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D'ac

金融、語学、子育てられの雑記ブログ。

それって本当に高い? 保育料に思うこと。

子ども

昨日、銀行手数料の話をしたところ、「銀行手数料って高い」といった趣旨のことがコメントで寄せられました。銀行のATM利用料の話だったのですが、108円。これ、高いですかね。どうですかね。

銀行がお金を預かってくれている対価と考えるとしたら、銀行残高が10万もないような私としては108円は高いような気がします。けれど、1億とか預けている人にしたら、その紙幣の保蔵コストを考えると破格ですよね。
銀行にお金を預かってもらっているのではなく、銀行にお金を貸してやっている、と考えると話は逆になるような気もしますが・・・。

 
日ごろ「これって高すぎる!」みたいな話をするときに、ついつい私たちは自分たちの懐具合で話を進めてしまう傾向にあるように思います。本来であれば、その得られる対価と比較して高いか安いか決めなければならないものであるのに。この時期は特に気になる話があちこちで聞かれて、どうもこうもモヤモヤしてしまうので、ちょっとここいらで吐き出しておきたいと思います。
 

保育料って高い?

私がお世話になった元保育関係の方が常々申しておりましたことには、
「自分の子どもの命を預けるのに、安くあげようと思うな」
ということでした。
最初聞いたときはですね。ぶっちゃけ反感を覚えたのも事実です。
「そんなこと言ったってないんだもん」と。あなたはお金持ちだから・・・。
 
でも、この言葉はゆっくりゆっくりと心に浸透し、今では、「あーその通りだなあ」って思います。
この春は、こちらの地方でも、たくさんの待機児童がでるそうで。これって明らかに需要と供給が釣り合ってない状態だよなあ・・・なんて思わざるを得ません。
 

保育料はもっと上げるべき。

保育料はもっと上げられるべきなのではないでしょうか。
格安で提供しようとするから、数が足りない。供給が追い付かないわけです。
保育園ってかなり税金がつぎ込まれています。そりゃそうですよね。小さい子ども一人見るのに、5万とか6万とかそんな安く見れるわけがない。だから、補助金がたくさん出ている。保育士の給与も上がらない。だから、保育士の数も確保できない。
 

希望者が多すぎる。

安く預けられるものだから、本来ならば預けるべきでない人まで、仕事に出ている。
というのは、独身の頃見たからです。職場では、「育児で疲れているから仕事はしない」。家では「仕事で疲れているから育児は手抜き」。保育料がもっと高ければ、「子どもを預けてまで」仕事をしなければいけない、という自覚が生まれるのに、保育料が安いものだから、「息抜きのために」仕事をするようになるんですよね。正直、職場にはそういう人って迷惑です。もちろん、全員がそういう人たちというわけではないです。そういう人を除外するためにも、保育料は上げたほうがいいと思うだけで。
 
「保育料が高いと働いている意味がない」と思う人は働かなくていいのではないでしょうか。だって、小さい子どもの面倒をみる、というのは、結構な重労働です。それを他の人にやってもらうわけなのだから、ある程度の負担は覚悟してしかるべきなのでは。そういうふうに思うわけです。
実際に、「その職の席を手放したくないから保育所で全部持っていかれても続ける」という覚悟のある人はあっぱれですが。
 

おしまい。

保育を完全に市場の自由に任せて、国は子育て世帯に対して補助をするようにしたらいいんじゃない? 
そうすれば、需要と供給が一致するところで、うまく回るようになるよ! と言いたいところですが、それをしたら、たぶん働くと損をする人が出る結果、働く女性が減るからそうは出来ないんでしょうね。
個人的には、「損をしてでも、この仕事を手放せない」という人だけ続ければいいとは思うのですが、経済的には、子どもを預けて女性が働いたほうが回る数字が大きくなるぶん、ありがたいということなのでしょう。
 
そもそも、保育は既得権を守りすぎではないでしょうか。
「一旦、仕事を手放したら再就職は難しい。」そういった日本の終身雇用の悪習を固着化させる、そんなシステムとして働いています。
仕事を一回手放しても、2、3年後にはまた労働市場に復帰できる、そういう転職市場、労働市場の仕組みがあれば、子どもを家でみたいという人も増えるのではないでしょうか。
 
 
以上です。