような「錯覚」に陥った。いやいや錯覚どころではない、それは「不遜」な思想であったのかもしれない。何はともあれ「面白くない」なんだこれ、こんなのブログじゃ・・・いやここまでは言わんが、僕の中では超不本意だ。
ニーズも確かに大事だろう、どこに向かっているのかも重要に違いない。地図のない旅なんて、計画のしようがねぇ。だけどさ、結局書くことが楽しいんだよね。なんか人生と一緒じゃんか。そこにレールはなくて、全ての選択を自分で行っていく。それに対して発生した結果を、良くも悪くも受け止める。結果が全てじゃない、走っている「今」が楽しいんよ。ブログも一緒じゃないかな、行き着く先はわからんけど、書いている今が楽しければ、それが何より。これがまた熱い。
数字で右往左往するもまた人間なれど(あとがき)
アクセスカウンター、普通に見るよ。今日も多いだの少ないだの、一喜一憂するよ。でもそれって普通のこと。大業な精神論を並べ立てたけど、日々の努力に対するレスポンスを求めないなど理想論で、このような人間的な弱い部分も当然ある。
大事なことは先述通りで、「ブログを書くことを楽しめているか」これに尽きると思う。どんなに数字で惑わされようとも、結局は「楽しさ」に帰結する、そんな雑記ブロガーで僕はありたい。
こうやって熱く苦しいブログ論を書き上げることだって、雑記力を練り上げてきたからこそ成せる技だからね。自分を信じて進みたい。ありがたいことに、僕の周囲には暑苦しい雑記ブロガーがワンサカといるからね。そいつらにも励まされ、時には励まし、刺激を受けている。感謝だぜよ。
さてさて、雑記ブロガーの諸氏、今日もかく戦うべし、そしてブログを楽しむべし。
終わり