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【スポーツ】<首都スポ>世界で勝つ ボート中野紘志2016年2月23日 紙面から
約束された将来をなげうって五輪に挑む男がいる。ボート軽量級ダブルスカル日本代表の中野紘志(28)だ。難関の一橋大入学後にボートを始め、ボートの名門にして大企業のNTT東日本に入社したが昨年10月に退社。現在は無職のままリオデジャネイロ五輪出場を目指すという異色の経歴の持ち主の生き様に迫った。(川村庸介) 28歳、無職。だがそこに悲痛さはない。あるのは己の意志の下、目標に向かってひたすら努力を重ねる強靱(きょうじん)な精神と肉体だけだ。「トレーニングはめちゃくちゃハードです」と中野。屈託のない笑顔とは裏腹に、多いときは1日24キロ、30キロとひたすらボートをこぎまくる。ベテランカメラマンが「プロ野球選手でも見たことがない」と驚く、マメだらけの手のひらが猛練習を裏付ける。 難関大学から大企業。誰もがうらやむ約束された将来をなぜ捨て、困難な道を選んだのか。答えは明快だ。「世界で勝つ上で、会社員では不可能だと思ったから」。満たされた生活と確実な未来こそがボートをやる上で足かせとなる矛盾に気付いてしまった。 「ボートは精神的なスポーツ。両手両足が1度に動くので、休もうと思ったら休める。そこを奮い立たせるにはボートをものすごく好きか、やらないと生きていけないレベルに追い込むかしかなかった」 自問自答した結果、ものすごく好きでない以上は生きていけないレベルに追い込む、すなわち退職するしかなかった。 では、なぜ決して好きとは言えないボートをやり、五輪が見える位置にいるのか。それはプライドと自己実現のためだ。 「『中野紘志です』と自己紹介して『誰?』と聞かれたときに答えるものが欲しかった。勉強ができると思って一橋に入ったらみんなできる人で取りえにならない。だったらスポーツで日本一なり結果を出そうと思ったらボートしかなかった」 幼稚園から始めた水泳では努力しても追いつけない才能の壁を痛感し、高校で始めたテニスや陸上ではスタートラインの差を埋められなかった。ならば大多数が大学で始めるボートしかない。決して前向きではなかったが「いろいろなスポーツをやめて、大学4年間ボートをやると決めたのにまたやめたらなんだと思った」とやり抜いた結果、大学3年では日本のボートでは初となるU−23(23歳以下)世界選手権での銀メダルも獲得した。 だが「中野紘志」の名刺代わりとなるはずだったボートは、社会に出たときにその役割を果たしてくれなかった。「同級生はいろいろな企業や国で社会貢献をしているけど、誰も知らないボート日本代表って社会的な価値はあるのか。世界選手権十何位という記事が新聞に3行ぐらい出て、それって給料何百万円分の価値があるのか。一橋を卒業したのに自己完結で終わってるのは寂しい」。募る思いは抑えきれず、一橋大で「脱退しにくい組織」をテーマに卒業論文を書いた男は昨年10月、会社の理解と待遇に感謝はしつつも大企業を脱退、すなわち退社した。 現在は練習拠点の戸田ボートコース(埼玉県戸田市)近くにアパートを借り、貯金を切り崩しながら生活しているが「惨めな暮らしは嫌だけど、豊かな暮らしも求めていない」と悲壮感はない。そうまでして自身を追い込みボートをこぐ目的は何か。 「五輪のメダル獲得はその1つだけど、マイナースポーツがマイナーでなくなること、日本代表なら競技で生きていけるようになることが目的。全マイナー競技が集結すれば、B級グルメ大会みたいに注目を集められるようになる。自分がそのきっかけになり、スポーツが仕事になる社会づくりに少しでも貢献したい。企業の業績が傾いたら切られるスポーツではなく、切ったら業績が傾くような存在に持っていきたい」。口調は自然と熱を帯びる。そのために自身が先陣を切り、生き様を発信している。 4月に韓国・忠州で行われるアジア最終予選で3位以内に入ればリオデジャネイロ五輪代表に決まる。「1日1日を納得した形で過ごした結果、最終予選なりオリンピックを迎えれば結果はついてくると思う。自分が速ければ勝つ。ボートにとってみれば乗っている人間が無職かどうかなんて関係ない」。ただ己の信ずるままに、マメだらけの手で来る日も来る日もオールをこぐ。大企業という静かな水面(みなも)から社会という荒波、大河にこぎ出したときの確たる信念を胸に。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」面がトーチュウに誕生。連日、最終面で展開中 PR情報
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