みちのくの漁師は森に木を植える。瀬戸内の漁師は海に種をまく。命の恵みを次の世代へ伝えるために−。かき鍋を囲んで考える、地域の持続可能性。
岡山県日生(ひなせ)町漁協(備前市)の専務理事、天倉辰己さんが操る船で、“航路”と呼ばれるカキの漁場へ向かいます。海沿いのセメント工場に出入りする船の航路の近くです。
穏やかな瀬戸内海とはいうものの、船上で受ける冬の海風は、全身に鋭く突き刺さってくるようでした。
ほとんど兵庫県境の沖合二キロ。最盛期には、縦二十三メートル、横十メートル、ヒノキと竹を組み合わせたカキ養殖の大きないかだが百枚ほど並びます。
三本の一級河川が瀬戸内海へ流れ込み、カキの餌になる植物性プランクトンを森から豊富に運んできます。潮通しの良い海がその餌を効率よく漁場に届け、点在する島影が風や波からいかだを守ってくれています。
自然の配置に恵まれて、日生の海も古くから、身の詰まりが良い、上質のカキの産地として知られ、昭和四十年代には既に、共同出荷の仕組みを整えました。関東や中部にも毎日出荷されていく、産地ブランド化のはしりです。
自然の恵みに任せきりでは、ブランド力は維持できない。利点は常に弱点を抱えています。
日生の海は瀬戸内海の中でも特に多くの島々に囲まれた閉鎖的な海域で、資源の量も限られる。
漁場管理を徹底しないと、文字通り食べていけません。
海の環境と資源を守り、次世代につなぐ工夫が、日生の漁師の伝統です。
◆つぼ網漁師の心意気
たとえば独特の「つぼ網漁」。沿岸の浅瀬の魚の通り道に仕掛ける小型の定置網。五カ所ある魚だまりの袋に魚をいざない、そのほかは逃がす仕掛けになっています。一網打尽にしないのです。
戦後の干拓、沿岸開発、そして人口の増加に伴う生活排水の流入で、瀬戸内の海は激変し、水揚げも大幅に減りました。
その時「アマモを育ててみよう」と提案したのも、つぼ網の漁師たち。高度成長期に急激に姿を消した、甘い藻という字を当てる。沿岸のいわば雑草です。
魚たちの産卵場であり、ゆりかごとも言われる藻場が復活すれば、日生の海もその名のごとく再生できるに違いない−。海と魚を見て暮らし、その生態を知り尽くす、漁師たちの直感だった。
三十年ほど前のこと、県の水産試験場と協力し、根気よくアマモの種をまきました。
藻場再生は、好循環をもたらしました。光合成の酸素が豊富に供給されて、餌になるプランクトンが増え、アマモの“森”が強い日差しを遮って、夏場の斃死(へいし)も減りました。
アマモが海に根付くよう、漁師たちは浅瀬の掃除を続けています。
養殖漁業に限って言えば、海という“工場”で商品を生産し続ける、“ものづくり”の一つです。
「人手が加わることにより、生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」
九州大学名誉教授の柳哲雄さんによる里海の定義です。
人口が減り続け、経済の規模は縮小し、公共事業や企業の誘致によって立つ“ないものねだり”の世の中も、もう長くは続かない。“あるもの探し”の時代がきっと来る。
◆里海の力、人の知恵
里海も里山も、衣食住すべてにわたる持続可能な未利用資源の宝庫。歴史と文化に裏打ちされた、その地域だけの“お宝”です。
大量生産、大量消費の時代の陰で眠り続けた、ふるさとの潜在力を、見いだし、そして引き出して、次世代に伝えていかねばなりません。必要なのは創生よりも、再発見と再生です。
「魚より随分賢くならないと、漁師は続けていけません」
天倉さんはそう言って、丸々太ったカキをむいてくれました。
海の命と漁師の知恵が凝縮された、濃厚で深い味でした。
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