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2016-02-21

大坂の陣は「どう語られたのか」を検証する本が出るらしい

| 大坂の陣は「どう語られたのか」を検証する本が出るらしいを含むブックマーク 大坂の陣は「どう語られたのか」を検証する本が出るらしいのブックマークコメント

まだアマゾンには出て無いけど、出版元のオンラインに載ってるからまちがいないだろう。

http://www.bookservice.jp/bs/ItemDetail?cmId=6525599

大坂落城異聞

正史稗史狭間から


最近は個人的に、史実より「どう語られてきたか」の歴史が好きになってしまいました(もちろんそれを「史実」と比較するからより面白いわけだけど)。それを前面に出した本というのは面白い。

かつてこういうtogetterをまとめた縁もある

大阪の陣」考〜「無垢な秀頼、元凶は淀君イメージの真偽とは?〜まとめ管理人さんを中心に - Togetterまとめ http://togetter.com/li/913665


花のようなる秀頼さまを 

鬼のようなる真田がつれて 

退きも退いたり加護島(鹿児島)へ…

http://sanadasandai.gozaru.jp/itsuwa/yukimura/yukimura-08.htm

gryphongryphon 2016/02/21 12:28 どうも最近、腰をすえてどんっ、と記事を書くことが出来ない。書きたいことはありすぎるのだけど。

fullkichi1964fullkichi1964 2016/02/21 13:10 まあ大坂の陣そのものがホントに徳川方が開戦を望んだものがどうかってのも・・・。
関ケ原の時と違って、恩賞が与えられないわけですよね。豊臣家当時65万石だかを潰したとこで。
いわゆる方広寺事件だって、あれで豊臣家が屈服してくれるのが本来はベストなシナリオだったわけで、武力抗戦するとはまさか思ってなかったんじゃないかと・・・。
そもそも豊臣家が屈服するような状況を作ることに14年間家康は腐心してたわけで。それが豊臣家(秀頼?)の抗戦でぶち壊しになってしまったと。
冬の陣の際に、わりと早期に一時和睦したってのも、それは両堀とも埋めてしまう計略はあったろうけど、それ以前に大名たちに多くの損害を与えて深刻な不満を抱かせるわけにはいかなかったろうと・・・そこまで幕府体制はまだ盤石じゃなかったろうし。
夏の陣にそれこそ真田信繁やら毛利勝永やらの突撃で、徳川本隊もある程度の損害を受けたというのも、「諸大名にばかり戦わせて高みの見物」としゃれこむような状況ではなかったのかも、と・・・。
まあ従来のステレオタイプ的な「徳川=加害者、豊臣=被害者」的な見方だけでは説明がつかない部分が多々あると思ってはいます。