最近、はてなの匿名ダイアリーでは、
「日本死ね」という言葉が流行しているようですね。
これ、気持ちはよくわかります。
筆者も少し前までは、派遣切りには遭うわ、
家族は仲悪いで、どうしようもない時期があったんですよ。
ゲームの世界に迷い込んだきり、
帰って来れなくなったことさえありました。
現在だって、旦那は年金世代ですし、
娘は正社員でも手取りは少なく、
節約を真剣にやらなければ食べて行けない状況です。
私は持病の2型糖尿病+偏頭痛がありますし、
昨年秋に左膝を故障してしまい、意欲はあるものの働くことが困難になりました。
匿名ダイアリーの子育てに対する不満も、
素敵な恋愛ををしたいのに思うようにならない悩みも、
長い人生の中では、比較的よくあることですよ。
でも、だからといって、
それを社会のせいにするのはお門違いだと思いますね。
子供って、母親ひとりが育てるものでしょうか。
夫や他の家族に協力を頼んでもいいと思いますよ。
シングルマザーの場合だって、いろんな人と連携すればいいじゃないですか。
手を尽くせば、子供を預かってくれるところは別にあるような気もします。
もし、すべて当たって駄目だとしても、
地域の民生委員さんや、親身になってくれる議員さんに相談すれば、
必ずとはいえませんが、道が開けることもあります。
彼女が出来ない男性の場合は、
これはもう、考え方を変えるしかないですね。
下品な台詞を並べて不満を言う人が、魅力的に見えるでしょうか。
仮にその人が1億とかのお金を持っていたとしても、
私はお付き合いしたいとは思わないですね。
そもそも、社会を敵と見てしまう人は、
自分というものに自信がないんだと思います。
だから、いつも不安で、攻撃する対象を見つけなければならないんですね。
でも、それってすごく悲しいことですよ。
私は幼い頃、姉と比べられたり、
学校でいじめにあっていたので、自分が生まれてきたことが嫌で、
泣きながら父に文句を言ったことがありました。
すると彼は・・・
『みんな幸せになるために生まれてきたんだから、泣くのはやめなさい』
そう言って、私を励ましてくれました。
その父も、2011年の10月に他界してしまいましたが、
私は心が折れそうな時は、榛名山のほうを向いて、
父が見守ってくれているんだと思うようにしています。
(榛名山の近くに父のお墓があるのです)
私は以前、あることがキッカケで政治の勉強をしたことがありますが、
家庭や個人は、日本という生命体の細胞なのではないかと思いました。
細胞に傷がつけば、生命体は病気になりますよね。
よく「日本は腐っている」という言葉も耳にしますが、
それは私たちひとりひとりが、未来に希望を見出せずに、
投げやりになっているからじゃないでしょうか。
暴力や憎悪からは何も生み出さないと言いますが、
【後ろ向きの不満をぶつける】だけでは、何も変えることはできないんですよ。
不満があるなら、そのことに対して対案やアイデアをぶつけて、
もっと前向きに生きたほうが、自分も周りの人もハッピーになりますよ。
こんなこというと、現実を見てないとか、机上の空論だと指摘されそうですが、
「日本死ね」という言葉を目にして、少なからず腹が立ったのです。
この国が存在し、両親がいたからこそ、
あなたはこの日本に生まれたんじゃないですか?
自分が暮らす場所を否定するというのは、
はからずも、持った刃を己の首に向けているようなものです。
生きるというのは、確かに辛いですし、
ゲームのように思い通りには行きません。
政治の世界も、私たちが期待するような施策を出すことは、
ほとんどないといっていいでしょう。
だけど、絶望の中で嘆くだけでは、
いつまで経っても希望はみつからないものです。
それにしても、言葉は難しく怖いものですね。
本来「死」というものは、ものすごく重いものなんですが、
いまや簡単に爆弾フレーズとして使われるようになっています。
【言葉では伝わらないものが、確かにある。
だけど、それは言葉を使いつくした人だけが言えることだ。
だから、言葉というやつは、
心という海に浮かんだ氷山みたいなものじゃないかな。
海面から出ている部分は僅かだけど、
それによって、海面下に存在する大きなものを、
知覚したり、感じとったりすることができる。言葉を大事に使いなさい-】
自分という存在を大切に出来ない人は、
言葉もどこかすさんで、さみしいものになっていますね。
かつてはこの日本にも、美しい言葉や文化があり、
人々は慎ましくも、助け合って生きていました。
大きな歴史の流れの中では、良い時代も悪い時代もありますが、
私は日本には死んでほしくないんです。
なぜなら、自分がここに生まれたからこそ、
こうして文章を書き、多くの人たちと知り合うことができたんですから。
周りで起こる様々な出来事を、否定するより肯定しながら、
不器用でも前に進みたいと考えています。