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ポジ熊の人生記

雑記です。ブログが大好きなので定期的にブログ論を書く癖があります。

ブログにおけるキャラクターや文体は、気持ちを素直に書けば迷わない

ブログ

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迷ってます

ツイキャス放送でリスナーと交流したり、定期購読ブログを見て考えることがある。「ブログ、こと記事内容におけるキャラクターや文体というのは、どのようにして確立すべきか?また、それに対して自分はどう考えている?」

これを文章化してみたい。

その時の気分なんてまちまちだろう

記事を書くときに、気持ちが上がっている時もあれば沈んでいるときもある。喜怒哀楽が文体に出るのは仕方のないこと、特にこのような雑記の場合はなおさらじゃないかな。 だから僕は「ポジ熊はこうあるべき」という枠組みをあえて設けていない。

アゲアゲのおかしなテンションの時もあれば、このように「だ」「である」体で淡々と記事を綴る場合もある。支離滅裂に見える場合もあろうかと思う。だが、これは紛れもなく同一人物が書いたものである。それは自分が良く知っている。

調子の良い文体の時は「あー、テンション高いんだな」って見てくれれば良いし、ネガってる内容ならば「うわ、落ちてるねーw」なんて見てくれれば幸いである。固定の印象は確かに大事だろうけど、ありのままの自分を見せるのであれば記事というのは全て違って然るべきなのかなと。

 

キャラクターを固定することの弊害

あえて弊害とする。

先述のとおり、気分の浮き沈みなんて人間だから誰でもあろうかと思う。記事を書くときも然り。だが、その時に「ポジ熊は明るいキャラだから、無理をしてでも明るく書かなきゃ」なんて振る舞おうものなら、無理をしたブログ運営になりかねない。自分をありのままに表現できるのがインターネットの利点だと思っているから、ここを殺すことはその最大の利点を殺すことにイコールとなる、これはよろしくない。

逆もまた然り。気分の良い時に「僕は影キャラだから、テンション落として書こう...」なんてダウナーにする必要もないってこと。その時の気分で、その時の調子次第で書けばいい、自己表現すると良い。

 

道化はリアルで十分

リアルでも本来は自分らしくあれれば最高なのだけど、やはり他人と同じ場所、同じ時間、同じ目的を共有して仕事をするとなると、ある程度道化を演じる必要もあろうかと思う。悲しくても笑って、腹が立っても我慢する。こんなことは日常茶飯事だろう。

ただ、それをネットにまで持ち込むのはいささか不健全だと思う。リアルで我慢していればこそ、ネット上くらいは自分らしく振る舞ってはいかがだろう人気者を不本意ながら演じて獲得した富や名声や読者などは所詮虚構であり、自分らしく最大限に自己表現した結果のFANであればそれは本物でないかと思うのだよねぇ。

 

とどのつまりは迷う必要がない

書きたいときに、素直にそれを文章にすればいい。

自分のことを本当に表現できている人なら、キャラクターに迷うことなんてそもそもない。僕はブログを書く時に迷うことはない。キャラクターを作ろうとも思わない。だって、文章で自分を表現しきることができれば、それがその人本人であり、それ以上でもそれ以下でもないだろう。

キャラクターに迷っている人は、まだ思考を文章化することに不慣れなのではないか。これは量がものをいう。まだまだ書きが足りないのだ。ひたすら書いて書いて書き込むと良い。そうすれば頭の中の文章もまとまって、素直な自分で記事を書けるようになるはずだから。その結果、離れていく読者なんてのは、そうなる運命だっただけ。ありのままに自分を表現して、書いて、残ったFANを大切にしよう。

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ブログにおけるキャラクターに迷う必要なし、迷うくらいなら素直にひたすら書けば良いということを言いたかった。

 

終わり