2016年02月22日

「オオカミ少年」は信頼を失う

最近の共同通信の世論調査では、「野党5党が、集団的自衛権行使を認めた安全保障関連法は憲法違反だとして、廃止する法案を衆院へ共同で提出しました。「あなたは、安保法を廃止するべきだと思いますか」という質問を提示したのですが、意外にも、それに対して「廃止するべきだ」と回答したのは38.1%にとどまり、「廃止するべきでない」というほうが多く、「47.0%」でした。詳しくは、こちらのリンクでご覧いただけます。


国民の多くは、ここ一年ほどの経緯を見て、必ずしも安保関連法が「戦争法案」で、日本がアメリカの戦争に巻き込まれることになるという恐怖を、事実とは異なると考え始めたのではないでしょうか。

この世論調査では、わざわざ質問で、「集団的自衛権行使を認めた安全保障関連法は憲法違反だ」という誘導的な文言まで入れているのですが(逆に読売などは、「部分的な集団的自衛権行使を認めた」というような表現で聞くことが多いですが)、いかにも「廃止するべきだ」という回答が多くなるような誘導だと思うのですが、そうはならなかったのですね。国民は冷静に、経緯を眺めているのかと思います。

昨年夏に、「国民の多数が反対する安保法制を廃案に!」と批判していた方々は、「廃止論」が少数になった場合には、批判をやめるのでしょうか。どうなんでしょう。世論調査は浮き沈みがあるので、それをもとに正当化したり、それをもとに「民主主義の否定」と批判するのは、墓穴を掘ることになると思うのですが。

今後数年間、東アジアの安全保障環境は悪化する見通しだとと思います、だからといって私はそれを根拠にして国民の不安をあおって、防衛費を大幅に増額したり、攻撃的な防衛装備を配備する必要はあまりないのだろうと思います。日本の側から、緊張を高めるようなことは避けるべきです。

繰り返し、さまざまなところで私が主張してきましたが、安保関連法の本質的な意図は、日本独自の急激な軍備増強が不可能でありまた好ましくないためにも、むしろ国際協調主義の精神で軽装備と専守防衛のまま、他国と安全保障協力(情報共有を含む)を進めるために必要不可欠な措置だったと考えています。集団的自衛権とはそもそも国連憲章51条が示すように、「自衛」の措置であり、防衛的な性質であるにも拘わらず、日本がこれから世界中で攻撃的な戦争を開始するようなイメージを植え付けたメディアや知識人は、とても大きな責任を持っていると思いますし、不誠実だと思います。ICJのニカラグア事件の判決を知っていれば、そのような恣意的な集団的自衛権の拡大解釈による武力攻撃が認められないということは、わかっているはずです。

やはりこれからも、日本は外交交渉を主軸として東アジアの安全と平和を確保することが重要だということは、変わらないのだろうと思います。他方で、安全保障環境の悪化によって、「対話と協調」だけで平和を確保すべきだという議論も後退していくのでしょう。国民を守るための防衛力や同盟、安保協力は、必要だと思っています。そのためにこそ、安保関連法は必要だったのです。

安保関連法が国会で採択されれば、日本はアメリカのいいなりで戦争に参加せざるを得なくなり、自衛隊員が多く戦死して、徴兵制が導入されるという、「オオカミ少年」的な恐怖をあおる議論は、あまり誠実ではなかったと思います。そのような議論は、いまでもまだなされていますが、そのような恐怖をあおる言説は、もはや国民からは信頼されなくなったために、共同通信での世論調査の結果が冷静だったのだと思います。国民はそこまで無知ではありませんので、依然として専守防衛が守られて、日本の平和主義の理念は堅持されていることを、多くの人はわかっているのだろうと思いますが。

いい加減、政権批判、首相批判を目的とするような、政局的で感情的な安全保障政策論から、前進すべきときではないでしょうか。

hosoyayuichi at 15:41│