東京電力福島第一原発事故からまもなく5年がたつ。除染などで放射線量は下がりつつあるが、日々の暮らしやなりわいなど、至るところに事故の影響はなお残っている。福島のいまを4回にわたって報告する。
■事故5年 消えない不安と溝
中部地方のある都市で暮らす女性(36)は、以前は福島県田村市で暮らしていた。2011年3月の東京電力福島第一原発事故から1カ月後、1歳の息子と10歳の娘を連れ、縁のないこの町に避難してきた。
福島の自宅は原発から西に35キロほど離れ、政府の避難指示はなかった。夫は「原発から離れているから大丈夫」と自宅に残ったが、女性は「国のデータは信用できない」と放射能への不安から福島を離れた。
2年前の秋、夫から届いた段ボールには子どもへのお菓子とともに、離婚届が入っていた。夫は「会えない家族に仕送りはできない」と言った。女性は「子どもの健康は守れたと思う。でも家族は壊しちゃった」。離婚したことは、子どもに伝えられずにいる。
事故から5年。いまだ7万人もの人が政府の指示で避難を続けているとはいえ、福島ではスーパーに並ぶ地元産の食材を買う親子も増え、子ども服がベランダで揺れるようになった。だが、事故前の日常を取り戻せない人も少なくない。人々の間に生まれた溝は、時がたっても埋まらない。
事故直後に親子3人で、県沿岸部から郡山市に引っ越した母親(40)もその溝に苦しむ。5年生の娘(11)はクラスメートが給食を配膳し始めると、ランドセルからお弁当をとり出す。給食には放射性物質の検査を通った県内産の米や野菜が使われている。だが、母親は娘の体への影響を心配し弁当を持たせる。
娘は「机を並べている他の子と違っていても、気にならなくなった」。でも、クラスメートに「給食を食べないなんてノイローゼ?」と陰で言われているのも知っている。仲良しだったが今は口をきかない。
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