ニュース詳細
震災で壊滅的被害 福島・南相馬の集落が「解散」2月21日 17時07分
東日本大震災による津波で住民のおよそ3分の1が死亡し、壊滅的な被害を受けた福島県南相馬市の集落が再建を断念して、21日、解散しました。震災を理由に集落が解散したのは南相馬市で初めてで、被災地全体でも珍しいということです。
解散を決めたのは南相馬市の沿岸部にある港行政区で、21日の解散式には住民などおよそ50人が集ました。港行政区には震災前、37世帯およそ130人が暮らしていましたが、津波でおよそ3分の1の45人が犠牲になりました。
震災後、住民はほかの地区に移り住み、地区のほぼ全域が住宅の新築などができなくなる災害危険区域に指定されたことから、集落の再建が困難と判断し、震災発生から5年を前に、解散することを決めました。
式では犠牲者に黙とうをささげたあと、田中憲一区長が「行政区を閉じるのはさびしく悲しいですが、前を向いて頑張っていきましょう」と呼びかけました。
そして全員で「ふるさと」を合唱し、入植が始まった明治後期からおよそ100年余り続いた集落の歴史に幕を閉じました。住民たちは、かつての集落での暮らしを語り合ったり、写真を撮ったりして、ふるさとでの思い出を懐かしんでいました。
前川敏章さんは「まだ実感が湧きません。元の場所のほうがいいですが、一歩ずつ前に進んでいくしかありません」と話していました。
南相馬市によりますと、震災を理由に集落が解散するのは南相馬市で初めてで、被災地全体でも珍しいということです。
震災後、住民はほかの地区に移り住み、地区のほぼ全域が住宅の新築などができなくなる災害危険区域に指定されたことから、集落の再建が困難と判断し、震災発生から5年を前に、解散することを決めました。
式では犠牲者に黙とうをささげたあと、田中憲一区長が「行政区を閉じるのはさびしく悲しいですが、前を向いて頑張っていきましょう」と呼びかけました。
そして全員で「ふるさと」を合唱し、入植が始まった明治後期からおよそ100年余り続いた集落の歴史に幕を閉じました。住民たちは、かつての集落での暮らしを語り合ったり、写真を撮ったりして、ふるさとでの思い出を懐かしんでいました。
前川敏章さんは「まだ実感が湧きません。元の場所のほうがいいですが、一歩ずつ前に進んでいくしかありません」と話していました。
南相馬市によりますと、震災を理由に集落が解散するのは南相馬市で初めてで、被災地全体でも珍しいということです。