ドリコム を含む記事

2008年02月26日

ドリコムOB会

土曜日にドリコムOB会があった。



総勢15名近く集まった。

第一回ということだったので、告知もあまりせず

口コミで募集をかけたらしい。

集客担当のベーさん、お疲れ様でした。





昼間はOBたちでスポーツをし、

img20080224_3.jpg








闘牛にまたがり、

img20080224_2.jpg








付け麺を食べました。

img20080224_4.jpg












その後、OB会本番です。





エンジニアも営業も企画もサポートも

色んな属性だったけれども、みんなが集まると

不思議と懐かしいあの雰囲気になる。



やはり活気がある。

辞めた後の方が元気な人が多い、といつも思っている。

恐らく、主体的に何かやりたいことがあって違う道を

選んでいるわけなので、それはそれで当たり前だが、

目つきに明確に変化が起きるのが興味深い。

何かを追っている目というか、生きている目をしている。



また、みんなで集まって何か面白い仕事ができそうな気もしてくる。

人の繋がりはかけがえのないものだ。












Comments(0)TrackBack(0)

2008年02月21日

てんとう虫の会

元ドリコムの人々と定期的に会っている。
今日も会った。ランチタイムに6人も。

「てんとう虫の会」と命名された。
理由はまた後日、てんとう虫のHPができた時にでも!



今日のランチ@平世さん、松岡さんオフィス。

ea8ff1a6.jpg


メガ牛丼、メガカレー、宇都宮餃子、シュウマイ、、、
とにかく大量のご飯。

トークはやっぱりドリコムのことが多い。
どうしても発言したくてうずうずするような内容が
あったのだが、それはストップがかかったので
いったん、待つことにする。



ドリコムという戦場を駆け抜けた仲間たちは
やっぱり一味違うと思ったランチでした。



平世さん、まっつん、お邪魔しました!!
また来月もやりましょう。




Comments(1)TrackBack(3)

てんとう虫の会

元ドリコムの人々と定期的に会っている。

今日も会った。ランチタイムに6人も。



「てんとう虫の会」と命名された。

理由はまた後日、てんとう虫のHPができた時にでも!







今日のランチ@平世さん、松岡さんオフィス。



image100.jpg




メガ牛丼、メガカレー、宇都宮餃子、シュウマイ、、、

とにかく大量のご飯。



トークはやっぱりドリコムのことが多い。

どうしても発言したくてうずうずするような内容が

あったのだが、それはストップがかかったので

いったん、待つことにする。







ドリコムという戦場を駆け抜けた仲間たちは

やっぱり一味違うと思ったランチでした。







平世さん、まっつん、お邪魔しました!!

また来月もやりましょう。








Comments(0)TrackBack(0)

2008年02月16日

はてなが京都に移転:ドリコムが京都オフィスと東京オフィスを統合させたことを振り返る

元ドリコムの美谷さん(あすなろブロガー)が

はてなが京都に移転:ドリコムが京都オフィスを閉鎖したときに思ったこと

という記事を書かれています。

はてなさんのことも私はよくわからない上、
開発者の心理がどうとか、開発の効率がどうの、
ということはよくわからないので
異質な2つの拠点が1つに合併したときに起こった「文化」
変化について思っていたことがあるので触れてみる。


そもそも、ドリコムが京都オフィスと東京オフィスを統合した背景には
マネジメントコストの削減だった。

◆京都オフィス:B2Cサービスの開発、運営
◆東京オフィス:B2Bサービス開発・営業・管理

というように機能が分かれていた。
そして、役員(当時マネージャー業務も兼務)も
殆どが東京にいる状況で、役員が京都・大阪間の往復を
何度も繰り返しているという状況で1週間役員が誰も
京都にいないという状況もあったように記憶している。

そこからマネジメントがうまくいかないというような状況が
多少出てきていたため、この拠点を1つに統合しようという
動きがでてきた。

最も危惧されていたことは、移転に伴い、
京都メンバーが辞めないかどうかということ。
その点については結果的にはクリアした。ほぼ全員が
東京に出てきた。

これが上場後の2006年8月だったはず。



実は個人的にはこのあたりから、ドリコムの文化に異変が生じたように思っている。
機能が分かれていた2拠点。構成されているメンバーも異なれば
当然、気質や空気も異なる。そして、それぞれの文化に愛着を持っている。

◆京都:学生ベンチャーのころからの空気が強い。
(極めて自由。日中は静か。開発者にとって非常によい空気。)

◆東京:ビジネスの拡大を目的に作られた拠点のため、「企業」としての色が京都と比較して強い。
(基本自由だが規則はそれなりにある。日中も営業と人事がうるさい。開発者はB2Bが多いため時間に追われて強烈なストレスを抱えて仕事をしている。)



これからは私の個人的な意見。事実をピックアップしながら考察。


1.組織に対する考え方の不協和音

ちょうどその頃から「文化」という言葉を
使い始めた。東京のメンバーからすると、わりとそれは受け入れやすい言葉だったが、
京都メンバーからはそんなものは意識をしなくて良いという声もあった。
なんとなく、東京も京都もお互いに何だか違う会社になってしまったような
気持ちを覚え、統合したことによって組織に対する愛着が増したということには
ならなかった。


2.エンジニアの業務の不平等

適切な表現ではないかもしれないが、これが挙げられる。
B2BとB2Cのエンジニアの間での問題。
前者は、企業と接し厳しい納期をつきつけられそれに向け
時間との戦いをしていたり。
逆に後者はゆったりと仕事をしているという現状があった。

ドリコムがエンジニアを採用するときに謳っていたのが
高い技術力のあるエンジニアたちに囲まれて
新しくて面白いサービスを開発できる環境を提供すること

だった。その自由度がきいているのがB2Cであり、B2Bは比較的その
自由度が低かった。

・・・と聞いている。



3.騒音問題

これはオフィス統合がある前から問題になっていたのだが、
エンジニア・管理から、営業がうるさいと言われていた。
隔離すべきだの、黙らせろだの、そういう声は多少前から
挙がっていた。それが京都のエンジニアが増えたことにより
営業うるさい世論が強まった。こうなると営業さんは可哀想だ。
元気があることは営業の基本であって、インテリジェンス時代なんかは
それこそ、ドリコムよりももっともっと賑やかで活気があった。
そういう意味で、営業も開発も(管理も?)やりにくさを感じていたことは
間違いない。



このような点から、どこか社内に見えない壁ができてしまっていたように思う。
東京は東京で今まで通りに認められていることがNGとなったり不満に感じたり、
京都は京都で今まで通りに仕事ができないフラストレーションが出てきたりしたはずだ。



では、この壁をいったいどのように取り除けばよかったのか
という話になるが、それは極めて難しい問題だろう。



私のドリコム時代の経験から至った結論としては、
機能・文化が異なる組織は
できることなら統合しないべきだ、ということになる。





Comments(5)TrackBack(3)

はてなが京都に移転:ドリコムが京都オフィスと東京オフィスを統合させたことを振り返る

元ドリコムの美谷さん(あすなろブロガー)が



はてなが京都に移転:ドリコムが京都オフィスを閉鎖したときに思ったこと



という記事を書かれています。



はてなさんのことも私はよくわからない上、

開発者の心理がどうとか、開発の効率がどうの、

ということはよくわからないので

異質な2つの拠点が1つに合併したときに起こった「文化」

変化について思っていたことがあるので触れてみる。





そもそも、ドリコムが京都オフィスと東京オフィスを統合した背景には

マネジメントコストの削減だった。



◆京都オフィス:B2Cサービスの開発、運営

◆東京オフィス:B2Bサービス開発・営業・管理



というように機能が分かれていた。

そして、役員(当時マネージャー業務も兼務)も

殆どが東京にいる状況で、役員が京都・大阪間の往復を

何度も繰り返しているという状況で1週間役員が誰も

京都にいないという状況もあったように記憶している。



そこからマネジメントがうまくいかないというような状況が

多少出てきていたため、この拠点を1つに統合しようという

動きがでてきた。



最も危惧されていたことは、移転に伴い、

京都メンバーが辞めないかどうかということ。

その点については結果的にはクリアした。ほぼ全員が

東京に出てきた。



これが上場後の2006年8月だったはず。







実は個人的にはこのあたりから、ドリコムの文化に異変が生じたように思っている。

機能が分かれていた2拠点。構成されているメンバーも異なれば

当然、気質や空気も異なる。そして、それぞれの文化に愛着を持っている。



◆京都:学生ベンチャーのころからの空気が強い。

(極めて自由。日中は静か。開発者にとって非常によい空気。)



◆東京:ビジネスの拡大を目的に作られた拠点のため、「企業」としての色が京都と比較して強い。

(基本自由だが規則はそれなりにある。日中も営業と人事がうるさい。開発者はB2Bが多いため時間に追われて強烈なストレスを抱えて仕事をしている。)







これからは私の個人的な意見。事実をピックアップしながら考察。





1.組織に対する考え方の不協和音



ちょうどその頃から「文化」という言葉を

使い始めた。東京のメンバーからすると、わりとそれは受け入れやすい言葉だったが、

京都メンバーからはそんなものは意識をしなくて良いという声もあった。

なんとなく、東京も京都もお互いに何だか違う会社になってしまったような

気持ちを覚え、統合したことによって組織に対する愛着が増したということには

ならなかった。





2.エンジニアの業務の不平等



適切な表現ではないかもしれないが、これが挙げられる。

B2BとB2Cのエンジニアの間での問題。

前者は、企業と接し厳しい納期をつきつけられそれに向け

時間との戦いをしていたり。

逆に後者はゆったりと仕事をしているという現状があった。



ドリコムがエンジニアを採用するときに謳っていたのが

高い技術力のあるエンジニアたちに囲まれて

新しくて面白いサービスを開発できる環境を提供すること


だった。その自由度がきいているのがB2Cであり、B2Bは比較的その

自由度が低かった。



・・・と聞いている。







3.騒音問題



これはオフィス統合がある前から問題になっていたのだが、

エンジニア・管理から、営業がうるさいと言われていた。

隔離すべきだの、黙らせろだの、そういう声は多少前から

挙がっていた。それが京都のエンジニアが増えたことにより

営業うるさい世論が強まった。こうなると営業さんは可哀想だ。

元気があることは営業の基本であって、インテリジェンス時代なんかは

それこそ、ドリコムよりももっともっと賑やかで活気があった。

そういう意味で、営業も開発も(管理も?)やりにくさを感じていたことは

間違いない。







このような点から、どこか社内に見えない壁ができてしまっていたように思う。

東京は東京で今まで通りに認められていることがNGとなったり不満に感じたり、

京都は京都で今まで通りに仕事ができないフラストレーションが出てきたりしたはずだ。







では、この壁をいったいどのように取り除けばよかったのか

という話になるが、それは極めて難しい問題だろう。







私のドリコム時代の経験から至った結論としては、

機能・文化が異なる組織は

できることなら統合しないべきだ、ということになる。










Comments(0)TrackBack(0)