奈良時代の歌人大伴旅人には亡妻の歌が多い。「わぎもこが見し鞆(とも)の浦のむろの木は常世(とこよ)にあれど見し人そなき」はその一つだ◆注釈を加えればこうなる。太宰府へ向かう時、妻と鞆の浦で見た木がある。帰郷する今、その木と再会できたのにあなたはいない。変わらぬ自然を前に妻をしのぶ切ない歌だ◆広島県福山市の鞆の浦。丸い入り江の美しい港である。眼前に瀬戸の島々が浮かぶ。万葉歌人の悲しみも受け止めた古来の良港が埋め立て架橋計画に揺れて33年になる。景観保存か、道路整備で経済発展か。広島高裁での論争がようやく終わった◆県は埋め立てをしない。反対派住民は訴えを取り下げる、という内容だ。建設推進派には不満が残る。しかし階段状の有名な岸壁からの光景は何ものにも替え難い。しばらく前、飽きずに海をながめた記憶がよみがえる◆神戸大学の大学院生らが万葉に詠まれた海辺の実情を全国で調べたことがある。約20年前だ。神戸・阪神間など大都市圏を除き、場所が分かった48カ所の5割以上がコンクリート護岸だった。7割に歌碑があるものの、いにしえの風情を楽しめるのは数カ所しかない。代表格が鞆の浦である◆歌碑があっても肝心の景観を失えば情趣は薄れる。景観は過去から継いだ宝物である。鞆の浦の33年にそう教わる。2016・2・21
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