「もういちど本気で考えよう日本!」。本気で考えるのは、あなた自身です。
「健全なる経済社会の発展に貢献する」。
115年前の設立以来、東洋経済新報社の企業理念はぶれることはありませんでした。 健全なる経済社会は「個の確立」なくしては実現できないと考え そのために必要不可欠な知識と情報を提供し続けてきましたが、 現在の日本は、未だ自立した個が構成する社会とは程遠い状況にあります。
そこで、創立115周年を迎えた現在、 混迷の続く時代の最良の指針として石橋湛山と高橋亀吉という 二人の巨星が記した主要著作を紐解くべきとの想いから 『石橋湛山全集』と『高橋亀吉著作集』の復刊を決定いたしました。
今回の記念出版を機に、東洋経済新報社では、 「もういちど本気で考えよう日本!」とのキャンペーンを立ち上げ シンポジウムやブックフェアの開催、『週刊東洋経済』との連動企画、 東洋経済オンラインサイトの新設など多彩な試みを企画しています。
ただ第二次大戦後には、戦勝国を含めて統制経済が広く残存し、そうした早期の自由化は望み薄だったし、有沢はマルクス経済学の影響も強く、「生産闘争」ということも言っていたし、場合によっては社会主義もという考えがあったと思う。石橋はもちろん社会主義ではなく、統制経済拒否、自由市場経済支持だったでしょうから、2人は合わなかった。
しかしこの二人がいたから、傾斜生産も一応の成果を上げることができ、日本経済の復興も何とかできたのではないか、そう考えるのです。有沢先生は石橋さんを尊敬はしていたけれども、「一度言い出したら聞かない人だから……。もう信念は大したものだよ」などと、言っていましたね。
――石橋は昭和31年末に首相に就任したものの、病気のため2カ月で辞任、代わって岸信介内閣、池田勇人内閣と続く訳ですが、池田内閣時代のいわゆる「所得倍増計画」による日本経済の本格的な高度成長と、石橋の積極財政の姿勢とは、つながりがあると考えますか。
香西 池田さんは病気もあって出世が遅れていたが、昭和21年、第一次吉田内閣の石橋蔵相の下で大蔵次官に就き、「大臣の言うことは何でも聞きますから」と最敬礼して、石橋の復興優先の方針を支える。そして池田は二四年初の衆院選挙で当選し、いきなり第三次吉田内閣の蔵相に抜擢されるが、今度はいわゆるドッジラインの緊縮政策を進める役回りになる。
にもかかわらず、31年、石橋は自分の内閣の蔵相に池田を迎える訳です。その時石橋は、「経済政策は時に応じてやるものだ。生産を第一にしなければならな時は、ある程度インフレ的傾向もがまんしなければならなかったし、反対に池田君はちょうどディスインフレの必要な時にぶつかった訳だ。彼以外適任者はいない」と説明している[「31年12月24日の記者会見」『全集』第一四巻]。そして池田は、石橋の言う「完全雇用の実現」を受けて、それまで取られていた兆円予算枠を1000億円支出、1000億円減税政策で打破し、高度成長期財政の積極パターンを打ち出していく。
基本的には、その精神がのちの所得倍増計画に乗り移っていたことは、ほぼ確実と言ってよいと思いますね。
当サイトは、東京証券取引所・大阪証券取引所・名古屋証券取引所・ジャスダック証券取引所・野村総合研究所・ダウ・ジョーンズ・ジャパン(株)・トムソン・ロイター社によって提供される情報を用いて、センティリオン株式会社で作成および運営を行い、情報提供をしております。日経平均株価の著作権は日本経済新聞社に帰属します。