真の動機見えず 現場は死角、物証乏しく
川崎市幸区の有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」で入所者3人が転落死した事件は、うち87歳の男性を殺害したとして元施設職員、今井隼人容疑者(23)=横浜市神奈川区=が神奈川県警に逮捕され、22日で1週間となる。動機や経緯に関する同容疑者の供述が徐々に明らかになっているが、なお不可解な点は多い。残る2人の殺害も認めているとされるが、物証は乏しく、全容解明に向け状況証拠と供述を突き合わせていく捜査が続きそうだ。【福永方人、村上尊一】
「特に言うことを聞いてくれない人」「以前から入浴の介助を度々拒否され、困っていた」。捜査関係者によると、今井容疑者は男性を殺害した動機についてこう供述している。逮捕容疑は、2014年11月3日深夜〜4日未明、4階の個室のベランダから男性を投げ落として殺害したとされる。
男性は自分で歩くことはできたが、身の回りのことができない「要介護3」で認知症だった。入所者の介助は職員が交代で担当しており、今井容疑者は男性の世話にいらだちを募らせていた可能性がある。
だがある捜査幹部は「介助に手がかかるだけで殺害を図るだろうか」と首をかしげる。「結果の重大さに見合う動機として、納得できるものはまだ分かっていない。その解明が最大のポイントだ」
今井容疑者は「寝ていた男性を起こしてベランダに連れて行き、抱えて投げ落とした」とも供述。この時の男性について「戸惑った様子だった」と話しているという。
ただ、殺害を実行した場面に関するこの供述は、支えとなる客観的な証拠に乏しい。現場は裏庭に面した角部屋で、表通りからは「死角」となる位置。今井容疑者と男性が一緒にベランダにいる様子や、男性が転落する状況を目撃した人はいない。施設に設置された3台の防犯カメラにも、前後の状況は映っていなかった。県警幹部は「捜査は供述に頼る部分が大きく、立証のハードルは高い」と言う。県警は人形を使った再現実験も行い、殺害の裏付けを進める方針だ。
14年11〜12月に転落死が3件相次いだとの情報が県警幸署と捜査1課で共有されたのは、3件目の発生から約5カ月後の昨年5月ごろ。本格捜査はその段階から始まり、遺体の司法解剖は行われていなかった。初動対応の不備が今後の捜査に影響する懸念も残る。
一方、Sアミーユ川崎幸町では、転落死のほか、職員による入所者への虐待も明らかになった。施設を監督・指導する川崎市は、実態を把握できていなかったことへの反省から再発防止に取り組む。来年度から高齢者施設を担当する職員を4人増やして13人態勢とし、監査の一部を外部委託して回数を増やすことも検討している。
施設を運営する「積和サポートシステム」は、今月から防犯カメラを施設の廊下や居室のベランダにも設置し、約25台に増やした。当直職員の人数は1人増やして4人態勢にしている。岩本隆博社長は「これまでは性善説に立ち、対応を施設任せにしていた。各施設の状況について情報収集する体制を強化したい」と話している。
有料老人ホーム入所者転落死事件の経緯
●2014年
5月 今井隼人容疑者がSアミーユ川崎幸町で働き始める
11月4日 要介護3の男性入所者(当時87歳)が4階から転落死しているのが見つかる
12月9日 要介護2の女性入所者(同86歳)が4階から転落死しているのが見つかる
31日 要介護3の女性入所者(同96歳)が6階から転落死しているのが見つかる
●2015年
5月21日 入所者の財布を盗んだとして神奈川県警が今井容疑者を窃盗容疑で逮捕
9月24日 窃盗事件で横浜地裁川崎支部が懲役2年6月、執行猶予4年の判決
12月11日 県警が同施設の別の元職員3人を入所者に対する暴行容疑などで書類送検
21日 川崎市が施設からの介護報酬の請求を3カ月間停止させる行政処分
●2016年
1月30日 県警が今井容疑者の任意聴取開始
2月14日 今井容疑者が「気持ちを整理したい」と聴取を休む
15日 今井容疑者が男性の殺害を認め、県警が殺人容疑で逮捕