タイピング、していますか?
1940年代前半に原初コンピューターであるコロッサスとかエニアックとかが電子計算をしてから長い年月が経った今、人類の文化はコンピューター無しには成り立たなくなりました。社会活動の舞台は物理世界を超え、電脳空間に移行したのです。
世界はデバイスの先に在る
未だなお4つの塩基から成る有機肉体と脳神経に縛られた我々人類が、封印されし電脳空間にアクセスする手段。それはキーボードであり、タイピングです。つまり、タイピングの速度が速ければ速いほど、強い……そういう時代が到来しました。
60分かかるハッキングを60秒で終わらせるには? その答えは簡単、常人の60倍のタイピング速度が必要です。
映画やドラマやコミックにおいて、強力なハッカーが凄まじい速度でキーボードをカチャカチャとタイプし、魔法のようにハッキングをキメていくシーンに遭遇した事はありませんか? そういった描写からも、タイピング速度の速さがハッカーの強弱を規定するのが自明の事実であるという確信が得られます。つまり、ビー・クイック・オア・ビー・デッド(速い奴が生き残り、トロい奴は死ぬ)。西部劇でガンマンが決闘する時どうするか、思い出してください。速い者が勝つ、それが答えです。
固定観念の一例
「何言ってるんだい? ハッカーというのはね、キーボードをこれ見よがしにカチャカチャやったりするのではなく、プログラムをランさせたら、あとはコーヒーでも飲みながら複数のウインドウを確認し、様子を見守るものだよ。映画『ソーシャル・ネットワーク』観たことない? 実際のハッキングっていうのは、つまりああいう感じのね……」
このような古い固定観念は捨ててください。
タイピング速度が重要なわけ
「タイピング速度=強さ」の概念に馴染みがない方に、一例として、速度が仕事の効率にもたらすものについて示してみようと思います。
ここに、10分間に約20字の入力が可能な市民Aと、10分間に約2000字の入力が可能な市民Bがいます。彼らが、同じ業務を行ったとします。
謹啓 時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。平素は格別のご交誼を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、来る2月21日、弊社にて開発を進めてまいりました四脚マニピュレータ制御型治安維持フレームのメディア発表会を開催する運びとなりました。
つきましては、日頃お引き立て頂いている皆様方からの忌憚なきご意見を頂きたく、何卒ご多忙の折とは存じますが、ご来臨賜りますよう、ご案内申し上げます。
このビジネス文書の作成に二人が要する時間を考えてみましょう。
文字数は190文字です。市民Aのタイピング速度は10分間に20字であるため、これを作成し終えるまでに95分を要します。一方、市民Bは1分かからずに作成を終えてしまいました。市民Bはタイピングの速さによって、市民Aであれば必要としたであろう94分の業務時間を余剰時間として獲得し、その間に食事を摂り、シャワーを浴びる事ができました。そう、タイピング速度が速い事によって、職場における彼自身の暮らしすらも快適に作り変えた事になります。つまりこれが生活をハックするということ……ライフ・ハックの原理です。
タイピング速度を制する事で、日々の瑣末な出来事に悩まされる事もなくなる
タイピング速度が速い事によってどれほど絶対的な優位が得られるか、おわかり頂けたことと思います。物理空間においてすら、これほどに強いのです。いわんや電脳世界をや……。
さきほどの市民Bは10分間に2000字のタイピングが可能でした。では仮に、10分間に20万字のタイピングが可能な市民Cが存在するとすれば、どのような事が起こるでしょうか? あまりにも業務の速度が速い為に通常の物理法則すらも凌駕し、もはや出社する必要すら無くなり、年収が10倍になり、経済の壁を超え、時間を飛び越えてエネルギーを無から生み出すことすら可能になるかもしれません。電脳世界ではリアルタイムにこうしたインシデントが起こり続けています。それはビッグバンにも匹敵する衝撃的な創造と破壊のプロセスなのです。
E = mc 2 の世界においては光速を超えた時点で時間遡行が開始される
そしてコトダマ空間の地平へ
ニンジャスレイヤーの原作者ボンド&モーゼズが自著において示唆したところによれば、非常に高速なタイピング速度を身につけたハッカーは、やがて忘我の境地を経て、神秘的な四次元的空間に到達するとされています。タイピング速度の「論理の壁」、それが一秒間に1000字なのか、1万字なのか、一秒間に10万字なのか、100万字なのか……それはわかりません。しかし壁を超えて第三の目を開いた者は、静止した時間上で黄金の立方体を頭上に見上げ、0と1のグリッド時空にわだかまる情報の揺らぎの地平を見渡すことになります。これがコトダマ空間です。
「プロポーズなら間に合ってるわよ」ナンシーが笑った。ガンドーも笑う。「IRCコトダマ空間だ。ハッカー達の伝説、無限の地平……そんなものが本当にあるのか?」「イエス」「ペケロッパの連中は、そこに行けば死者に会えるという。本当か?」「イエス、アンド、ノー。解らないことだらけよ」 38
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2012, 7月 8
神秘の世界
貴方もタイピング速度を加速させ、人類種のネクストステージに進みましょう!
ネオサイタマにおけるハッカーの生存戦略
「涼しいサイバーサングラスだな」とゴウトは問うた。すると男は笑い、真っ白に焼き切れた醜い両目を見せた。「医療用」男はにやりと笑い、続けた。「俺のハッキッシュネスは、ブラインドネスに勝る」それは即ち、己のブラインドタッチが正確無比であることを示す、ハッカー・ジャーゴンだった。 44
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2014, 10月 20
ドージョーでタッチタイプを鍛える
キーボード、見ないで打てていますか? 今現在貴方が人差し指タイピングであるとしても、恥じいってセプクする必要はまったくありません。タッチタイピングの能力は特殊な才能ではないのです。あなたは検索エンジンの力を利用し、タイピング速度を鍛えるドージョーめいたウェブサービスをいくらでも見つけてくることが可能です。これらのサービスから信頼に足るものを見つけ出し、積極活用しましょう。
重要なのは「ホームポジション」の概念を頭にいれる事です。左手の人差し指を「F」キーに置き、右手の人差指を「J」キーに置いてください。何かを押すたびに必ずこのポジションに指を戻してください。全てはここから始まります。タッチタイピングは、カラテでいえば正拳突きにあたります。全てのハッカー・ムーブの基礎になるのが、タッチタイピングとホームポジションなのです。
ここは薄汚い雑居ビルの2階にある、ケンリュウ・ハッカードージョー。この階は完全に彼らのものであり、だだっ広い灰色の空間には、百枚のタタミが敷き詰められている。手前にはチャブが10個並び、それぞれ4台のUNIXが東西南北を向いて並ぶ。床には足の踏み場も無いほどのLANケーブル。 2
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2012, 1月 16
ドージョー内は薄暗く、UNIXから漏れる緑色の電子光と、壁際に立つ燭台のロウソク群が、神秘的な光の調和を生む。サイバーグラスをかけた黄色装束のハッカーたちが20人ほどチャブの前に座り、修行僧めいて黙々とキーを叩く。彼らのタイピング速度はかなり速い。皆優秀なハッカーなのだろう。 3
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2012, 1月 16
奥では数名がザゼン。その後ろの壁に掛けられるのは「ケンリュウ」「完全なコンタクトだ」などと書かれたショドー、難解なキーボード配置図、人体解剖図など。大型UNIXサーバーやメインフレームが立ち並び、その抑揚の無い定期的な非人間的動作音はそのまま、ハッカー達の息遣いのようだった。 4
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2012, 1月 16
ストリートにひとつはある一般的なハッカー・ドージョー。ここでもタイピング鍛錬が日常的に行なわれている。
薬物などによるブースト
時にはタイピング速度の限界以上の力を求められるビズもあります。そんな時、薬物の力に頼るハッカーがしばしば見られます。ネオサイタマのハッカーは、主に2種類の方法で薬物によるニューロンブーストを行います。
1:トロ粉末吸引やZBRアドレナリン注入によってニューロンを励起状態にする
膨大なデータの奔流!直ちにゴウトへ転送!同時に、直結している艦内LAN端子IPの防御を固める!「アーッ!アーッ!」限界が近い!ミスター・ハーフプライスの視神経の奥が、チリチリ言い始めた!鼻神経から出血!全身を、ジェットコースターに括り付けられたような疑似感覚が襲い、震える! 77
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2014, 12月 22
ハッカー崩れの負け犬は、震える指先で錠剤砕きSNIFF!危険な加速!ミスター・ハーフプライスはサイバーサングラスを強く押さえ、歯を食いしばり、全神経を論理タイプ集中!まるでコックピットに座り、超高速のサーキット回路を無茶苦茶に走り抜けるドライバー!一瞬気を抜けばクラッシュ! 78
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2014, 12月 22
最も一般的なタイピング速度のブースト方法です。要するに眠い時にカフェインを摂取すると仕事が短時間だけはかどるのと同じように、トロ粉末やZBRはあなたのニューロンを一時的に加速してくれます。オーガニックな高純度トロ粉末はマグロ由来であり、副作用や依存症状もほとんど存在しない、極めて優れたニューロン励起物質であり、かなりの末端価格で取引されています。大きなビズを成功させられるなら、決して高くない投資だと言えるでしょう。
2:ザゼンドリンクによって精神をフラットにし瞑想状態に入る
一方のナンシーはどうか。彼女はいずことも知れぬ暗い部屋でソファに座し、口を開けてよだれを垂らし、半ば白目を剥いていた。その体は、鯉の刺繍された青いキモノではなく、刺激的な黒の強化PVCレザー・キャットスーツに包まれている。サイドボードには、空になったザゼンドリンクの瓶が七本ほど。
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2010, 12月 1
彼女はまだ未熟であり、薬物の力が必要だ。ヨロシサン製薬が販売するザゼンドリンクは、過剰摂取によりトリップ効果を得られるため、ハッカー御用達の健康飲料として悪名高い。ザゼン成分とLAN直結によって全精神をIRC空間内に投射することにより、選ばれしハッカーたちは無限の地平を見るのだ。
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2010, 12月 1
1の方法がニューロンや筋肉を強引に高ぶらせるのに対して、こちらは自らの肉体の枠を取り払い、ニューロンの波長を電子ネットワークやIRC文字列と同調させることによってタイピング速度を高める方法です。ナンシー・リーも、かつてはザゼンドリンク過剰摂取の力によってトランス状態に入り、コトダマ空間とのリンクを強めていました(後に急性ザゼン中毒によって長期に戦線を離脱することとなった。薬物は決してノーリスクではない)。
こちらは1の方法よりも高度であり、コトダマ空間を認識できるハッカー、または少なくとも、ハッカーカルトのドージョーで瞑想方法や呼吸法などを学んだ人にしかおすすめできません。どちらが向いているかは、あなた自身のスタイル次第と言えるでしょう。
サイバネによるブースト
タッチタイピングは物理的な行為であるため、肉体の重みと実在が枷になります。指の筋肉の酷使は、腱鞘炎、突き指、剥離骨折などの故障の危険と隣り合わせです。それらを克服することが出来たとしても、あなたはいずれ音速の壁にぶつかります。この問題を解決するためのソリューションはいくつか存在します。ひとつは指のサイバネティクス化です。
「まずは知恵を絞れ。何でLAN端子を開けたい?」「そりゃ、タイピング速度っスよ」「仕事中にIRCチャットを十個も立ち上げるのか?」「アー、1個くらいで十分」「仕事中の私用IRCは禁止だぜ。それでクビになったんだろ?…まあいい。タイピングなら、手指をサイバネ化すりゃいいんだ」 23
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2012, 1月 28
「脊髄、そして脳ミソに近づくほど、サイバネ手術は後戻りが効かねえ。毎年毎年、オムラ社やハヤイ社や闇医者に振り回され、メンテで金が搾り取られる。カネが滞ったら、錆びてノイズ流入だ。手や足ならまだいい。ニューロン絡みは最悪だ。頭痛や記憶障害、精神崩壊、薬物依存、何でもござれだ」 24
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2012, 1月 28
私立探偵タカギ・ガンドーも、軽率な生体LAN端子埋め込み手術に対してはたびたび警告している。
なお、手指のサイバネ化で確かにタイプ速度は劇的に飛躍しますが、LAN直結の比ではありません。手指のサイバネ化は、ローリスク・ローリターン、安全志向のハッカーにおすすめです。「LAN直結だと敵ハッカーに直接ニューロンを焼かれて即死する危険性があるので、破壊されるのはUNIXデッキだけにとどめたい」というハッカーは少なくありません。そう、生体LAN端子の埋め込みはケタ違いのタイプ速度をあなたにもたらしますが、ハイリスク・ハイリターンなのです。「LAN直結でも毎回ファイアウォールをかませばいい」という考えもありますが、だいたい面倒臭くなって、ファイアウォールなどかまさずに直結するのが目に見えています。
生体LAN端子の埋め込み
電子戦争のさなかに開発された生体LAN端子埋め込み手術は、人間の後頭部や脊椎部に直接LAN端子を埋め込み、LANケーブルをUNIXデッキと直結させ、思考の速度で論理タイピングを可能とする夢の技術です。あなたのタイピング速度は物理的な枷を外れ、大した訓練を受けずとも、一般的なタイピング速度の数十から数百倍に達するでしょう。要するに頭の中で文章を思い浮かべるだけで、全てが瞬時にタイプされるのです。 pic.twitter.com/zMv1fSavHF
— njslyr_ukiyoe (@njslyr_ukiyoe) 2015, 2月 7
「体を傷つけたくない」などと言い、頭に電極を貼り付けて論理タイプを模する技術もありましたが、そのような軟弱なアティチュードではハードワイヤード(神経直接結合)に対抗できませんでした。やはりサイバネティクスで脳神経とLANを直結しなければ、人類種のネクストステージにはたどり着けないのです。
「アー、ところで所長、私も1個開けようかなと思って、金貯めてるんスけどね、ドンブリ屋でバイトとかして」シキベはUNIXキーを叩き、探偵事務所の事務仕事を再開する。「何社のだ?」ガンドーは立ち上がり、壁の木人と向かい合う。「あー、何でもイイっスよ、別に。こだわり無いデスし」 20
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2012, 1月 28
「アー、今見てるんスけど、ハヤイ社のマチオV16bitバルクとか、実際安いデスし」「やめとけ」ガンドーは首の後ろを掻きながら言う「あと2年で旧型になってインプラントし直しだ。ニューロン損傷リスクが増えるぞ」「でも、うちらアンダーの貧乏人は、身を削るしか無いんじゃないスか?」 21
— Ninja Slayer (@NJSLYR) 2012, 1月 28
さしあたっての障害は、それなりのクオリティの生体LAN端子は高く、メンテ代もかさむことです。信頼できるサイバネ医師とコネを作る必要もあります。幸い、粗悪なバルク品であればバイトの給料でも買えるので、場末の違法サイバネ屋で安く仕上げることも不可能ではありません。
このように、何事にもリスクとリターンが存在します。全ては選択と決断の連続です。マッポーの世においては命の価値は軽く、ハッカーたちは己のニューロンを寸刻みにしながら過酷な日々を生き抜いているのです。コトダマ空間とは、彼らが生み出した幻想に過ぎないのか、あるいは未だ人類に認識されていない超自然的な領域なのか。まだ誰にも答えはわかりません。それでも勇敢なハッカーたちは、世界の法則そのものを書きかえるほどの無限の可能性を求めて、この得体の知れぬコトダマ空間にダイヴしているのです。
未来へ
ヒツジ
よし、僕もタイピング速度を鍛えてハイヤーグラウンドに行くぞ。いつかは生体LAN端子をインプラントして、暗黒メガコーポの銀行口座をハッキングして毎月100万円くらい不労所得を得るんだ!
ヒツジお姉さん
あなたがそう決めたのなら、止めはしない。でもまずは「ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上2」に収録の「パンキチ・ハイウェイ・バーンナウト」に登場する一般的なハッカーと裏社会ビズの一例を読み、この世界の厳しさを学んでみるのもいいかもしれないわね。それからこれはセンパイとしての忠告だけど、安易にサイバネや薬物に頼っていると、必ずどこかでツケを払うことになる。気をつけてね。幸運を祈るわ。
ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上2<ニンジャスレイヤー>
- 作者: ブラッドレー・ボンド+フィリップ・N・モーゼズ,わらいなく
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(Tantou)