http://www.yaso-peyotl.com/index_17.html#a002429 1430退社。 浅草橋へ。パラボリカ-ビスで諸星大二郎トリビュート展。駅から5分。 原画も展示してあるが、それは二階の一部だけ 。一階の特設会場2カ所で、トリビュート展。球体関節人形や絵画、オブジェなどで諸星ワールドを表現。まるでお化け屋敷に迷い込んだかのような一種異様な世界。薄暗い第二展示場は自分一人だけ。人形に見つめられてゾクッ。 二階に戻り、常設展を見る。球体関節人形が何点かあるが、その中の一体に見入ってしまう。いや、魅入られたというほうが正確か。横たわる人形の蠱惑的な眼差し。 思わず、展示場の男性に聞いたら、「今、球体関節人形で最も人気のある恋月姫の作品です」と球体関節人形について説明してくれる。恋月姫は四谷シモン以降で一番の人形作家とか。人形は見ても作家まで知ろうとしなかったが、素人が思わず作家の名前を聞いてしまうほど素晴らしい作品。展示してある一体で100万は下らないという。いいものはいいのだ。 諸星大二郎を見に行って球体関節人形に魅入られてしまった。 でも、昔、天野可淡ドールにハマったことがあるから、関節人形は好きなんだけどね。 知らなかったが、ここは「夜想」のペヨトル工房だった。 16:20、高円寺に移動。座・高円寺2で「越境」と題された映像特集。その中の映像作家・佐藤輝の世界を見るため。 時間を間違えたか、すでに上映中。満席のため最前列へ。 今回、自ら編集したダイジェスト編とのこと。矢沢永吉や何人かの映像は許可が下りなかったとのこと。しかし、未公開の貴重な映像も見る事ができた。その1本は黒田征太郎氏のライブペインティングとのコラボレーションで忌野清志郎(当時はタイマーズ)が「原発推進音頭」を歌う映像。渋谷パルコ前の壁面に描かれた黒田の絵が次第にキノコ雲のように変化していく。清志郎の「原発推進」ソングの皮肉は今こそ多くの人が見るべき。 もう1本の未公開映像は内田裕也のニューイヤーライブに勝新太郎が出演したときの映像。これは勝新がマリファナ所持で逮捕されたために放送カットされたもの。 「待ち時間が長いため酒を飲みすぎて酩酊状態の勝新が歌を忘れて、ドラムスのシンバルを叩いただけ」というシーンや、ループのように延々と「マイウェイ」を歌うシーン。勝新にハグされ、言葉をかけてもらい、神妙な面持ちで涙を流す裕也。勝新の傍らで涙を浮かべながら感激の面持ちの裕也の姿は初めて見た。裕也の純情な涙! 佐藤輝は日本で初めての独立系制作プロダクション「テレビマンユニオン」の最年少ディレクターだった。TBS成田事件、それに端を発したTBS闘争で「報道のTBS」が政治の圧力に屈していく中、萩元晴彦、村木良彦、今野勉らを中心に25人のプロデューサー、ディレクターらがTBSを退社し作ったのがテレビマンユニオン。 先鋭的な番組でお茶の間に衝撃を与えた。 5分間の番組「あなたは…」で寺山修司が作った「日の丸」が物議を醸す。 佐藤の作った「あなたは…」は太地喜和子を大量の水責めにし、オペラの田山力也をボクサーにしてノックアウトする。その映像の斬新さ。 20年前にNHK・BS2が「佐藤輝の世界」と題して特集を組んだことがある。録画したビデオは劣化し、また一部しか見られない。とにかく映像の天才としかいいようがない。 佐藤の転機となったのは「遠くに行きたい」事件。藤竜也を案内人にした同作はあまりにも「前衛的すぎて」、スポンサーに提示できず即座に制作中止。佐藤はテレビマンユニオンを退社する。 「TBSという組織から離脱して自由な創造を目指したのに、テレビマンユニオンも組織防衛のために自分の作品を没にしたことが許せなかった」という。 その後、佐藤はCM、ミュージシャンのPVなどに活路を見出す。沢田研二、ハウンドドック、そして尾崎豊etc。 テレビマンユニオン時代の奔放な作品は今見ても体の全細胞がわななくような衝撃だ。 まさしく映像の天才。 アフタートークも抜群に面白い。「仕事はこちらからもらいに行くのではなく、頼まれればやる」 「頼まれてもイヤなものはイヤ。気分がのらなけらば絶対やらない。当時、ユーミンのPCのために松任谷正隆から今のカネで億というギャラを提示されたが、『カネで動かされるのはいや』なので断った」 「CM作ってるときは毎月銀座で500万円も飲んでいた。そんなカネの使い方をしたので今も細々と家のローンを払い続けている」 美空ひばり親子を説得するためにセスナをチャーターして石垣島に行った話、ひばりの母がカタカナ商売はイヤと黒田征太郎のインタビューを断ったこと、それはもしかしたら(芸能)リポーターと勘違いしたのかも、三波春夫はカメラのアップに怒り出し、途中で帰ろうとした、司会者の玉置宏は高い足場から落下して、長寿のレギュラー番組を休むはめになり、各テレビ局のプロデューサーらから大叱責を受けた…といった硬軟取り混ぜた話。ユニークな映像を撮る人は話も面白い。 当時は1時間のテープが100万円。デジタルじゃないから、「顕微鏡」で覗きながらテープをカットしてつないでいく。今のデジタル編集ならなんということのない映像でも、当時はミクロの作業だったのだ。そこから生まれた映像はわずか5分でも手間隙は映画と同じ作業時間。 19年前に録画したNHKの「佐藤輝の世界」を見直したが、太地喜和子の回など何本か抜けている。いったいどこに行ったのか。 もう一度、あの特集を再放送してくれないものか。あれこそ日本の文化遺産だもの。今の映像に携わる若者にはぜひ見てほしい。 1930からMOMOで「犬神」を見る予定だったが、朝から電話してもまるで出ない。ようやくつながったと思ったら「立ち見になります」。それでもいいのだが、さすがにつらい。いったん駅内に入ったが思い返して「唐変木」へ。時間が早いせいもあるだろうけど、9時過ぎまで一人も客なし。いまどき、70年代風のスナックははやらないのか。むっちゃんと二人で思い出話。 初めて行ったのは、30年前、ここで高田渡のライブがあり、「ぴあ」を見て近所だからいってみた。観客わずか10人。あまりの不入りに主催者が高田渡に謝っていたが、高田渡は「気にしないでいいから」と飄々とした顔。まだ、再ブレイクする前だったから、集客もなかったのかな。 それをきっかけに入り浸り。常連たちの草野球チームにも参加した。 唐変木レッズ。 店にあるアルバムをひっくり返して眺めたら、懐かしい写真が出てくる。草野球の頃。生まれて初めて満塁ホームランを打ったときの出迎え写真も。スマホでパチリ。 11時帰宅。 |
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佐藤輝の世界、20年前の録画テープ、4時間見ました。今見ても素晴らしい。DVDにダビングして友人に見せたい。 |
non 2013/11/15 23:01 |
私の録画は劣化が激しいです。 |
鮎川 2013/11/28 19:31 |
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