この映画はかなり変わった構成をとっており、何も予備知識なしに映画館に足を運んだ観客は面食らったに違いない。主人公はご存知スティーブ・ジョブズ。Appleの創業者にして、テック界のヒーロー。おそらく彼が創業してから亡くなるまでの伝記映画を期待して見に行った人もいたはずだ。しかし、この映画はそういった平板な構成をとっていない。ジョブズにとって転機となる製品発表会直前の舞台裏を三つ繋げて人生を浮かび上がらせているのだ。
それぞれ初代Macintosh、NeXTcube、iMacを発表する直前だが、常に問題が噴出しており、登場人物による言葉の応酬が続く。友人やビジネスパートナー、経営陣、そして実の娘まで対立に次ぐ対立笑。そこら辺の登場人物は全て実在の人物で、トリビアルな知識をひけらかした感想文は他に多いと思うのでそちらを参照を笑(特に脚本家のソーキンの名前を言いたいだけのレビューも多いのではないかと思った笑)。主にジョブズとの関係性がクローズアップされる四人の属性は以下のとおり。彼らとの会話が三幕ぐるぐるぐるぐる続く。
・スティーブ・ウォズニアック:友人
・リサ:娘
敢えて奇説を弄すれば、この映画はジョブズが長い青春をループのように味わっている映画だ。そもそも時間ループ物語が生まれる土壌の一つにユートピア思想がある。ずっとまどろんでいたい願望が時間ループを生み、物語の帰結でそのツケを払わせる。例えば、浦島太郎は竜宮城で鯛や平目の舞い踊りを見続けるし、押井守の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は学園祭の前日を無限に繰り返させる。基本的に青春期の物語なのだ。ヒッピーだったジョブズにとってAppleでは理想とする社会を到来させるための長い青春だ。そこでの友人や女房、父との憎愛は「青春」なので、円環する時間に回収されてしまう。一方、娘は異なる。「娘」は次世代の物語なので、娘の存在を認めた時からリニアに時間が流れだしてしまう。実はリサとの関係修復時期は事実と異なっている。しかし、ループ物語の帰結としては正しい。